江戸時代、江戸を中心とした五街道というのがあり、日本橋を基点としていた。もっと正確に言うと、日本橋から南に向かうのが、東海道と甲州街道。北に向かうのが奥州街道と中山道。日光街道は奥州街道から途中分かれる。
そして、その後、明治末期に石造りの洋式橋として架け直され、今日にいたるのだが、問題は、東京オリンピックのどさくさにまぎれて完成した首都高速環状線が、日本橋の上空をふさいでしまったために、いつも真っ暗な上、景観が台無しになったことだ。橋といえば日本全体でガッカリ橋が多い(めがね橋、はりまや橋・・)が、それ以上の世界規模のガッカリ度だ。このあたりは2005年3月4日号弊ブログ「日本橋の今昔」に記したのだが、最近、非常に大きな動きがあった。小泉首相が「一声」放ったわけだ。12月26日の毎日記事から引用する。
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小泉純一郎首相は12月26日、奥田碩日本経団連会長ら4人の有識者を首相官邸に呼び、東京・日本橋の景観を美しくするため、橋の上をまたがり、川に沿って走る首都高速道路の移設を検討する有識者会議を設ける考えを明らかにし、協力を要請した。有識者らによると、首相は「私が辞める(2006年9月)までに報告書を出してほしい」と期限を付けたという。
奥田氏の他に呼ばれたのは、作家の三浦朱門氏、伊藤滋早稲田大教授(都市計画専攻)、中村英夫武蔵工大学長(土木工学専攻)。現在の日本橋は明治44年(1911年)に架けられ、99年には重要文化財に指定されている。日本橋の上の首都高移設については、すでに国土交通省が03年8月から東京都や学識者による「みちと景観を考える懇談会」を設けて検討を続けている。
首相は26日夜、記者団に「川のたもとを散歩で楽しめるように、日本橋の昔ながらの名勝を復活させ、世界的な名所にしたい」と狙いを説明した。
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ここで、いきなり話に入る前に、基礎的な関係を整理してみる。
まず、なぜここに高速道路ができたか?という点だが、おそらくは水の上しか、あいていなかったということだろうと確信できる。水道橋の上からずっと水の上をこの首都高は通っている。
そしてこの日本橋の下を流れる川はどこから来ているかというと、善福寺池から流れ出す善福寺川が、井の頭池から流れ出す神田川に合流し、その神田川が隅田川に合流する手前、水道橋のあたりから江戸城内堀に向かって支流が切り込まれ、日本橋を経て、東京湾へ流れていくようになっている。つまり、神田川本流ではなく、江戸城の堀の水を引き込むための人工河川であるわけだ。
ということで、機能的には粗末にされやすいわけだ。(もちろん川を埋めてしまえば、神田川はさらに頻繁に大洪水を起こすだろうから、それは駄目だ)
そして、頭の中のニューロンがスパゲティみたいにでたらめな設計者が作った首都高速の中で、この場所がどういう意味があるかというと、大変困ったことに、環状線の北側の一部になっているわけだ。つまり、この部分を単純に壊してしまうと、一周できなくなる。南側を回るしかないが、当然、南側の交通量は2倍になり、首都高自体が、まったく機能しなくなるだろう。
さらに日本橋を迂回して地下で東京駅、あるいは神田、両国方面に抜けようとしても地下は既に地下鉄や各種共同溝で掘りつくされていて、場所がない。さらに地上にも代替スペースは見当たらない。地下鉄も南北方向には銀座線と都営線、東西方向には東西線と半蔵門線が交差している。
ここで少し考えてみる。実は、首相の頭の中は、あるモデルが浮かんでいるのではないだろうか。
非常に似ている案件がソウル市にあった。2002年だ。
清渓川(チョンゲチョン)再生事業である。清渓川はソウル市内を南北に分ける漢口の支流だが、その川の上を利用し、6キロにわたり高架の都市高速道路が通っていたわけだ。さらに、都市化の代償として、この小流は完全にゴミの川に化してしまい、川に蓋をかぶせるという、いたって安易な方法で対処していたそうだ。
ところが、高速道路の老朽化が大問題になってきたわけだ。このままだと老朽化によって道路が崩落するということ。(以前、中東某国で、韓国社製のインターチェンジが完成後1週間で崩壊する事件があったが、そういう国だ。日本も似てきたが・・)
当然ながら、環境問題、財政問題、利権問題とか入り混じったのだが、ソウル市長選で清渓川再生計画を掲げた候補が当選するに至り、結局、高速は廃止され、川の蓋ははずされ、下水の流入を禁止し、美しい川が復活し、都市再生モデルとして、多くの国から視察団が見学に訪れることになったわけだ。
そして、高速道路はどうなったかと言うと、「単になくなった」ということなのだ。
実は、引用文中にある「みちと景観を考える懇談会」が2004年に民間からアイディアを募集している。しかし、あまりいい案はなかったというのだ。それは、指定条件として、代替道路を作るということがあったからだそうだ。「景観」は重要だが、そのために失うものが巨大すぎても困る、ということで、それもそうだ。
そして、このいくつかの清渓川見学団の中に、日本の(株)都市総合計画代表取締役、司波寛氏という方がいて、2005年2月の出張のあとレポートを書いている。その中で、東京の状況について、「現在工事中の環状6号地下に建設される”首都高中央環状線”が完成した段階で、山手線内のすべての高速道路を廃止してしまえばいい」と書いてあるのだ。
さらに、「日本の場合、あらゆるシミュレーションを行ってから実施するが、韓国は先に実施してから、後で問題を考える」と韓国での事業速度の速さをほめている。
実際、彼の意見は過激過ぎるとは思うが、首相が「日本橋問題」について選んだ人選は、かなり大物ばかりである。大物に期待するのは、当然「豪快な結論」であるのだから、少し心配である。邪魔とは言え、道路が国家全体の資産であるのも事実。こわすのは簡単だが、元には戻らないし、韓国のようにもうすぐ崩落するというわけでもない。
さらに、首都高も民営化したのではなかったかと思うし、万博会場の弁当持込問題とは口を出す規模が違うということがわかっているのだろうかとも思ってしまう。
ただし、私も個人的には、日本橋に青空を取り戻せないかとは、ずっと思っている口なので、現実的なプランを考えてみた。
プラン1
日本橋上空の道路を、川の中にチューブ状のトンネルを作り、そこに封じ込める。アクアライン方式。全体の交通システムに影響を与えないのがメリット。川底を白魚ならぬクルマが走るわけだ。(橋の上で左右を見ないこと)
プラン2
もっともおカネがかからない方法なのだが、現在の「日本橋」そのものをあきらめて、1区画南側に「概念上の日本橋」をつくる。もちろん下に川がないのでちょっとアーチ上にアスファルトを盛り上げれば完成だ。1,000万円くらいでできるかもしれない。(が、これでいいという人間は、まずいないだろう。)
そして、その後、明治末期に石造りの洋式橋として架け直され、今日にいたるのだが、問題は、東京オリンピックのどさくさにまぎれて完成した首都高速環状線が、日本橋の上空をふさいでしまったために、いつも真っ暗な上、景観が台無しになったことだ。橋といえば日本全体でガッカリ橋が多い(めがね橋、はりまや橋・・)が、それ以上の世界規模のガッカリ度だ。このあたりは2005年3月4日号弊ブログ「日本橋の今昔」に記したのだが、最近、非常に大きな動きがあった。小泉首相が「一声」放ったわけだ。12月26日の毎日記事から引用する。
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小泉純一郎首相は12月26日、奥田碩日本経団連会長ら4人の有識者を首相官邸に呼び、東京・日本橋の景観を美しくするため、橋の上をまたがり、川に沿って走る首都高速道路の移設を検討する有識者会議を設ける考えを明らかにし、協力を要請した。有識者らによると、首相は「私が辞める(2006年9月)までに報告書を出してほしい」と期限を付けたという。
奥田氏の他に呼ばれたのは、作家の三浦朱門氏、伊藤滋早稲田大教授(都市計画専攻)、中村英夫武蔵工大学長(土木工学専攻)。現在の日本橋は明治44年(1911年)に架けられ、99年には重要文化財に指定されている。日本橋の上の首都高移設については、すでに国土交通省が03年8月から東京都や学識者による「みちと景観を考える懇談会」を設けて検討を続けている。
首相は26日夜、記者団に「川のたもとを散歩で楽しめるように、日本橋の昔ながらの名勝を復活させ、世界的な名所にしたい」と狙いを説明した。
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ここで、いきなり話に入る前に、基礎的な関係を整理してみる。
まず、なぜここに高速道路ができたか?という点だが、おそらくは水の上しか、あいていなかったということだろうと確信できる。水道橋の上からずっと水の上をこの首都高は通っている。
そしてこの日本橋の下を流れる川はどこから来ているかというと、善福寺池から流れ出す善福寺川が、井の頭池から流れ出す神田川に合流し、その神田川が隅田川に合流する手前、水道橋のあたりから江戸城内堀に向かって支流が切り込まれ、日本橋を経て、東京湾へ流れていくようになっている。つまり、神田川本流ではなく、江戸城の堀の水を引き込むための人工河川であるわけだ。
ということで、機能的には粗末にされやすいわけだ。(もちろん川を埋めてしまえば、神田川はさらに頻繁に大洪水を起こすだろうから、それは駄目だ)
そして、頭の中のニューロンがスパゲティみたいにでたらめな設計者が作った首都高速の中で、この場所がどういう意味があるかというと、大変困ったことに、環状線の北側の一部になっているわけだ。つまり、この部分を単純に壊してしまうと、一周できなくなる。南側を回るしかないが、当然、南側の交通量は2倍になり、首都高自体が、まったく機能しなくなるだろう。
さらに日本橋を迂回して地下で東京駅、あるいは神田、両国方面に抜けようとしても地下は既に地下鉄や各種共同溝で掘りつくされていて、場所がない。さらに地上にも代替スペースは見当たらない。地下鉄も南北方向には銀座線と都営線、東西方向には東西線と半蔵門線が交差している。
ここで少し考えてみる。実は、首相の頭の中は、あるモデルが浮かんでいるのではないだろうか。
非常に似ている案件がソウル市にあった。2002年だ。
清渓川(チョンゲチョン)再生事業である。清渓川はソウル市内を南北に分ける漢口の支流だが、その川の上を利用し、6キロにわたり高架の都市高速道路が通っていたわけだ。さらに、都市化の代償として、この小流は完全にゴミの川に化してしまい、川に蓋をかぶせるという、いたって安易な方法で対処していたそうだ。
ところが、高速道路の老朽化が大問題になってきたわけだ。このままだと老朽化によって道路が崩落するということ。(以前、中東某国で、韓国社製のインターチェンジが完成後1週間で崩壊する事件があったが、そういう国だ。日本も似てきたが・・)
当然ながら、環境問題、財政問題、利権問題とか入り混じったのだが、ソウル市長選で清渓川再生計画を掲げた候補が当選するに至り、結局、高速は廃止され、川の蓋ははずされ、下水の流入を禁止し、美しい川が復活し、都市再生モデルとして、多くの国から視察団が見学に訪れることになったわけだ。
そして、高速道路はどうなったかと言うと、「単になくなった」ということなのだ。
実は、引用文中にある「みちと景観を考える懇談会」が2004年に民間からアイディアを募集している。しかし、あまりいい案はなかったというのだ。それは、指定条件として、代替道路を作るということがあったからだそうだ。「景観」は重要だが、そのために失うものが巨大すぎても困る、ということで、それもそうだ。
そして、このいくつかの清渓川見学団の中に、日本の(株)都市総合計画代表取締役、司波寛氏という方がいて、2005年2月の出張のあとレポートを書いている。その中で、東京の状況について、「現在工事中の環状6号地下に建設される”首都高中央環状線”が完成した段階で、山手線内のすべての高速道路を廃止してしまえばいい」と書いてあるのだ。
さらに、「日本の場合、あらゆるシミュレーションを行ってから実施するが、韓国は先に実施してから、後で問題を考える」と韓国での事業速度の速さをほめている。
実際、彼の意見は過激過ぎるとは思うが、首相が「日本橋問題」について選んだ人選は、かなり大物ばかりである。大物に期待するのは、当然「豪快な結論」であるのだから、少し心配である。邪魔とは言え、道路が国家全体の資産であるのも事実。こわすのは簡単だが、元には戻らないし、韓国のようにもうすぐ崩落するというわけでもない。
さらに、首都高も民営化したのではなかったかと思うし、万博会場の弁当持込問題とは口を出す規模が違うということがわかっているのだろうかとも思ってしまう。
ただし、私も個人的には、日本橋に青空を取り戻せないかとは、ずっと思っている口なので、現実的なプランを考えてみた。
プラン1
日本橋上空の道路を、川の中にチューブ状のトンネルを作り、そこに封じ込める。アクアライン方式。全体の交通システムに影響を与えないのがメリット。川底を白魚ならぬクルマが走るわけだ。(橋の上で左右を見ないこと)
プラン2
もっともおカネがかからない方法なのだが、現在の「日本橋」そのものをあきらめて、1区画南側に「概念上の日本橋」をつくる。もちろん下に川がないのでちょっとアーチ上にアスファルトを盛り上げれば完成だ。1,000万円くらいでできるかもしれない。(が、これでいいという人間は、まずいないだろう。)