東京虎ノ門のJTビル。通称「タバコビル」(屋上に灰皿状のモニュメントがあるため、「吸殻ビル」とも呼ばれる)2階のJTアートホール「アフィニス」で、定期的に開かれる昼休みを利用した「アフターヌーンコンサート(無料)」で東京藝術大学在籍の学生たちによる能楽を観賞。
フルコースの能は1時間半ほどかかるが、そのクライマックス部分だけを演じる「舞囃子(まいばやし)」という形式。少しニュアンスは違うが、オペラの序曲を聴くような感じだ。楽曲が中心で、シテ役は能面ではなく素顔で紋付袴という出で立ち。所要時間は15分と短いので、前座で解説をしてもらった。
まず、能楽と一言で言った場合、能と狂言に分かれるそうだ。その二つの総称が能楽。そして、その能の中のダイジェスト版に楽曲を組み合わせたものを「舞囃子」というそうだ。演奏に使われる楽器は3種。大鼓(おおつづみ)は直径が40センチほどの太鼓で、演奏前に馬の皮を炭火で炙り、乾燥させた上、桜でできた胴に麻紐で硬く締め上げる。手のひらでたたくのだが、甲高く拍子木のように乾燥音になる。次に小鼓(こつづみ)。直径25センチ程か。大鼓と逆に、皮に湿気を与え、弛ませてたたく。いくつもの音色を出すために技巧が特に必要。そして能管(のうかん)という横笛。音程がわざとずれるような音色で、幽玄の味をだすそうだ。そして、調子の合の手を、ハアッ、ホッ、と入れる。そして、地唄が入る。
音楽としては、これだけの仕掛けで大音量だ。以前、雅楽を聴いたときも、少ない楽器で大音量が出ると思ったが、和楽器の特徴かもしれない。基本的には、和音より一人一人の節が重要とされるのは、この少人数制のせいかもしれない。
そして出し物は「草紙洗小町(そうしあらいこまち)」。実は、この話が面白い。ストーリー上の主要登場人物は主役ニ人に脇役は帝と紀貫之の二人。
まず、小野小町(おののこまち)。才色兼備の世界三大美女の一人。ただし、百人一首のカルタでは後ろを向いていて、顔を出し惜しみしている(どこかのブロガ-のように)。能の世界では、前半の才色兼備の時期と後年(寿命90歳以上という説がある)落ちぶれて、放浪の身になったという伝承による老年期の話がよく登場するらしい。実際には、天皇の更衣だったとする説が強く、したがって老年に放浪などしなかったはずだ。
おおた註:この百人一首のカルタで小町が後ろを向いているというくだりは、Wikipedia「小野小町」からの援用なのだが、カルタの多くは、小野小町にこちらを向かせて顔を描いている。例えば、白洲正子著「愛蔵版・私の百人一首」の中で元禄時代作として公開されているカルタの写真でも小野小町はこちらを向いている。しかし、それが、気に入らないのか88番皇嘉門院別当、89番式子内親王は完全にむこう向き、62番清少納言は80%むこう向きとなっている。女の世界は難しい。
次に大伴黒主(おおとものくろぬし)。六歌仙の一人とされるが、古今和歌集仮名序に「大伴黒主はそのさまいやし。いはば薪を負へる山人の花の陰にやすめるが如し」と評される。早い話が、陰険男だったらしい。(「いやし」、というのは「いやしい」という意味で、「癒し系」という意味ではない)
ある時、この二人が、宮中で帝の前での歌合せで対決することになった。しかし、どうみても黒主には勝ち目がない。そのため前日になり、黒主は小町の館に忍び込み、朗詠を練習中の和歌を盗み聞く。そして、事件は歌合せの当日起こる。つまり、いくら黒主が小町の和歌を先に知っていたとしても、それ以上の和歌を作らなければせっかくのスパイ行為も実らないのだが、なんと黒主は、小町が詠んで帝の御意に叶った歌について、「その歌は、万葉集にある”読み人知らず”の古歌の盗作である」と因縁をつけたわけだ。
そして、動かぬ証拠として、手元から万葉集の草紙版を取り出すと、そこに小町が詠んだ歌が記されていたわけだ。万葉集は膨大な規模で、だれも全部は知らないだろうという読みだったのだろうが、それなら、都合よくその部分の草紙を持っていたことは、どう説明するのだろう。
そして、その草紙を、当日の審判の紀貫之を含めた関係者が取り囲み、押し問答をするうちに、聡明な小野小町が「そこだけ、墨色が新しい」と発見したわけだ。そして紀貫之が、草紙を水で洗ってみると、まだ墨が草紙に染み込んでいなかったため、小町の歌だけが流れ落ちてしまい、黒主の悪計が発覚(ファン・ウソック教授のような話だ)。
黒主はその場で悪事露見を恥じ、自害しようとするが、小町も帝もこれを許した、という筋立てだ。
これを現代的な法律にあてはめると、
小町の館に侵入-->住居侵入罪
歌を盗聴 -->適用法なし
草紙偽造 -->著作権法違反
自害しようとする-->銃刀法違反
盗作疑惑をかける-->詐欺? 名誉毀損
調べているうちに、現代日本には「盗聴」を直接的に違法とする法律がないことがわかった。盗聴器をとりつける行為とか、電話線を改造する行為には罪名がつくし、痴漢行為の一部として軽犯罪法が適用になったり、猥褻図書を販売したりすると法令違反になる。しかし、いわゆる「盗み聞き」は罪に問われないようだ。
それなのに、「盗聴法」という、捜査上、盗聴を認める法律ができた。そして、帝をもだまそうという行為は、戦前であれば、おそろしい法律に抵触した可能性がある。それは「不敬罪」だ。