小さな差か?

2005-02-22 19:59:51 | 市民A
20日ほど前に、出張先でわずかなスキマ時間があり、ビジネスホテルでテレビを見ていた。何しろちょっとした打ち合わせと宴会という困ったスケジュールだったので、宴会時間待ちの夕方の1時間である。地方へ行くと、関東とチャンネルが異なるのでいい加減にチャンネルを換えていると国会中継を流していた。予算委員会。たぶんNHKなのだろう。(ホテルの場合、規定だと受信料は全部屋分を徴収しなければならないのだが、あくまでも推定ではあるが、「とりあえず、O室分だけ」というようなことが多いらしい。もちろん、そのホテルについては証拠がないのでよくわからない。(NHKの話はこれで終わり)

さて、途中から見て、途中で終わったので、ただの感想なのだが、日本共産党の志位委員長が代表質問をして、小泉首相はじめとする、各閣僚が答弁するという形式だった。(始めに明らかにしておくと、私はいわゆる「支持政党流動層」であり、選挙の都度、考えるタイプである)

論戦を聞いていて、何か奇妙なめまいを感じたのは、志位氏の質問と、小泉・竹中両氏をはじめとする内閣側の答弁は、かなり同じことの裏返しというか、トンネルの両端のような展開をなしていて、話がぴったり合うわけだ。民主党とは対決的になるのに、どうして日本共産党とはこううまく対話ができるのだろうか。

一つの理由は、もちろん民主党の場合は、政権を狙いうる場所にいて、政府の失言の一つでもあれば、ただちに反撃されると言う、「緊張関係」にあるということなのだろう。日本共産党にはそこまでのチャンスはない。

論争は、結構高尚な話題で、志位氏が「小泉改革のせいで労働分配率が下がった。」と言う点に対して、竹中氏は「今は下がっているが、波動性があって、高すぎたものの調整時期にあり、失業対策は重要」とか「無駄な公共事業はやめてほしい」といったことに対して、「公共事業は減らしているが、不満な人もいて・・」とか要するにどちらも大企業の景気をよくして、中小企業へ還元していく過程で出る失業等の社会のゆがみを補正し、国家財政を健全化するために公共事業を圧縮し・・・というように、論戦風にならない。

少しひっかかっていたのだが、最近、米国大統領選あたりのことと比較して考えると、「日本の政党は主張の差が少ない」のではないかと思い始めたのである。日米の政党をザックリと較べてしまうと、米国民主党の政策により近いのは、日本共産党ではないかな。若干の保護主義。そして自民党は共和党よりも少し左より(米国民主党寄り)で、ほとんど同じような場所に、日本の民主党とか公明党や社民党がいるように思う。つまりアメリカの2大政党よりももっと狭い距離の中にすべての政党がいるのではないかな。早い話が政策だけ聞いて政党を言い当てる自信は「当の党首にも」ないのではないかな。

米国では、前回の大統領選挙で、「二つのアメリカ」の危機が深刻化している。「ブッシュの顔をメディアで見ただけで塞ぎこんでしまう」という精神病まで現れているようだ。国の両サイドの海岸が民主党支持で、中央部分が共和党支持。(カリフォルニア州知事が共和党なのには違和感があるが、シュワちゃんの主張は民主党と同じなので、民主党候補がもっと左よりのリベラルな主張をしなければならないために、楽勝になるそうだ)ホテルのケーブルテレビも、民主党寄りのCNNが見られるホテルと共和党寄りのFOXテレビが見えるホテルとわかれていて、予約する時には、確認しなければならない、とか聞くと、うなってしまう。

一方、日本には国内的な政治対決が起きそうもないのは、「民主主義の未熟」によるものなのか、「来るべき国益侵害の恐れに対する国民の団結の知恵」によるものかははっきりしないのだ。


ところで、論戦はともかく、テレビ中継を見ていて始終気になったのは、当日、出番がなく退屈していた経済産業大臣の中川昭一氏が、政府側最前列の椅子に座っていながら、靴を脱いで、黒っぽい靴下で足を左右にブラブラさせていたのは、みっともないとしか言えないのだが、大臣執務室では絶対にサンダル履きなのだろう。そして、私が宴会場に向かうのと同時に、彼もどこかの料亭の畳部屋に向かったのだろうか。それとも密かに水虫とかと戦っているのだろうか。総理大臣になるには、まだ若干の時間的余裕はあるのだろうから、上を狙っているのなら、早めに完治していてもらいたいものである。