中国人と名古屋人

2007-03-02 00:00:37 | 書評
b424a96c.jpg中国人と名古屋人(岩中祥史著・はまの出版)とは、妙な題名の本である。なんとなく、イメージできるだろうが、この二つの人間を酷評した書である。1995年と少し古いので、どちらの人間も少しは変化している。

作者は名古屋の高校出身で、東京の大学へ行ったあと、名古屋人の応援団になっているようだが、ずいぶん辛口の応援団だ。そして、かなり差別的な話だが、名古屋人は中国人と同じように酷いという主旨で書かれているため、「中国人は疑いなく酷く、名古屋人は中国人に似ている」という論理展開だ。両者を代表する形容詞が「あざとい」ということらしい。では内容だが・・

まず、内村鑑三の話から。内村鑑三といえば、無教会主義キリスト教と非戦主義で、世界に名を知られる立派な思想家である。どこかの厚生労働大臣とは違う。ところが、その内村が明治36年(1903年)信濃毎日新聞に「余の見たる信州人」として信州人を褒め称えたついでに暴論を吐いている。

・・略・・人はみなことごとく罪人なれば、・・略・・愚なる者はまさに入りやすし。救済の希望絶無なる者は、知恵のある者なり。中国人のごとき、名古屋人のごとき、ほとんどこの絶望の淵に瀕するなり。・・略・・信州人は日本における世界道徳の先覚者、シナ道徳の撲滅者、新日本道徳の泉源たるべきなり。

著者岩中氏が調べたところ、内村は、生涯中国に行ったことはなかったそうだ。中国情報はもっぱら書物による間接情報によっていたらしい。何か誤解があったのだろう。さらに、内村はもともと「日清戦争」は日本による「義戦」であるが、日露戦争の方は「侵略戦争」としていたのだが、後年、日清戦争の方も「侵略戦争」と言い直している。中国の悪い面だけを見ていたような気がする。そして、問題は、中国ではなく、それと同じほど酷いといわれる名古屋人のことである。

では、その暴論ともいうべき「中国人、名古屋人絶望論」について、岩中氏の説を解説を加えて、サマリーしてみる。

1.中華思想
 もちろん、中国についての「中華思想」はいうまでもない。中国というコトバ自体が世界の中心で、周りは「東夷・北狄・西戎・南蛮」となる。周りの国も貢物とかするからいけないのだが、ほとんどの隣国は一戦交えている。もちろん、20世紀後半でもそうだった。外人のことを「鬼」と呼んだりしている。美国鬼、東洋鬼(日本人)とかだ。そして困ることに、彼らは何事も断定的に語るのだが、案外、間違っている。
 そして、名古屋だが、ここに行くと、妙なものがある。小倉トースト、味噌カツ、ドテ飯・・・。そして、タクシーに乗ると、すぐに野球の話。「お客さん、きょうは勝っとるに」。
 しかし、岩中氏に言わせると、「中国は真性の中華思想」だが、「名古屋は農村的中華思想」ということになる。つまり、「本当は江戸や京都に負けることを知っているので、名古屋圏という閉鎖性を作ることによって、内部的な中華思想を作る」ということらしい。
 ある段階で、「名古屋式生活習慣」が完成したことにより、よそ者が名古屋を敬遠しはじめることになり、結果として、独自の名古屋中華圏が完成したということらしい。

2.シビアな金銭感覚
 中国人のお金好きはユダヤ系の方々とは一味違って、「現金」。(これ以上は有名なので書かないが)
 一方、名古屋もすごい。お金持ちは大勢いる。だいたい無借金経営企業が多い。人前で平然とカネの話をする(ネクタイの値踏みとか)。三たたき(商談時、納品時、集金時)がある。クレジットカードを使わない・・・

3.年寄り・先祖を大切にする
 儒教精神ということらしい。尾張の藩校で教えていたらしい。しかし、著者は、本気で中国・名古屋を褒め称えているわけでもなく、家族や親戚を大切にするのは、「生活が苦しいから」という意味でまとめている。「生活が苦しいから家族を捨てる」よりはずっとましだ。

4.何よりコネが役立つ
 ひとつは、前段で述べた家族や親戚の関係を重要視すること。そして、もう一つの特徴は、人間を敵か味方かの二元論でみることらしい。名古屋に行くと、友達の輪というのが発達していて、知り合い、友達、同窓会・・・ということが人間関係の基礎になっているそうだ。ようするに名古屋モンロー主義。

5.執念深い
 恩も怨みも忘れないそうだ。まあ、中国はそうらしい。名古屋は逆パターンで、借金などの恩義を受けることを嫌うそうだ。金を返した後でも、いつまでも「あの時貸した金で、今の事業が成功しているのではないか」とか言われるのだろう。

6.あきらめの思想・のんびりの気風
 どちらも、役人天国だったらしく、役人が登場すると、すべてあきらめるしかなくなる政治体制ということだそうだ。また「のんびり」というのは、その結果として、一生懸命走り回らずにのんびり構えたほうがいい結果を出すということらしい。約束の時間は悠久の彼方だ。ジャスト・イン・タイムのトヨタは名古屋圏外とみなされていた(というか、トヨタ式は納入時間厳守であって発注時間はフリーだ)。

7.公共心のなさ
 どうも内村鑑三は特にこの点が気に食わなかったようだ。公共のものは自分のもの、自分のものは自分のもの。新規開店の花束から勝手に花を持ち去る風習などだろう。また県庁周りの違法駐車容認ゾーンなど、他県の住人から見ると、おぞましい。中国でも万里の長城の建築素材の藁を動物に食わせるために、どんどん崩したりするそうだ。
 ホテルのタオルなんかどうなっているのだろう。

そして、この本は、最後に名古屋の結婚式の大散財について触れ、中国人と名古屋人をほとんど持ち上げたり、擁護することなく、絶望的に終わってしまう。たぶん、本を名古屋で売らないことを前提にしているのだろう。


さて、名古屋出身の知人から、最近聞いた話だが、以前、名古屋には5つの大企業として、中部電力、東邦ガス、名鉄、松坂屋、東海銀行というのがあったそうだ(大部分は旧伊藤財閥という名古屋の資本家につながるそうだが)。これを五摂家と呼んでいたそうだ(京都以外に摂家があるのも妙だが)。そして、毎年、年初めに中日新聞主催で五社が集まり、「新春プロ野球放談」をしていたそうだ。もちろん、結論はいうまでもないだろう。

そして、そのうち東海銀行はなくなり、名鉄は業績不振。松坂屋は名古屋駅そのものを高島屋にハイジャックされ、大丸に吸収されそうである。中部電力と東邦ガスは本来別分野のエネルギー会社だったのだが、電力会社がガスを売ったり、ガス会社が電力を売る時代になり、競合関係になった。五摂家崩壊である。

代わって登場したのがトヨタでありJR東海。中部電力と合わせて御三家という人もいるが、それは言葉の遊びなのだろう。むしろ、売り上げ高が1500億円程度だが元気な会社として、カゴメ、ノリタケ、ミツカンといったところが、今後の名古屋圏の文化を形成していくのではないかと個人的には期待している。

余談になるが、著書の中で、徳川宗春が書かれている。名古屋中興の祖であるが、ドラマ「暴れん坊将軍」の中では、吉宗の暗殺を狙う悪役になっている。ところが実際は、宗春は江戸の生まれ。つまり本妻の子。大人になるまでずっと江戸に住んでいて、時には変装して江戸の町場を歩いていたそうだ。つまり、マツケン演じるドラマでは、吉宗が町をふらつくのだから、まったく逆ということだ。