クーベリック「わが祖国」1990年プラハ

2006-05-13 08:48:24 | 音楽(クラシック音楽他)
af521d89.jpg先日、銀座のヤマハホールである講演会を聞きに行ったのだが、会場に少し前に着いたので、1階のDVD売場を散策したのが運の付き。また妙な物に興味を持ってしまった。

クラシックの「歴史的名盤のDVDバージョン」である。といっても数あるわけではない。レコード・CDのための録音では、DVDはできない。もともとのオリジナルソースがテレビ用や記録用などに録画されていなければならない。また、歴史的という範疇にこだわれば、最近のハイヴィジョン用に録音されたものも対象からはずれる。また、各国の国営テレビは日本も含めソースを多数持っているだろうが、あまり公開していないし、名盤と呼べるか不明である。

今回、聴く(&視る)のはラファエル・クーベリック&チェコ・フィルで、スメタナ作曲「わが祖国」である。要するに1990年というのは、ソビエト崩壊で旧東ヨーロッパ体制が自由化していった時期である。1948年に西側に亡命したクーベリックが、42年ぶりにチェコに帰国。チェコの国土の魅力と歴史上の悲劇や栄光をスメタナが6部の交響詩として讃える「わが祖国」を振ったわけだ。

この演奏は、以前テレビでも視ている。ヴィデオ画質なので、その時の画像を使っているのだろうとは思う。チェコ・フィルの表現力はともかく、ご当地ソングの迫力というのが感じられるのは、楽団員の表情がアップになったりするからだろう。ただ、まったく先入観なく見ていると、どうもクーベリックの「遠慮」とか「手加減」といったものが感じられなくもない。ふと、思うと42年間、自分だけが亡命していた後ろめたさ(というかお客様感覚)があるのかもしれない。

実は、クーベリックは、この「わが祖国」を5枚演奏している。
 1952年 シカゴ響
 1958年 ウィーンフィル
 1971年 ボストン響
 1984年 バイエルン放送響
 1990年 チェコフィル

つまり、まったく異なる組み合わせで5枚の録音をしている。このDVDは5枚目である。専門家の評価は3枚目のボストンが最高で4枚目のバイエルンは完成版ということだそうだ。おそらくクーベリックは、チェコ以外では、「チェコでは、こう振るのだ!」と威張って(自信をもって)振り回していたのだろう。5枚目はオケとの協調路線ともいえる。

af521d89.jpgそして、このDVDの不思議なところは、演奏が終わったあと、付録として、クーベリックへのインタヴューや練習風景が視られる。どうも、亡命したことについてはシドロモドロのところがあって、亡命したことについては、「自由を束縛されるのは芸術家として耐え難かった」といい、「わが祖国は、チェコということではなく、その時に住んでいた、世界の総ての場所だ」とコスモポリタン風に語ったり、ある部分では「プラハのことを忘れたことは一時もない」とか豹変している。

クーベリックとチェコフィルとの42年ぶりの再開のシーンは緊迫している。出会いは、劇的に行われたわけではなく、ややぎこちなく、といったところ。練習も、怒るのではなく、おだてながらである。こんな風にだ。
「おー、すばらしい演奏です。今まで聴いた中で最高のモルダウですね。でも金管の人は、ここのところを弱く吹いたらもっといいですね。」とか・・


しかし、東西冷戦時の世界の分裂について、個人に対し、その間の変節を問うのはやめた方がいいかもしれない。ソ連だって、ブレジネフ時代には、亡命のチャンスがあれば、彼以外のすべてのソ連人は亡命しただろうといわれるくらいだからだ。

インタビューの終わりに、クーベリックは、「”わが祖国”は、スメタナが我々に与えてくれた最高のプレゼントです。将来も大事に演奏していきましょう」という趣旨で発言する。残念ながら、日本にはそれがない。

ところで、歴史的名盤DVDはそれほど大量に存在するとは思えないが、それでも集めようとすると、費用がたくさんかかりそうである。と、一瞬悩んだものの、あまり気にすることはないかな、と思いなおす。

別に臨時収入があるわけではない。趣味が長続きしないからなのだ。この前、買った一眼デジも稼働率は早くも低下。以前、岡山市で市電を見た時に、「全国市電写真集」を作ろうと思ったものの、写したのは、その岡山での1枚だけ。東京都港区で徐々に数が減少している和菓子屋さんの「港区和菓子店写真集」をつくろうと思ったものの、実績は、まだゼロ枚(つまり、考えただけ)。

まだ2枚目のDVDは買っていない。