太陽の塔、36歳。まだ現役。

2007-01-28 00:00:21 | 美術館・博物館・工芸品
157d9c99.jpg大阪梅田から3種類の私鉄を乗り換えると、40分ほどで、万博記念公園に着く。最後はモノレールだが、非常に高い場所を走る。3種類の鉄道会社にブツ切り料金を払うので片道590円もかかるが、そのかわり、無料で太陽の塔は見える。ただし、公園の外からだ。250円払って、記念公園に入場し、太陽の塔の足元まで行く。前に来たのは1970年。大阪万博の時だから36年前。入場者6000万人のうちの一人だ。幼少の頃だったので、よく覚えていないが、こういうメイン会場では人混みのイメージしか残っていない。今、すべての構築物が太陽の塔の周囲から取り除かれ、この塔だけが威容を残している。

157d9c99.jpg当時の話だが、お祭り広場は、丹下健三が、広場をすっぽりと大屋根で覆うような設計を行っていたのだが、シンボルタワーを設計した岡本太郎の塔は高さ70メートルと屋根の高さを大きく越えてしまう。タワーの高さを屋根より低くするように丹下健三が強要したのに、岡本太郎がこれを拒否。話し合いは行き詰まったのだが、最後は、万博会長石坂泰三の裁定で、大屋根に穴をあける折衷案に決定する。太陽の塔という命名は、この屋根に塔で穴を開けるという行為が、現東京都知事が二日間で書き上げた生涯最高作品の「太陽の季節」の一節を思い起こさせることに起因するという説もあるが、たぶん違うだろう。

157d9c99.jpgそして、実は、太陽の塔を後ろから見たことなどなかったので、後ろに回って見上げると、「そこにも顔があった」ので驚いてしまった。この背中の顔はなかなか怖い。さらに、後ろからのフォルムを見ると、まさに36歳。これから中年に向かう人間の肩の丸みを感じてしまう。酒に酔って、最寄り駅から自宅まで前かがみで歩くサラリーマン秋の夕暮れという図だ。一応、俗称は、背中の顔は「過去の顔」。正面の体についている顔が「現在の顔」。そして、頭の上についた金色の顔が「未来の顔」というそうだ。1970年から見れば、過去というのは1945年の終戦の頃なのだろうか、日本が苦しかった時代。1970年の現在の顔は高度成長経済のにほんの拡大期。そして未来というのはバブルのことだったのだろうか、あるいは沈滞した1990年代。あるいはちょうど現代のことか。

そして、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」と言ったのはCMだったが、実は、太陽の塔には4つ目の顔があったそうだ。それもごく最近までだ。

157d9c99.jpgその前に、この塔は、土台の直径が20メートルで、高さ70メートル。右手と左手はそれぞれ25メートルで、万博当時は内部を利用していて、「生命の樹」というモニュメントが体内に展示されていた。原始時代から動物が進化を続け、恐竜を経て人類にいたる過程を円谷プロのアシストを得て299体のフィギュアに表現し、ピアノ線で吊るされていた。そして、4列エスカレーターで、その中を巡回できたわけだ。ところが、万博終了後、この内部の秘宝については長く封印されてしまう。わずかに川崎市にある岡本太郎記念館の中の展示写真により、その内部展示の状況を知ることができるだけだったのだが、2003年になり、突如、期間限定で内部公開が始まる。その後も、希に公開期間を設けていたのだが、それが、今年(2007年)3月の公開をもって、しばらく休止になるそうだ(再開のめどなし)。名鉄観光のパック・チケットももうすぐ売り切れそうである。少し悩んでしまう。

そして、当時、この塔の地下展示室の底にあったのが「地底の太陽」という顔なのだ。この顔の存在が明らかになったのは2000年頃だったそうだ。兵庫県の県立美術館の建設計画が持ち上がった時に、兵庫県が先行して購入。倉庫で保管しているうちに、建設計画が消滅してしまう。そして、数年後、忘れられた「地底の顔」についての捜索が始まったのだが、今や、杳として、行方知らずということらしい。

157d9c99.jpg少なくても、美術品の価値のわかる人間が美術館計画とか立案するのではないだろうか。もちろん計画頓挫した時の後始末もだ。大阪市の倉庫で永遠に未完になるだろう市立美術館の開館を待っている150億円の美術品ほどではなくても、いくらかの資産価値はあるだろうし、何しろ管理能力最低の役人的話だ。あるいは、合法、非合法入り混じった所有権移転の末、メキシコの倉庫で長く眠っていた壁画「明日の神話」のように、突如として現代に再登場するのだろうか。

日本は倉庫料金が高いから、たぶん、すでに”南無”だろうとは思う。

日本が過去の歴史を見失ったのもこの「地底の顔」と同様なのだろうか・・