ピピ島で津波に襲われた杉本遼平君の一家四人がとうとう揃うことになった。無神経な日本のジャーナリズムのカメラから逃れることもせず、一人で家族を探していた12歳の遼平君の無念を思うと、ことばが継げない。これからの日本が、彼にとって、希望をもって成長していけるような国であることを心から望みたい。
タイ政府が身元の確認を続けていることも、心が痛む。津波被害があった直後から、バンコクの臨時献血所には市民が長い列を作っていた。日本政府の援助要請を断ったのも、他の国に回してほしいということが真意だったそうだ。世界地図の中では太平洋の西側の短いラインかもしれないが、タイ発の善意のラインを何本か見つけた。
昨年9月24日に、三陸地方に伝わることわざを書いた。”津波てんでん”とか”てんでんこー”と伝えられている。津波から逃げる時は、一家てんでんばらばらに逃げろという意味だ。そうすれば一家の誰かが助かり、家を継いでいけるといういいつたえである。自分で書いておいて、今は少し辛い。
タイ政府が身元の確認を続けていることも、心が痛む。津波被害があった直後から、バンコクの臨時献血所には市民が長い列を作っていた。日本政府の援助要請を断ったのも、他の国に回してほしいということが真意だったそうだ。世界地図の中では太平洋の西側の短いラインかもしれないが、タイ発の善意のラインを何本か見つけた。
昨年9月24日に、三陸地方に伝わることわざを書いた。”津波てんでん”とか”てんでんこー”と伝えられている。津波から逃げる時は、一家てんでんばらばらに逃げろという意味だ。そうすれば一家の誰かが助かり、家を継いでいけるといういいつたえである。自分で書いておいて、今は少し辛い。