枕草子は随筆か日記か、あるいは・・

2006-05-05 00:00:58 | 書評
f31f10b8.jpg拘置所で読書三昧の日々を過ごした人もいるらしい。「人生で、読んだ本より書いた本の方が多い」というギネス記録を自ら破ったわけだ。

一方、一冊の本をダラダラと読んでいて疲れ果ててしまった話だ。その本は「枕草子(岩波文庫)」。この岩波文庫版は、392ページもあり、難行苦行である。電子辞書という文明の利器は、子供のいる家庭なら、何台か転がっているのだろうが、残念ながら古語辞典が含まれているものは最高級品となる。日本文学の古典はブルジョア文学だったのだが、現代でもそうなのだろうか。いずれにしても通勤電車で読むには、辞書を使うのは難しい。

有名なハイライトはもちろん読んだこともあり、知っているのだが、全部読むのは大変だし、「およそ、わかればいい」と正確性を捨てることにした。別に清少納言研究家ではないし、勝手に楽しめばいい。

そして読み出してすぐ気が付いたのだが、ブログにそっくりである。短い段もあれば超長い段もある。分析的だったり、即興的だったり。「春はあけぼの」、という有名な冒頭の段のように、「なぜ、春はあけぼので、夏は夜で、秋が夕暮れで、冬は早朝がいいのか」懇切丁寧に解説が書かれている場合もあれば、「鏡は八寸五分」とかそれで終わりで、後世の研究家を困らせるものもある。ストレートに叙情を書き綴る日もあれば、ヒネリを入れる日もある。

特に、この最初の方にある段は、愉快だ。原文(句読点と「」は文庫版による)と、拙意訳を記してみる。

 思はん子を法師になしたらんこそ心ぐるしけれ。ただ木のはしなどのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ。精進物のいとあしきをうちくひ、寝ぬるをも、わかきは物もゆかしからん、女などのある所をも、などか、忌みたるやうにさしのぞかずもあらん、それをもやすからずいふ。まいて、験者などはいとくるしげなめり。困じてうちねぷれば、「ねぶりをのみして」などもどかるいと所せく、いかにおぼゆらん。
 これはむかしのことなめり。いまはいとやすげなり。

 かわいいと思う子があって、その子を坊主にしたら、まことに気の毒である。世間では、坊主を、木の端くれのように 思っているのは、実に気の毒だ。坊主は精進物でたいそう粗末なものを食べ、生活しているのにだ。坊主でも若い者は、色々と知りたいこともあるだろう。女性などのいるところをも、忌みごとのようにして、のぞかないでいられようか。しかし、それはダメだ、といわれる。
 まして、修験者などはいっそう苦しそうである。物の怪が落ちず、つかれてちょっと眠ると「眠ってばかりいて」などと非難されるのは、まことに窮屈で、どんなにつらく思われるだろう。

 だが、こんなことは昔のことのようだ。今の坊主の生活は、まことに気楽だ。

ちょっと文体マネすると、

すさまじきもの。
もみじマークでのたりくたりと蛇行運転する翁。
公園で大声で電話する取立屋。
保釈中の被告人を追跡する記者。
すべて、いとみにくし。

さらに、ちょっとだけ調べると、このブログ風な大著を、清少納言は、僅か1ヶ月強で書いたそうである。
いとおそろしなんめり。