25歳の二人の将棋指しが、25歳の自分について語ったブログがある。一つは女流棋士である石橋幸緒四段の「ごきげん・DE・ブログ」。昨年末の誕生日に「男性プロに勝つ!」と宣言している。そして昨年後半から絶好調である。鹿島杯と女流オープンの二つのカップ戦優勝。
そして、本人のブログをいくら読んでも書かれていないが、彼女は幼児の頃から、腸の手術を繰り返し、思うように栄養がとれなかったため、成長が遅れ、養護学校に通っていた。実は、12歳で女流2級のプロになってからも、まだ通っていたのだ。彼女の特技の「将棋」の世界で努力を重ねる母子の前に、いくつかのラッキーが重なり、今の地位を得たことは、本人の著書「生きてこそ光り輝く」に詳しく書かれている。逆に現在は、将棋界で最も元気娘だ。多くのブログ読者もそれらの事情を知って応援を続けている。
そしてもう一人は、以前取り上げた島村健一君の「強く優しく明るく正しく」。彼は、全国小学生名人と中学生名人の二つのタイトルを持ち、プロ棋士をめざしながら、奨励会二段で中途退会。23歳。プロになるには、三段に上がり、リーグ戦で年間4人の枠に入らなければならないが、年齢制限まであと2年を残し、自ら去った。先日、いったん退会した瀬川氏が35歳で特例でプロ入りしたが、これからもプロ入りを狙うと宣言している島村君の前に、今日現在、公式的な道は存在しない。少なくても、アマチュア大会でバリバリ活躍しない限り、まったくありえないのだが、とりあえず都道府県の予選を勝ち抜くために、競争の厳しい東京から転居するまでの決断はしていない。
実は、島村君がなぜ奨励会を途中退会したか、その理由を知りたいと思っていた。若い頃は様々な誘惑もある。競争相手も必死だから、基本的には友人はできないし助言もない。身分制度の厳しさから、そういう甘い罠に逃れていったのだろうか、と思っていたわけだ。しかし、彼自身がそれについて記していた。
ある日昇段の一番の将棋を二歩で負けました。そこから7連敗、奨励会を休会しました。
つまり、勝てば三段昇段という大事な将棋を「二歩」という反則で負け、心理的ショックが尾を引き、その後7連敗し、精神的なショックで休会。(その後、退会届けを出すに至る)この話を読んで、「天才少年も、やはりあまりに人間的だ」と思うことができたのだが、だからといって、それはあまりにも辛い重荷になったのだろうとも思ってしまった。なにしろ、勝ち将棋を「二歩」という初歩的な反則で負けた時のダメージの大きさは、私自身きわめて良く知っているからだ。そして、そのダメージから立ち直るまで、果てしなく長い時間が必要だということもだ。彼には、まだ2年前のことだ。ここで、解説すると、将棋のルールは、要するに8種類の駒の動き方を覚えることに尽きるのだが、ただ一つ「二歩(にふ)の禁止」というルールがある。日本将棋の最大の特徴は、相手から取った駒を、盤上どこでも好きなところに打てるという点だが、「歩」についてだけは、縦の列に自分の歩があったら、その列には打てない。その反則を「二歩」といい、一生に何度か、この反則をする。プロの対局でも時々ある。(相手に「二歩」を指されると、きわめていい手に思えて瞬間的にドキッとする。読んでないからだ。)そして、自分のことを書いてみる。
今を遡ることかなり前、中学三年の時、ある県の中学生名人戦で準決勝まで4連勝。そして、最終局も圧倒的な優勢で、相手の王様を追いつめたわけだ。そして、相手の王様のまわりに彼我の金や銀が固まり、私の手番だったわけ。ここで、何か前に進む駒を王様の頭の上に打てば、以下、私の駒の方が多いので、「詰み」となり、私が県の中学生名人になったはずだ。その後、どういう進路を選んだか考えても意味がない。その時、運悪く私の駒台に乗っていたのが、「飛車」と「歩」の二枚の駒。どちらを打ってもいいと思い、歩の方を打ってしまったのだが、これが「二歩」の反則負け。「天国と地獄」というのが、概念的なコトバではなく、実在性のあるコトバであったことを知ったわけだ。
そして、そのあと長い間、駒から離れる。本格的に再開したのは24歳になってから。実に9年のブランクがあった。途中、ただ一度だけ、大学生の時、友人が都内西北部の名門大学の将棋部員だったこともあり、大学将棋部の部室を訪問したことがある。戯れに指そうと思ったら、碌に覚えていない。なんと、駒を並べた時に、飛車と角を逆に並べてしまった。相手がずいぶん憮然とした顔をしていた。「駒の並べ方もわからない初心者め!」しかし、もともと定跡派ではないので、およその感覚で指していたら、結構負けない。強い学生がいなかったのだろうが、そこにいる部員全員をなぎ倒して、風のように消えてやった。道場破り!。おそらく、「駒も並べられない」というのが、もの凄い油断を呼んだのだろう。いったん緩むと、人間って真剣になれないものなのだろう。そして負け続けると、頭に血が上り冷静さを失い、さらに負けると、怖くなる。
実は、それ以降使ったことはない戦術なのだが、強豪選手と試合をする際は、最初に飛車と角を逆に並べてみたらどうだろうか。そして、相手にまちがいを指摘させる。相手が油断することは間違いないだろう。プライドを捨てる気さえあれば、かなり勝率は高いような気がする。必勝法。
ただし、問題点が一つだけある。あなたの相手も、きょうのおおたブログを読んでいた場合だ。両者とも飛車と角を逆に並べ、互いに自分から間違いを指摘しなかった場合、そのまま指し始めるしかないが、左右逆になった盤面を見つめながら、お互いに「相手が強いのか弱いのか」知謀の限りを尽くして推測しなければならなくなる。
そして、本人のブログをいくら読んでも書かれていないが、彼女は幼児の頃から、腸の手術を繰り返し、思うように栄養がとれなかったため、成長が遅れ、養護学校に通っていた。実は、12歳で女流2級のプロになってからも、まだ通っていたのだ。彼女の特技の「将棋」の世界で努力を重ねる母子の前に、いくつかのラッキーが重なり、今の地位を得たことは、本人の著書「生きてこそ光り輝く」に詳しく書かれている。逆に現在は、将棋界で最も元気娘だ。多くのブログ読者もそれらの事情を知って応援を続けている。
そしてもう一人は、以前取り上げた島村健一君の「強く優しく明るく正しく」。彼は、全国小学生名人と中学生名人の二つのタイトルを持ち、プロ棋士をめざしながら、奨励会二段で中途退会。23歳。プロになるには、三段に上がり、リーグ戦で年間4人の枠に入らなければならないが、年齢制限まであと2年を残し、自ら去った。先日、いったん退会した瀬川氏が35歳で特例でプロ入りしたが、これからもプロ入りを狙うと宣言している島村君の前に、今日現在、公式的な道は存在しない。少なくても、アマチュア大会でバリバリ活躍しない限り、まったくありえないのだが、とりあえず都道府県の予選を勝ち抜くために、競争の厳しい東京から転居するまでの決断はしていない。
実は、島村君がなぜ奨励会を途中退会したか、その理由を知りたいと思っていた。若い頃は様々な誘惑もある。競争相手も必死だから、基本的には友人はできないし助言もない。身分制度の厳しさから、そういう甘い罠に逃れていったのだろうか、と思っていたわけだ。しかし、彼自身がそれについて記していた。
ある日昇段の一番の将棋を二歩で負けました。そこから7連敗、奨励会を休会しました。
つまり、勝てば三段昇段という大事な将棋を「二歩」という反則で負け、心理的ショックが尾を引き、その後7連敗し、精神的なショックで休会。(その後、退会届けを出すに至る)この話を読んで、「天才少年も、やはりあまりに人間的だ」と思うことができたのだが、だからといって、それはあまりにも辛い重荷になったのだろうとも思ってしまった。なにしろ、勝ち将棋を「二歩」という初歩的な反則で負けた時のダメージの大きさは、私自身きわめて良く知っているからだ。そして、そのダメージから立ち直るまで、果てしなく長い時間が必要だということもだ。彼には、まだ2年前のことだ。ここで、解説すると、将棋のルールは、要するに8種類の駒の動き方を覚えることに尽きるのだが、ただ一つ「二歩(にふ)の禁止」というルールがある。日本将棋の最大の特徴は、相手から取った駒を、盤上どこでも好きなところに打てるという点だが、「歩」についてだけは、縦の列に自分の歩があったら、その列には打てない。その反則を「二歩」といい、一生に何度か、この反則をする。プロの対局でも時々ある。(相手に「二歩」を指されると、きわめていい手に思えて瞬間的にドキッとする。読んでないからだ。)そして、自分のことを書いてみる。
今を遡ることかなり前、中学三年の時、ある県の中学生名人戦で準決勝まで4連勝。そして、最終局も圧倒的な優勢で、相手の王様を追いつめたわけだ。そして、相手の王様のまわりに彼我の金や銀が固まり、私の手番だったわけ。ここで、何か前に進む駒を王様の頭の上に打てば、以下、私の駒の方が多いので、「詰み」となり、私が県の中学生名人になったはずだ。その後、どういう進路を選んだか考えても意味がない。その時、運悪く私の駒台に乗っていたのが、「飛車」と「歩」の二枚の駒。どちらを打ってもいいと思い、歩の方を打ってしまったのだが、これが「二歩」の反則負け。「天国と地獄」というのが、概念的なコトバではなく、実在性のあるコトバであったことを知ったわけだ。
そして、そのあと長い間、駒から離れる。本格的に再開したのは24歳になってから。実に9年のブランクがあった。途中、ただ一度だけ、大学生の時、友人が都内西北部の名門大学の将棋部員だったこともあり、大学将棋部の部室を訪問したことがある。戯れに指そうと思ったら、碌に覚えていない。なんと、駒を並べた時に、飛車と角を逆に並べてしまった。相手がずいぶん憮然とした顔をしていた。「駒の並べ方もわからない初心者め!」しかし、もともと定跡派ではないので、およその感覚で指していたら、結構負けない。強い学生がいなかったのだろうが、そこにいる部員全員をなぎ倒して、風のように消えてやった。道場破り!。おそらく、「駒も並べられない」というのが、もの凄い油断を呼んだのだろう。いったん緩むと、人間って真剣になれないものなのだろう。そして負け続けると、頭に血が上り冷静さを失い、さらに負けると、怖くなる。
実は、それ以降使ったことはない戦術なのだが、強豪選手と試合をする際は、最初に飛車と角を逆に並べてみたらどうだろうか。そして、相手にまちがいを指摘させる。相手が油断することは間違いないだろう。プライドを捨てる気さえあれば、かなり勝率は高いような気がする。必勝法。
ただし、問題点が一つだけある。あなたの相手も、きょうのおおたブログを読んでいた場合だ。両者とも飛車と角を逆に並べ、互いに自分から間違いを指摘しなかった場合、そのまま指し始めるしかないが、左右逆になった盤面を見つめながら、お互いに「相手が強いのか弱いのか」知謀の限りを尽くして推測しなければならなくなる。