新憲法草案(自民党案)を読む

2007-01-23 00:36:11 | 市民A
f5f63a5e.jpg安部内閣は参院戦の争点として、「『憲法改正』を打ち出す」と、言い始めた。実際には、この内閣、あまり実行力がなく、総論ベースの掛け声は大きいが、各種の諮問委員会は、論客を集め過ぎているからか、まとまらない。そういうことで、憲法改正問題がどこに漂流していくのか、今のところ誰もわからない。とは言え、平成17年11月22日に自民党が「新憲法起草委員会」でまとめた48ページの小冊子を某自民党議員から入手。

まず、この「新憲法起草委員会」だが委員長が森喜朗(最大派閥)。事務総長が与謝野馨。前事務総長が中曽根弘文。全部で101名。元首相5名が含まれる。国会議員リストの筆頭に安部晋三の名があるが、単に、アイウエオ順だからだ。そして、この小冊子は奇妙なことに、36ページまでの最終案とは別に、参考資料として、平成17年7月7日にまとめられた「要綱・第一次素案」を参考資料として12ページを使って追加している。最終案の前の「素案」が、なぜ公開されたのかというのも妙な話なのだが、わたしの推測では、第一次案は、憲法の前文について「前文の考え方」を記載したのが中曽根康弘氏だったからかもしれない。そして、その「中曽根前文」は、最終案になって、すっぽり欠落している。中曽根弘文氏が事務局長を辞めたのは、そこに理由があるかもしれない。

つまり、現憲法と最終案と中曽根素案というのは、それぞれ、かなり異なる内容なのである。もっとも、前文には具体的意味が無いと言えばそれまでなのだが、そうでもないのだ。

まず、現行憲法の前文は、(1)国民主権であること。(2)平和主義(前文では軍備放棄は触れていない)。(3)国家独立の相互主義(あまり意味は無い)。というような内容をかなり念入りに記述している。

これに対して、中曽根素案は、(1)国の生成として、日本が独自文化を形成し、和の精神で国民統合の象徴たる天皇とともに歴史を刻んできたこと。(2)国の原理として、国民主権主義に加え、公共の福祉に尽力することを規定。(3)明治憲法、昭和憲法の歴史的意義を踏まえ、日本史上、初めて国民自ら主体的に定める憲法であることを記載。

さらに、自民党最終案では全体がきわめてあっさりと短く、(1)日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者としてここに新しい憲法を制定する。(2)象徴天皇制は、これを維持する。(3)国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権、平和主義、国際協調主義・・・と羅列した最後に地球環境を守るため、力を尽くす。といたって事務的表現である。

つまり、この自民党最終案というのは、憲法第9条と憲法第96条「憲法改正」以外は中曽根素案の骨抜きになっている。第11条の基本的人権のところでも、現憲法では、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」となっているのに対し、自民党案では「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」とより細かくなっている。しかし、現実は、勝手に道路建設計画で道路予定地と線引きされ、私有地の資産価額が激落したり、雇用関係では学歴・性別・年齢等の差別が横行している。誤認逮捕などしょっちゅうだ。人権については、今さら何を書いても・・という極みだ。

もっとも、中曽根素案を骨抜きにしたのも無理からぬところがあり、素案には、多くの点で首をひねるような部分が多い。日本文化は明らかに中国はじめ東洋や西洋の文化の影響を受けていて「独自」とは断言できない。天皇が国民の象徴だったのはそんなに長い期間でもない。明治憲法、昭和憲法と異なり、国民が自ら定めた憲法というのも言い過ぎで、明治憲法(伊藤博文憲法と言っていい)は、かなり長い期間、欧州各国憲法の研究の結果作られたし、現行(昭和)憲法も、大日本帝国憲法の改正案という法的形式をとっている。第一、新憲法と言っても、そのほとんどの条文案は現憲法と同じであり、そんなに国民の英知とか騒ぐのは変だ。

f5f63a5e.jpgそして、問題の第9条だが、

現行憲法第1項は、「日本国民は、正義と秩序を記帳とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する。」と書かれていて、これは自民党案でも同じ。

問題は第九条の2で、現行憲法の「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」を削除し、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。」とし、以下に、活動は国会の承認(あるいはその他の統制、というのがあいまいであるが)が必要ということと、海外活動の範囲を規定する。

要するに、自衛隊を自衛軍にしようということなのだが、実際には、戦闘範囲とかあやふやなので、豊臣秀吉みたいに半島出兵でもできそうな自由度がある。


それで、個人的意見なのだが、中曽根憲法はとんでもないが、自民党案にしても、「あまり賛成できない」。何しろ、自衛隊だからと言って、交戦権がない、と思っている国民は誰もいない。むしろ、一度も実戦経験がないために、「自衛隊は強いのか弱いのか、当の本人を含め、誰もわからない」という状態にあり、これが防衛上は具合がいい。近隣国から見れば、「交戦権がない」、と言っておきながら世界有数の軍備費を支出する油断のならない国と思われている。まして、交戦権がない国が核保有の検討までしようというのだから、早い話が、日本は何をするかよくわからないと思われているはずだ。それだけで、十分に怖いし、戦争抑止力を持っている。

すでに、交戦権がないはずの国が自衛隊を持っているのに、さらに憲法改正までして海外派兵できるようにするというのでは、それは周辺国から言えば怖過ぎるのではないだろうか。それに、最近の半島情勢を見ると、いつか、「軍備拡張」の強烈な意志を世界に表明しなければならなくなる可能性だってある。その時こそ、憲法を改定しなければならないかもしれないわけだ。「強い意志」は切り札の一つとして、とっておけばいいのではないだろうか。

さらに、もし変えるにも、暫定的変更という措置で、「半島情勢の不穏な時期が解消するまで」とか単に「10年間」とか期限付き変更というのも考えたらどうなのだろう。日本国憲法が60年間変っていない「現存する世界最古の憲法」になったのは、「崇高な理想」のせいではなく、単に「日本人の淡白さ(あきっぽさ)」から来ているに違いないからだ。安保条約だって、1960年の新安保締結の時には騒いだのに、10年経った後、1年契約の自動更新になったのに、誰も議論しなくなった。いつもそうだ。