また、太田道灌に会う

2007-03-09 00:00:51 | 美術館・博物館・工芸品
245892d7.jpg太田道灌の話は、しばらく前、伊勢原にその菩提寺を訪ねたことにより自分の中ではピリオドを打ったはずだったが、またも遭遇。場所は東京フォーラムの建物の中だ。昨日アップした「ごはんミュージアム」をうろうろと探していたら出くわした。「ごはんミュージアム」の方は、いつなくなるかもしれないが、「道灌像」は、それよりもここに長尻だろう(動かすのは簡単だが)。

先日見たばかりの伊勢原市役所前に立つブロンズ像と同じようだが、屋内で見ると大きく見える(見えるだけではなく、本当に大きいかもしれない)。なぜ、ここにあるかと言うと、東京フォーラムのある場所は、元は東京都庁があった場所で、その前に太田道灌の像が立っていたわけだ。

245892d7.jpg都庁は新宿に移転したのだが、太田道灌が元々住んでいたのは、今の皇居のほぼ中央ということになっている。今の立つ場所も元の館からは1キロほどずれているが、新宿西口では遠すぎる。しかも、既に都庁の眼下にある新宿中央公園には、少女が道灌に山吹の花を差し出す像が立っている。文武両道を標榜した道灌だが、同じ場所に二つ並んでしまうと、「替え玉説」とか思いつく歴史学者が現れるかもしれない。

確か、以前は屋外に立っていたのだが、今はガラス張りの屋根付きである。村雨に打たれて傘を探す必要も、しばらくないだろう。太田道灌は陣笠を被り、弓と刀と指揮棒のようなものを持っている。顔の表情は陣笠の中でよく見えない。建物の中なので、本当は笠を脱がないとマナー違反だ。

台座の文字を読むと、1956年、江戸城開府500年記念として、朝倉文夫氏が手がけたと彫られている。朝倉文夫の作は朝倉彫塑館で見られるが大隈重信などのビッグネームのブロンズが得意だが、将来、彼の芸術性が議論されるなら、特に、猫の造形に注目だろう。

ことし2007年が開府550年となるのに、1956年が開府500年というのでは、計算上1年合わないが、歴史の上ではよくある話だ。

245892d7.jpgそれよりも、1956年製の道灌像とそれより新しいはずの伊勢原市役所前の道灌像を比べてみると、「盗作疑惑」を感じないでもない。

そして、なぜ、ブログに書いた話の続きがリアルの世界で私の前に現れたのかは、よくわからないが、江戸東京博物館で最近まで開催されていた「江戸城展」と関係があるのだろうか。そして、さらに江戸の歴史を考えると、平将門と太田道灌の間に、「江戸氏」という豪族がいたことを最近知ったのである。江戸氏は平将門の流れを汲む一族とされ、太田道灌に征伐されたらしいのだ。