Yahoo!古地図にちょっと怒る人たち

2007-01-29 00:00:23 | マーケティング
9bce5f24.jpg今、Yahoo!のポータルの右上のあたりに、「江戸、明治の古地図で、東京めぐりを楽しもう」と表示されていて、クリックすると、現代の東京の地図と江戸の地図と明治の地図が、重ね合わされて見ることができる。例えば、都心に勤務している方が、その事務所の場所で、四十七士の切腹があったとか、振袖火事の出火現場だった、とか不吉な場所であることを知ることができるわけだ。そして、多くの大名屋敷がその後、明治時代に誰の手に渡り、なぜ鹿鳴館が保険会社のものになったのだろうか、とか考えさせてくれるわけだ。

ただし、ちょっと、不愉快と思う人たちもいると思う。私もその一人。そして、チャリンコブログ界の大御所”Tea time diary”さんも同様のようだが、要するにこのソフトは、エーピーピーカンパニーというところから、「江戸・明治・東京重ね地図」として市販されている。18,900円とのこと。実は、私がもっているのは、その前年に「江戸・東京重ね地図」という明治抜きのバージョンで9,975円のもの。第12回東京ブックフェアで9,500円で購入。その後、明治が組み込まれる。明治がないと、例えば井伊直弼の屋敷が桜田門のそばの憲政記念館の場所ということしかわからないが、明治の地図があると、そこが陸軍参謀本部だったことがわかる。

実は、昨年の第13回ブックフェアで、この明治の入ったソフトを購入しようと探したものの、エーピーピーカンパニーの出展ブースが見つからないと思ったら、Yahoo!と一芝居を準備中だったわけだ。Yahoo!の説明を読むと、1月25日から3月15日まで無料利用できることになっているが、その先はどうなるのだろう。間違っても、ソフトの既存購入者に代金の一部を払い戻ししよう、などということにはならないだろう。

まあ、怒るのはほどほどにして、少し前に、足を伸ばした両国あたりを検索してみる。勝海舟とか吉良上野介のあたり。

9bce5f24.jpg現在、勝海舟の生地というところには碑が立っているので、その場所を現代の地図で探し、江戸に変換してみると、勝という家はない。江戸の地図は1856年(安政3年)であるから、勝家があってもおかしくないのだが、生地の家には、男谷精一郎と書かれている。よくわからないので、wikipediaで読んでみると、わかってきた。勝海舟は男谷家の三男として1823年に生まれた。そして三男だからということで、勝家に養子に出されてしまう。1830年、7歳のこと。養子先の勝家は、両国の隣駅錦糸町の両国寄り。つまり800メートルほどのところだ。そこに住んでいたのだが、23歳、1846年に赤坂田町に引越す。錦糸町のあたりをいくらさがしても勝家の表示がないことを考えれば、家の買い替えだったのだろう。買ってから売ったか、売ってから買ったかは知らない。

ところで、このYahoo!古地図のページを繰っていると、「有名人のお宅訪問・江戸編」という特集があり、なんと、遠山の金さん、井伊直弼に続き、勝麟太郎(海舟)、男谷精一郎、・・・となっている。勝の家は赤坂田町になっている(確かに1856年には赤坂に住んでいた)。そして勝の次に表示されている、幕末の剣豪である男谷精一郎の家を訪問すると、そこが勝海舟の生家になっているのだが、この情報はYahoo!にはまったく書かれていない。このブログを読んでいる、あなたと私だけの秘密だ。

9bce5f24.jpgもう一つ、気付いたのだが、吉良上野介の屋敷も、勝の生家のそばなのだが、こちらは、忠臣蔵で斬られて、世間騒擾の罪でお家取り潰し。時代が違うから、吉良の存在を示すものは残っていないが、その屋敷跡は、本多内蔵助という武士の館になっている。吉良を斬ったのが大石内蔵之助だったことを考えると、内蔵助つながりになっている。何の因果だろう。