優雅なる冷酷は、「誰」?

2007-03-25 00:00:40 | 書評
323c5522.jpg塩野七生の著書は、エッセイについては何冊も読んでいたのだが、いわゆる表看板であるイタリア歴史小説類は読んでいなかった。しかし、彼女は今年、大作である「ローマ人の物語」全15冊を書き終えている。さて、”ローマ人”シリーズを読み始めようかどうしようか。また、読む場合、厚い単行本でいくのか、薄い反面大量冊数が予想される文庫本で読むべきか、一度に全部購入するか、分割購入するか、あるいは図書館コースなのか。とりあえず、1冊読んでから考えてみようと、「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」を読んでみる。

しかし、読み終えるまで10日もかかってしまった。長いカタカナの名前の登場人物が数多いと、なかなかペースがとりにくいものである。読了まで大苦労。というか、半分進むまでに手間取り、後は流れた。

ボルジア家のことは、悪評も含め、よく知らなかったのだが、要は、イタリアは西暦476年に西ローマ帝国が滅びたあと、分裂国家状態だった。ローマ教皇、東ローマ帝国、そしてイタリア、スペインなどのパワー・オブ・バランスが続いていた。その中で、何回かの武力統一を目指した動きがあったそうだが、その中の一人がチェーザレ・ボルジア(1475-1507)。一般にはボルジア家は悪の権化のように言われ、その中でも最も狡猾かつ危険な男という評価だ。

著者は、初めてこの本でボルジア家のことを知る読者のために、実は色々とサービスしている。系図を付けたり、本文の中で、さりげなく登場人物の関係を何度か繰り返したり、と。そして、もちろん読者が、チェーザレを大好きになるように美化している。

そして、本来、ここに長い書評を書くべきかもしれないが、一冊読んだだけなので、そういう野暮はしない。アマゾンの書評では18人中、評価しているのは2、3人しかいないが、そんなに拙い書とは思えない。たぶん、歴史上、「悪漢」評価を受けている人物を「英雄」として書くことに対しての、嫌悪感が保守的読者に受けないのだろう。

チェーザレを日本の歴史上の人物に重ねて考えていたのだが、北条早雲、織田信長といった人物が浮かぶが、日本の戦国大名の場合、自分以外、誰も信じられないという極限状況からスタートするのだが、チェーザレは、父であるローマ教皇やフランスやスペイン国王の背後パワーを巧みに利用する。マキャべリは後年、チェーザレを君主論のモデルにして、現在もマキャベリズムという単語の専売的使用権を得ている。本当はチェザリズムというべきかもしれない。

そして、歴史上のチェーザレは、父親(教皇)と同時にマラリアに罹り、それを機に、イタリア統一の夢が崩壊していく。あっと言う間に没落の泥沼に沈んでいくのだが、著者は落ちぶれるものには冷たく、後半は極めて短い。「ローマ人の物語」も多くの文明論とは異なり、繁栄をしっかり書いて没落はあっさりという評判である。それが彼女の趣味なのだろう。「優雅なる冷酷」とは塩野七生の性格そのものなのだろう。


さて、イタリアを翻弄したボルジア家に対して、皮肉な歴史家はこう書く。「ボルジア家の暴政はルネサンスを生み、スイスの平和は鳩時計を生んだだけだ」。イタリアが統一されたのは、1861年のことである。


実は、チェーザレの次にいきなり「ローマ人の歴史」の着手するのは、まだ早過ぎるような気もしている。さらに、次の一冊を読んでから、「ローマ人」攻略法を再考しようかと思っているのだが、考えれば「チェーザレ」は彼女の文壇登場の一冊のようなもの。ズルズルと引き込まれて、全部読んでしまうのではないかと、ちょっと心配になる。