藤堂高虎家訓200箇条(9)

2006-05-21 07:36:38 | 藤堂高虎家訓200箇条

きょうの解題は、ばっちい話が多い。もともと藤堂家の秘本だったのだろう。将来、陽の目を見て、ブロガーにつつかれるなど、想定外もいいとこだろう。


さらに、今回は、「和歌」もでてくるが、そちらの素養はまったくないようだ。


第81条 敗軍の時まめ板壱歩腹中へ呑込可然強盗にはがれたり共先にて大便に下ル物也金のみやう有口伝


負け戦の時には、まめ板一分を腹の中に飲み込むべし。強盗にはがれたとしても、別の場所で大便に下るものである。金の飲み方には口伝があるものだ。


ところが、藤堂高虎には、負け戦の経験はない。常に「勝ち馬に乗る」という方式で、勝ち抜きトーナメントを生き抜いたわけだ。そして、高虎の末裔は江戸時代の最後に鳥羽伏見の戦いで、真っ先に幕府側から薩長連合に鞍替えする。実は、薩長といえども、国許の島津、毛利の殿様は、そう倒幕派でもなかったのに、藤堂藩は上から下までこぞって掌を返したわけだ。お見事。、



第82条 手負血留なき時ハ我小便を仕かけべし


けがをして、血留めのない時は、自分の小便をかけるべし


常に膀胱に在庫をためておかなければならない。小用の際、少しばかりを残しておくべし。



第83条 常々可心得男ハおとこの遣ひ物也女ハおなこの遣物也かりそめにも女の指出并女の申事不可聞人悪事の基たるへし


常々心得るべきは、男は男の役目があり、女は女の役目がある。かりそめにも女の指し出や申すことを聞いてはいけない。悪事の基である。


「きょうは、安全だから」を信じては悪事がはじまる。



第84条 かりそめに寝ころび候ても脇指はなすへからすむさと不可置


かりそめに寝転んでも、脇差をはなしてはならない。無造作に置いてはいけない。


かりそめに寝転んで、何をするかは、もっと問題である。



第85条 不断善き人としたしむへし悪き人なりともそらすへからす心持可有


ふだんから、善人と親しむべきだ。悪人と言えどもそらすべきではない。心の持ちようがある。


言い換えると、「善人からだまされることはない。悪人からは、騙されたフリをして欺け」ということか


 
 高虎公御詠歌
友は只直なる人をむつましみいつわりなきを道と知へし
此御歌に道春老脇坂淡路殿佐久間大膳殿佐久間信濃殿延寿院各和韻被成候


友達は、ただ素直な人と仲良くなり、偽りのないのを道と知るべし。
この歌に道春老脇坂淡路殿、佐久間大膳殿、佐久間信濃殿、延寿院の和韻がある。


何か、某電器会社で毎日歌われている「社歌」のようにつまらない。和歌は下手だ。



第86条 我か人によくするに人悪敷事は有まじ古人歌に、
我よきに人のあしきかあらハこそ人のあしきハ我かあしきなり
如此常々心得肝要なり又歌に
山城の狗の渡りの瓜作りとなりかくなりなるはこころか 
兎角我心次第に能成り度ハ心なり悪敷成度も心なり可慎


自分が人に善くすれば、人が悪くすることはないだろう。古人の歌に、
自分が善くするのに人が悪くすることはないだろう。人が悪くするのは、自分が悪いことである。


このように常々心得ることが肝要である。また、歌に、
山城の狗の渡りの瓜作りとなりかくなりなるはこころか


とにかくもわが心次第によくなりたいのは心であり、悪くなるのも心次第である。慎むべし。


山城の・・・のくだりはよくわからない。文意から言うと、山城の野犬だらけのところで瓜の栽培などしなければならないほど落ちぶれるのも、自分の心持ちが悪いからということだろうか。飛躍し過ぎの感もある。


どうも、高虎は、自己責任論者なのだが、裏には、他人を惹きつける魅力があったのだろう。その真髄は「他人に親切にすることのようである」。



第87条 学文すき物の本集る共不学人ハいらさる物の本に金銀をついやす道理なり諺に論語読の論語読ずと嘲なり大形見及に心ハ邪にて景気斗の学者して見せ顔なる人多し


学問や好学者の本を集めたとしても、学ばない人は、要らない物の本に金銀を費やす道理である。ことわざに論語読みの論語読まずというあざけりがある。おおかたに見ると、心がよこしまで景気ばかりの学者風の顔をしている人が多い。


経済学者が首相の座を狙ったり、女性のスカートの中を手鏡で狙ったりするようなことを指す。いずれにしても書物は要らない。



第88条 物を知くさしたる人物しり顔にてそばつら成事を語る 脇より聞けハ笑止なり物を不知人の咄はるかまし也


物事を中途半端に知る人が、物知り顔にいい加減なことを語る。脇で聞けば、笑止ものである。物を知らない人の話の方がはるかにましである。


中途半端な知識では、クイズ番組では勝ち残れない。疑わしいことを話すときは、自信を持って論理的に話すと、脇で聞いている人も、本当のことのように錯誤するはずだ。



第89条 人の害に成噺ハ不及申害にならぬ噺にても咄聞る人により咄ても不苦か脇にてむさと不可咄人の偽我偽と成事多し心有人ハ知たる事も不知やうにもてなし嗜む是以はつかしき心根成へし


他人の害にある話は言うまでもない。害にならない話でも、話を聞く人によっては話してもいいが、脇にいて簡単に話してはいけない。他人の偽りは、自分の偽りとなる事が多い。心ある人は、知ったことも、知らないことのようにふるまう。これは、ひかえめにするという心根である。


「知ったかぶりより知らんぷり」か・・「ポ現文新」を信じてしゃべってはいけない。



第90条 無理を言ぜうのこハき人気の乱成人酒に酔ふ人には出合へからす但出合ハて不叶事あらハ詞やはらかにあらそふ事なかれ能程にして立去るへし


無理を言うような強情な人、気の乱れる人、酒に酔うような人に出会ってはいけない。ただし出会わなければならない事があれば、言葉柔らかく、争わないようにして程ほどに立ち去るべきだ。


宴会の席で、「こりゃ、先に帰るんじゃねえぞ」っていう輩を撒く方法も家訓に書いてほしい。


つづく