たんたんと過ぎた50周年記念日

2007-04-06 00:00:47 | 歴史
誰も、何も言わないうちに2007年4月1日は過ぎ去ったのだが、実は売春防止法施行50周年だった。

売春防止法施行は昭和32年(1957年)4月1日。法律が制定されたのが昭和31年5月で、この32年4月に一部施行され、翌33年4月1日に罰則規定付きで本格的取締りが始まる。

50周年の報道など、まったく見ないのは、「忘却」ということなのか「有名無実化」ということなのか、よくわからない。


7966f481.jpg永井荷風など読むには、この辺の事情に詳しくなければならないが、もう当時のことはわからなくなってきている。かえって江戸吉原のことなどはしっかり研究されているようだが、明治以降のことは、隠蔽されてしまっている。荷風が通っていたのは「玉の井」。公娼の吉原に対して、非公認地区。もちろん江戸時代だって、公娼は吉原だけだが、品川や新宿などはおおっぴらだったようだ。

荷風の「墨東綺譚」を岩波文庫で開くと、多数の挿絵が描かれている。木村荘八氏の絵筆による。映画でも観たのだが、ここにはまた、吉原や三業地とはまた違う密やかさが漂っている。

そして、そういう売春専門エリアだけではなく、明治の終わりから大正にかけて、「三業地」というシステムが確立する。「待合」「置屋」「料理屋」の三業である。全部一緒に行うと、売春行為だが、別々になっていれば、合法という変ないいわけである。パチンコ店と景品交換所みたいなものである。

で、実態は、料亭の調理場だけが分離し、隣の建屋から待合に料理がやってきて、そこに置屋から芸者さんがやってくるわけだ。で、必ずしも、食事の後、かならず売春行為があるわけではなく、約半数の宴席が、そういうものだったそうだ。宴会だけで解散するのを「ヒラ」と言い、翌朝まで泊まりのサービスを受けるのが「カゲ」とよんでいたはずだ。

例えば、6人の宴席が二つ(ヒラとカゲ)あると、酒宴の席には芸者さんが3人ずつ入り、まあ、一応、色んな芸で場を盛り上げるわけだ。そして、酒宴が終わると、カゲのお客さんと6つの布団に入るわけだ。もちろん、計算通りにはいかないので、カゲのお客さんが多いと、芸のできない芸者を調達する。これが枕芸者である。実際には枕を持ってきたりはしないだろう。

だから、老舗の料亭の旧館などにいくと、大広間の周りに布団部屋のような小部屋がたくさんある。それが名残なのだが、たいてい、店の方に聞いても、よくわかっていない。

ところで、なぜこんなことを書いているかといえば、東京の老舗料理店というのも、この「50年」というのが一つの区切りになっていて、それより長い店の中には、そういう妙な造りを残すところもあるということなのだ。

このテーマ、書けば書くだけ泥沼にはまることになりそうなので、これ以上は、やめておく。