カール・ユーハイム物語(7)

2006-01-22 00:00:32 | カール・ユーハイム物語
巨大な津波が押し寄せる前には、突然に潮が引き、美しい砂浜が現れるという。ユーハイム家にも一方で平和と希望の兆しと、他方、迫り来る運命の足音が交錯することになる。

1932年(昭和7年)、ドレスデンにあるフリーメーソン系の学校に行っていた長男ボビーが退学し、日本に戻ってくる。そして、菓子職人の道を進むことを宣言する。17歳の決断。もちろん、両親ともそれが、最高の望みだったわけだから、家に活気が出てくる。そして、一応の技術を教えたあと、再度本国の専門学校に送り出すことになった。ボビーはその後、1939年(昭和14年)に日本に戻るが、その時はすでに2年前に結婚したマルゲリータ夫人とこどものカールハインツと一緒であった。ボビー夫妻はこの後、続けて3児を出産する。

また、経営が軌道に乗ったあとは、時間を見て夫妻で日本国内の旅行をしていたそうだ。奈良・京都はもちろん、夏を軽井沢で過ごしたり、菅平でスキーをしたり、箱根宮の下の富士見ホテルにも泊まっている。50歳を少し回った頃、彼は人生の前半での苦労を振り返り、長男への事業の相続を考え、残る余生を妻と楽しもうと、ごく普通に考えていたに違いない。

しかし、世界中の人々は、それからの10年を恐怖の剣の上で走り回らなければならなくなる。

1937年7月7日。7が三つ並んだ幸運であるべき日、カール・ユーハイムの頭脳に大きなハンマーが振り下ろされた。盧溝橋事件が発生。日中間で銃弾が飛び交う。この事件をラジオで知った瞬間、カールは大きな動揺を受けたそうだ。ショックでふさぎこむ。この後、カールの日常行動には徐々に変調が現れる。馬に乗って街を歩いたり、脈略のないことばを話したりするようになる。大阪長瀬の神経科に入院することとなるが、隙をみて逃げ出したりしている。このため、エリーゼは意を決し、再度、ドイツに戻りカールをニンローデの病院に入院させている。カールの精神には、再度近づく軍靴は耐え難かったのだろう。

一方、戦局の拡大は、ユーハイムの店にも大きな影響を与える。1938年(昭和13年)には、従業員の中から初めての召集があり、その後も一人また一人と櫛の歯が抜けていくのである。さらに、1939年(昭和14年)3月には今までチーフとして、大黒柱だったタムラ氏が通勤中に脳卒中で急死する。

さらに戦局は、アジアにとどまらず欧州で爆発。1939年9月1日。ドイツはポーランドに侵攻。9月3日、フランス、英国が対独宣戦布告を行う(西部戦線)。

1940年、多くの困難に囲まれたエリーゼは再びドイツにわたり、以前、カールの腫瘍摘出手術を執刀したヘカテル医師を訪ね、入院中の夫の病状について相談しようとする。しかし、ベルリンについた彼女を待っていたのは、数日前に死亡した、へカテル医師の死亡を報じた新聞であった。しかし、幸いなことに、カールは以前よりは回復していて、まさに世界戦争の間隙をつき日本に帰ってくる。1940年(昭和15年)6月。カール53歳。

ドイツは翌1941年6月22日に対ソ戦開始。日本も1941年12月8日、真珠湾を攻撃する。そして、歴史の非情さは、27年前、母国ドイツとは遠く離れた中国青島にいたカール・ユーハイムを運命の網に捕らえたように、とうとう、神戸にいたボビーにも手を伸ばしたのである。1942年(昭和17年)8月、神戸のドイツ領事館がボビーを呼び出す。召集。まもなく彼は、潜水艦によってドイツ本国に向かうのである。

その後、日本の国力は日々に低下し、ユーハイムは原料も入手できなくなる。かろうじて神戸に駐屯していたドイツ潜水艦水兵が持ち込む小麦粉でドイツ兵用のパンを焼くだけになる。まれに、配給でわずかな原料が入れば、そのまま闇で流せば儲かると知っていても、一枚でも多くと、できる限りの菓子を作っていたそうだ。

afa4be17.jpgしかし、カールの青島、銀座、横浜、神戸と39年間の菓子職人としての苦闘が終わる日が来る。1945年6月5日。神戸大空襲。エリーゼの避難していた六甲山の知人宅もカールが住んでいた自宅も難は逃れたものの、工場は壊滅。

失意の夫妻は六甲山ホテル109号室に住まいを移すことになるのだが、二つの新型爆弾の被害が報じられる中、1945年8月14日、午後6時、カールは安楽椅子に座ったまま、安らかに深い深い眠りに付いた。58歳。死亡診断書に記された病名は中風症。

時は、同日の御前会議でポツダム宣言受諾が決定し、最終受諾文書を作成中の時刻である。そしてカールの死の7時間後、1945年8月14日、23時、連合国側に打電。

永眠の数分前、エリーゼに語ったことばは、「私は死にます・・・けれど、平和はすぐ来ます・・・神様か、菓子は・・・」そして、ユーハイム物語は、最後の1ページを残すだけになっている。