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もともと特許と認定したところから、問題が発生しているのだろう。私見でいえばITデザイン特許のようなものは5年から10年くらいの期間に設定しないと不便であるだろう。
松下が、こんなつまらない裁判に力を入れるには他にも理由があるだろうと想像できる。一つは松下として「特許侵害は許さない!!」という強い意思の表明ということかもしれない。これは理解できる。あるいは、社内発明制度の申請者があらわれたのかもしれない。あの特許は私のアイディアだから対価が必要であるとか。しかし特許申請時期が1989年ということからこの線はないだろう。
ここで、少し話しを変えてみる。
よくビジネススクールの教科書に登場する話がある。話の内容から1980年代後半とは思うのだが、松下で家電を担当していた女性課長の話である。彼女はパン焼器(ホームベーカリー)の開発をしていたのだが、どうしてもおいしいパンができない。要するにパン生地の発酵が終わったあと、プロペラを回転させたり、振動させたりしてパン生地をこねる作業を行うわけだが、なかなか腰のあるパンが完成しなかったそうである。そして長い苦闘の末、帝国ホテル大阪の厨房にもぐりこみ、ホテルでのパン製造に弟子入りしてしまうのである。そこで、名人の芸を見ていると、ただこねるのではなく、時々ひねりをいれるという技術を盗んでしまうのである(不覚にも帝国ホテルは特許申請を忘れていたのだろう)。そして、松下はそのひねり運動を入れることで、世界中に電気パン焼器を売りまくり大儲けした(かどうかはよくわからないが)はずだ。
この実例では何点か感想がある。
まず彼女が狙ったのが、製パン業の技術ではなくホテルの技術だったということだろう。製パン業はホームベーカリーの天敵であるわけで、直接的な技術の取得が困難だったろうと思うことと、ホームベーカリーという小さな機械に仕込む技術を製パン業という機械の世界に求めたのではなく、ホテルという人間の技の世界に着眼したことである。
次に注目したいのは、この女性、当時の松下的ではないなあ、ということである。殿様が市井に出て行くのは「目黒のさんま」だが、松下の課長ともあろう人物が粉にまみれてというのは(もちろん今では当たり前だろうが)だいぶ他の課長たちからは白い眼で見られたのかなと思うのである。
そして、三番目の感想なのだが、このすばらしい業績をあげた女性、まだ松下にとどまっているのだろうか?話の筋から言えば、もし在籍しているなら50歳代後半。役員にでも名を連ねているのだろうかとも思うのだが、教科書には何も書かれていないし、数年前からネット上で探してはいるのだが手掛かりは杳としてつかめない。創始者はいずれ忘れ去られるものというのは、日本で廃藩置県や義務教育といった力仕事をした人物が「西郷隆盛」であるというようなことを誰も知らないのと同じなのかもしれない。この女性の現在の動静は私にとっての未解明の興味の一つである。
いたずらにのぞいた松下のホームベーカリーのHPで確認できることは、おいしいパンのレシピと「ベーカリー倶楽部」への入会方法だけなのである。