難攻不落の城攻め(彦根城)

2005-02-07 21:25:52 | The 城
844f6d7c.jpg昨日の弊ブログで日本最高度の山城「備中松山城」を攻略(TAXI多用だが)した後、高梁市の観光もせずに、急いだと書いたのには訳がある。同日中に現存12天守閣のうち、もう一つも制覇しようとたくらんだからだ。1日に城攻め二本とは、羽柴秀吉でも思いもつかないだろう。二本目は、かなり離れた彦根城。滋賀県にあり米原駅から1駅。なぜこの城に行こうとしたかは、実は別に理由はあるのだが、最後に書く。

事前にホームページで見ていると、彦根駅からただ琵琶湖方面に15分歩くと彦根城で、さらに15分で琵琶湖に到達するようになっていた。いつものように「行き当たりばったり的」だ。海外ならもう少しは調べるが・・

ところが新幹線が京都を過ぎると、思いがけずも空が俄かに暗くなる。そして雪が舞い始め、米原駅は吹雪であった。もちろん隣駅の彦根も雪が降り風も冷たい。午前中は岡山の山中の雪道、午後は吹雪か。そして頼みのタクシー乗り場には人間が1ダースとタクシー0台。ここは平地なのだからと意を決して歩き出す。雪道を歩くコツはガニマタとピッチ歩行だ。しかし、交差点の横断歩道は怖い。路肩も見えずに車道を歩く。なにしろ歩道は40センチの雪だ。そして、彦根城の入口に到達する。雪の中の足跡は数えるくらいだ。天守閣と博物館と庭園の3箇所の入場券をセットで買った(というか勧められたまま)。

彦根城は井伊家がずっと城主であり、井伊直弼は13代当主だ。彼が桜田門外で倒れた日も江戸は大雪だった。と雪に諦めの理由を見つける。桜田門外といえば、江戸城の目の前だ。幕末はかなり治安が乱れていたのだろう。日本史のベスト20には入る人物だろうし、事件もベスト10ものだろう。

ところで博物館は、おそるべき充実ぶりだ。この地が非常に豊かでかつ井伊家が藩の運営に長けていたことがわかる。井伊家は文武両道を極めたようだ。すごいお宝ばかりだ。そして雪の日に博物館を独り占めだ。そして、小高い丘の上にある天主閣に向うが、これが難儀を極める。傘はすぐに破損。石段に雪が積もっている。危険!

なんとかかんとか上りきると、小ぶりながら美しい城があらわれるが、吹雪でかすんで見える。もちろん城内は寒い。天主閣最上階から広く見えるはずの琵琶湖はもとより、石垣の下がやっと見えるくらいだ。しかし、なんとか到達した。こういうのが旅の醍醐味なのだろう。3枚セットの3枚目のチケットで行けるはずの庭園にはまったく道が閉ざされていて、池に落ちそうなので、もったいないが止める。自制心も重要だ。そしてお約束の下りの石段。自分の足跡をたどりながらスキー場で片足の板を流されたヘボスキーヤーのように横歩きで降りていく。そして、やはり彦根駅までは歩くしかなかった。

実は、全国47都道府県の中で、足を下していなかったのは、この日本の真中にある滋賀県だけだったのだ。これで都道府県めぐりは完結。だからといって現存12城めぐりはまだ4つだし、念頭にはない。残りが3つくらいになったら考えるかもしれないが。

彦根駅のホームで米原行きの電車を待ちながら、吹雪の中に佇んでいると「いい日旅立ち」が流れてきた。JR西日本がキャンペーンに使っていると聞いていたが、この極限的状況で聞くとは思ってもいなかった。鬼束ちひろの歌い方は、やわらかく、軽い。山口百恵は低くそして重く歌っていたが、時代の差なのだろう。吹雪の中では、山口百恵の方が聞きたかったので、心の中で転調した。

後注:本ブログを書くために少し調べたら、谷村新司はJR西日本のために歌詞を書き直していたらしい。「♪雪解け真近の…」を「♪遙かなしまなみ…」に変えたと書いてあった。ただ、今、私の脳裏に残っているのは、雪解け間近の方なのだが、その真偽を確かめることはあえてしない。