カレンダーの秘密(上)

2007-01-09 00:00:24 | MBAの意見
新年にちなんで、暦のことを書いてみようと思う。数年前に個人的興味でまとめた資料をベースに、さらにいくつかの情報を追加してみた。長いのでエントリを二分割する。

この「暦問題」は、古来より様々な問題を抱えていて、諸説紛々であり、中には、絶対に違うだろうということを主張している方もいる。さらに調べれば調べるほど「疑問の小箱」があらわれてきて、その小箱の一つずつに巨大な歴史と暗闇が存在することが多く、うっかり蓋をあけると、パンドラになるのでなるべくアッサリと書いて見る。

まず、きょうはいつか?。そう、2007年1月9日火曜日。この、「年」、「月」、「日」、「曜」だが、それぞれが謎に包まれている。


9b5e9f81.jpg最初に曜日から。曜日についてはメソポタミアに起源があり、月齢から発生したと言われている。新月から満月を経てまた新月にいたる約28日(正確には29.5日)を月の形から4分割して1週間を7日としたそうだ。曜日問題はこれであっさり終わりにする。本当は、「働く日」と「休む日」の比率は、この「7日」という数字によって決まるので重要なのだが、何しろ、書きたくてもよくわからないのだ。メソポタミアについての研究は、いくつかの理由で遅れている。

それで、メソポタミアは太陰暦を使っていたのだが、古代社会では、月の運行から計算される太陰暦と太陽の運行から1年の長さを決める太陽暦があったわけだ。そして太陰暦の場合は、変形バージョンとして、閏月というような調整が行われていた。実は古代社会で太陽暦を使っていた国は数少ない。エジプトとギリシアぐらいである。これが、実は一つのポイントである。


さて、次に年と月の関係。現在、ほとんどの国が使っている暦はグレゴリオ暦と呼ばれている。ユリウス暦を改造したもので1582年の10月に一気に10日間を間引いて1600年分の誤差を修正している。

ユリウスとグレゴリオの差なのだが、ユリウスでは4年に1度閏年を設定するだけなので1年は365.25日となる。一方、グレゴリオではさらに100年に1度は閏年を無しとするが、400年に一度は閏年とするというもの。その結果2000年2月29日が存在することとなった。この方法だと1年は365.2425日になる。ただし、正確には365.2422日だそうで、2621年に1日の違いがある。これを補正した「新ギリシア暦」というのがあり、ギリシアでは西暦2400年は閏年にしないそうだ。このローマに対するギリシアの張り合い方も立派だ。なぜならギリシアの方が太陽暦は先輩なのだ。ローマは太陰暦だったからだ。

(ただし1年の長さというのはあくまでも平均値であり、実際には1年に10分程のゆらぎがある。)

さて、ここで一旦、ジュリアス・シーザーの時代に行ってみる。ユリウス暦の制定者はシーザーで、エジプトの学者ソシゲネスに作らせたもの。シーザーはエジプト文化が大好きで、お抱え学者もローマ人ではなくエジプト人だった。もっとも、単にクレオパトラに粉をまくためだったかもしれないのだが。

なにしろ、シーザーまでの古代ローマは、太陰暦をもとにした結構アバウトな暦を使っていた。最初は1年が304日周期(10ヶ月制)であったそうだが、実用的でなく、紀元前710年に2ヶ月を追加し355日制となり、10日分は閏月制度で調整していたそうだ。また新年は春分の日(今の3月20日頃)からとなっていた。


注目すべきは、ユリウス暦の考案者がエジプト人であるという点で、古来、エジプトではナイルとの共生関係から、正確な太陽暦が発達していた。結果、月齢より1年間の正確性を重視したルールができたのである。

ユリウス暦が発令になった年は正確には不明なのだが、私は色々と逆算すると、紀元前46年ではないかと思っている。ただし、2年後にシーザーは暗殺されるので、残念ながら、最初の閏年を見ることはなかった。

さらに都合が悪いことに、後継者たちは「4年に1度の閏年ルール」を「4年目の閏年と勘違いし、3年に1度の閏年」としてしまった。そして、そのまま間違った閏年でカレンダーの進みが遅れてしまった。これに気づいた後継者のアウグスツスはしばらく閏年を禁止し、紀元後8年に正しい暦に戻したそうだ(早く発見してよかった)。アウグスツスは、自分の名前を8月につけ、2月から1日を削り8月につけ加えたり、大の月と小の月を並べなおしたりしている。シーザーとアウグスツスが7月(July)と8月(August)に後で割り込んだというのは誤説で、既存の月の名前を変えただけだ。OCT(8)が10月になった理由は年始が3月から1月に繰り上がったからなのだ。

(つづく)