国連の裏側

2007-03-30 00:00:11 | 市民A
323c5522.jpg先週、北岡伸一氏の講演会に行った。前国連日本代表部次席代表。もともとは歴史学者と自己紹介されていた。研究範囲は江戸時代から明治、大正、そして太平洋戦争が始まるまでということで、第二次大戦以降は政治学者の範疇ということだったそうだ。しかし、1989年のソ連崩壊以降、冷戦型政治学者の失墜により、現代史を始める気になった、ということだそうだ。そして、2001年に一時外務省が機能不全状態になった時、急遽、内閣の対外関係タスクフォースに参加したところから政府と関係ができる。

その後、民間からの外交官採用という外務省の看板事業用に、人畜無害国の大使職就任要請があって、断り続けていたところ、国連の次席大使(3人の大使の2番目)というポストが提示され、面白そうなので見てこよう、というつもりで引受けた、ということだそうだ。そして、計画通り、無事帰ってきて、計画通り、その国連の裏側についての講演をしている、ということである。講演会場は麹町のFM東京ホールである。


まず、国連の目的とか全体像という話なのだが、三本の柱があるそうだ。

 1.平和と安全
 2.経済発展
 3.社会と人権

そして、この三つの柱のうち、国連の歴史上、効果を上げているのが「社会と人権」。本来、「平和と安全」は安保理と総会が担当するもっとも重要な案件であるが、冷戦時代にはまったく機能しなかった。とはいえ、冷戦後のPKO活動は、それなりに効果があり、特定国の単独の軍隊が常駐するよりPKOから派兵すると1/4程度の戦力で足りるそうである。そして、「経済発展」の柱については、まったく各国の自助努力の結果ということだそうだ。

そして、もっとも効果を上げている「社会と人権」問題については、多数の委員会があり、そのすべてに委員を送り自国の意見を反映させようとすると、膨大な人員が必要になるそうだ。そして、朝昼晩のパーティが続き、一枚の文書について、各国が訂正の要求を果てしなく続けるというようなことだそうだ。


そして、北岡さんのニューヨークでの在任期間中の最大の課題が「常任理事国入り」。いわゆるアナン国連改革案である。

まず、日本、ドイツ、ブラジル、インドのG4プランだが、2005年当時、大島大使を中心に、総会決議の寸前までいって、あきらめて、投票まで行かなかったのは大変残念、ということだそうだ。当時の加盟国191ヶ国の2/3の賛成が必要とされていて、必要128票中、110票程度は獲得できたであろうから、まずは1回はチャレンジすべきだった、と考えられているそうだ。中国が国連に加盟したのにも何度もチャレンジが必要であり、そのうちチャンスはめぐってくる、と考えるべきだそうだ。

そして、拒否権についてだが、「拒否権を持たない常任理事国」というのでないと絶対的に席は得られないだろう、ということだそうだ。何しろ「拒否権付き」では、既存の拒否権を持つ国は、絶対反対するし、拒否権を持たない国も、絶対に反対するだろうから、賛成国は1国もないだろうということだ。

そして、今後の作戦の一つに、モデルBというのがあって、非常任理事国の任期2年ではなく任期4年から5年の長期非常任理事国の枠を作り、アジア増枠ということになれば中国も拒否できないだろうし、それならば間違いなく日本は席にありつけるだろうから、それを10年ほど続けてから、恒久的理事国(超長期理事国)化すればいいのではないだろうかというところだそうだ。

そして、前回、G4作戦が行き詰まった最大の原因は、「首相に熱意がなかったこと」と、常任理事国になってもメリットがないではないかという「一部の世論」のせいと分析していて、常任理事国のメリットという話題があった。


つまり、世界には色々と難しい問題があって、どんな国でも後ろめたい部分はあるわけで、いつ、様々な委員会で槍玉にあげられるかわからないわけである。そういった時に、安保理の理事国には、こっそりと事前相談がくるそうなのである。日本が非常任理事国になった期間は加盟50年間で18年間と1/3くらいだが、それでも普段交流のない国からの相談とかで、いながらにして情報を得ることができるそうなのだ。英国やフランス、もちろん中国、ロシアのような国は、自然に外交上手になっていく仕組みということ。

それに、日本の行ってきた、対外援助というのは、日本国内では評価されないが、国際的にはかなり評価されているそうなのである。金のバラマキとか兵隊の派遣とかではなく、インフラ整備とか、細かな部分に口を出して援助するのが日本流で、援助の見本となっているそうである。

そして、安保理常任理事国問題については、9月の国連総会で安部総理が何を発言するのか、というのが大きなポイントではないか、というのが北岡氏の意見である。(おおた注:参院戦で討死してなければの話である)


講演の後のQ&Aの中で、アメリカ、中国、北朝鮮の外交についての所見が述べられたのだが、

アメリカの外交は、最善でないが、資源も豊富、国土も大きく、国民も多く、多少の失敗や制度上の無駄があっても大国であることはまったくゆるがないから、それはそれでいいのだろうが、その他の国々ではそうはいかないだろう、とのこと。特に小国は大国と対等に渡り合える国連を非常に重視していて、国家的エリートを送っている、とのことである。

中国の外交、特に日本の安保理常任理事国入り問題で、拒否権を使うか使わないかという大きな問題は、多分に「中国国内問題」ではないだろうかと考えられるそうだ。つまり江沢民派(反日カード)対胡錦濤派というように読むべきだろうと言われていた。

そして北朝鮮外交に日本外交はいつも振り回されているのではないかという質問に対しては、北朝鮮は部分的な外交戦術には長けているが、そういうことを繰り返しているうちに国民は苦しみ、国家は疲弊の一途を辿っているのだから、まったく成功などしていないと思う、といわれていた。

さらに、もともとのヒストリアンとしての立場から言えば、と文脈を改めた上、「もし、日本の幕末の指導者が、今の北朝鮮の指導者であるなら、すぐに核放棄して開国し、自由主義を目指すだろう」と講演を締めくくられたのである。(おおた注:日本で開国を決定したのは井伊直弼であり、彼の人生の史的結末は、北朝鮮でも知ることはできるのである)