モーツアルトイヤー

2006-01-16 21:50:40 | 音楽(クラシック音楽他)

dcc524e5.jpg2006年はにぎやかだ。まず、ワールドカップイヤー。それにトリノ五輪。そして忘れてはならないのが、モーツアルトイヤーだ。1756年1月27日生まれなので、生きていれば今年250歳になる。が、普通、世間の常識ではそうは言わずに、「生誕250年祭」という。

ところで、ちょっと前にもモーツアルトイヤーがあって、CDをたくさん買った記憶があるのだが、それは、「没後200年記念」だったわけだ。1791年12月5日没だから、1991年のことだったのだろう。早15年。

実は、モーツアルトは35歳で亡くなってしまったので、こういうように没後メモリアルと生誕メモリアルが15年で来るのだが、今年の生誕250年祭の次は、没後250年ということになり、35年の間隔になる。生誕と没年のそれぞれを50年刻みで祝っていくと、こんなことになる。

1991(没200)、2006(誕250)、2041(没250)、2056(誕300)、2091(没300)・・・

これでは、メモリアルイヤーの間隔が、15、35、15、35、15、・・・ということになる。本当は25歳か75歳で亡くなられれば等間隔になったのだが、それでは何とかならないものかと考えてみた。つまり逆算すると彼が17か18歳の時のイベントを見つけることができれば、きれいに50年間に3回、均等にお祭りができるわけだ。

そして、あれこれ考えて探し出したのが、K.183、交響曲第25番ト短調。1773年10月10日に完成した。モーツアルト17歳の作品。交響曲第25番は、後年の第40番ト短調としばしばセットで「小ト短調」と呼ばれるのだが、最初の大名作交響曲と言われる。最初の才能の大爆発という意味で、何か「聖ト短調イヤー」とかならないものだろうか。

そしてこの25番には通称がないので、番号で呼ばなければならないのだが、モーツアルトには同様に、あの交響曲の横綱ともいえる「交響曲第40番」にベートーベンの「運命」のような通称がついていないことも不思議だ。そして、このなぜ通称がないのかということを論じた諸説は多いのだが、いずれもパリッとしない。例えば、38番には「プラハ」と名前がついている。39番には名前がない。次の41番には「ジュピター」と名前がついている。現代の通常のアンケートなどでは、まず40番とベートーベンの運命が人気を二分する。なかなかこの問題は解けないのだが、私なりに妥協的な答えを用意すれば、「名前をつけるまでもなく、有名」ということなのかとも思うし、もう少しふざけた言い方をすれば、40も交響曲を作曲する人間は他にはいないから、「40番」と言えば、他の作曲家と区別できる、ということぐらいか・・

ところで、話は代って、このモーツアルトを「釣り餌」として、旅行会社がモーツアルトツアーを設定している。例えばJTBのパンフレットは華やかなのだが、ちょっと標準的なコースプランを紹介してみる。
1日目:フライト
2日目:モーツアルトディナーコンサート(室内楽付き夕食)
3日目:お土産に有名なモーツアルトクーゲルンとピアノの旋律の似合うウィーンのカフェ
4日目:高さ32メートルの自然史博物館屋上からウィーン市内を一望
5日目:体験型博物館「音楽の家・ウィーンフィル博物館」入場観光&ワイン造り酒屋ホイリゲで楽士の奏でるバイオリンやアコーディオンの音楽とともに、ワインとハムとソーセージをつまみ、ウィーンの夜を楽しむ
6日目:フライト

*まったく、最初から5日目夜のコースに直行したいものだ。