燃費って

2005-01-15 22:35:43 | MBAの意見
相当年数の過去に、ガソリンスタンド関係の仕事をしていたことがあり、今でも友人と会う時にガソリン価格の話をすることがある。ちょっと、驚くのは、こういう発言があることだ。「最近原油価格が上がって、燃費が悪くなった」。確かに原油価格はバレル30ドルから50ドルになった、為替は1割くらい円高になったものの、ガソリン価格は上昇した。レギュラーガソリンはリッター100円くらいだったのが110円くらいになっている。(もちろん、スタンドによって値段は違うし、地域によっても違うし、現金かカードかによっても違うが、それはミクロ経済学的説明ができるのだが、後日ということにする)

単価が100円から110円に1割アップしたのだから、月間10,000円ガソリン代を使う人だったら11,000円になるし、5,000円使っていた人なら5,500円になる。家計の中の燃料費は1割アップということになる。月間1,000KM走っていた人で、リッター10km走るのであれば、1kmあたり10円だったものが11円になる。確かに燃費は悪くなった。と言えるのだろうか。

本当は違うわけだ。車のカタログを見ればわかるように、「10-15モード、12.0km/L」とか書いてあるはずだ。ただし、ほとんどのカタログでは燃費は最後のページのスペック諸元表の一番最後から2行目くらいに書かれている。それも極めて細かな数字で書かれていて、老眼鏡とか虫メガネが必要だ。もちろん本当に老眼の人には絶対に見えない。ちょっと考えればわかるのだが、車を豪華にして、スペックを上げれば上げるほど値段は高くなりメーカーの利益は増えるが、反面、車体重量は増えていくのだから燃費は悪化する。だから見せたくないわけだ。

燃費の計算式は簡単だ。走行した距離を使った燃料で割ればいい。素人でも計算できる。セルフスタンドで満タンにして、トリップメーターを0にする。ガソリンがなくなった頃、同じスタンドの同じ給油機で満タンにする(機械にはくせがあったり、スタンドの敷地の微妙な傾斜があるので、同じ条件で測定した方がいい)。それで、走行距離とガソリンの量が出るから、電卓で割り算をする。これで終わり。結局ガソリンの価格や金額は関係ないのだ。

もともと、燃費は地球温暖化の原因物質であるCO2を増やさないための、指数のようなものなのだが、結局は環境よりも自分のポケットの方が重要と考える人がほとんどである。距離の燃費と費用の燃費が一致するなら問題はないのだが、日本ではガソリン価格が上がっても下がってもガソリン需要量は短期的には、ほとんど(まったく)影響がない。おそらく、もともとガソリン価格が高いため、むやみに走る人は少数で、何らかの目的で走行することがほとんどで、調整できないということだろう。米国の場合は、昨年末の流通業のレポートを読んでいると、クルマで買い物に行く回数を減らして、まとめ買いをするようになり、シアーズのような中流家庭向けスーパーでは「衝動買い」商品が不振をきわめているそうだ。(ハイブリッド車が環境ファッションで売れる日本と違い、実利で売れるのだから米国はまた凄い。そしてGM・フォードが対応できないのもまた凄い。)

トヨタプリウスがうまいのは、ハイブリッド車だけの車種であることだ。ノンハイブリッドと比較することができない。同じハイブリッドでもエスティマが不振なのは、ユーザーが車両価格差と燃費差を電卓で計算できるからなのだろう。

ところで、地球に優しくすると同時にサイフに優しくするためには、リッター走行距離を伸ばすことにつきるわけだ。クルマを買い換えるというのは、大胆なリストラ策で効果は絶大だが、そう簡単ではないわけだから、その他のことを考えるべきだ。通常の市街地走行で、上で書いた簡易燃費測定法で測定すると、カタログ値(10-15モード)の70%程度にしかならないことが多い。つまりこの70%を改善することが目標となる。

アクセルを踏み込むとガソリンは大量にエンジンに注ぎ込まれ、回転数が上がり、加速することになる。しかし、加速というのは速度の変化であって、速度そのものではない。マラソンランナーは42キロをコンスタントに100メートル16秒のスピードで走るが、これを12秒で走って4秒休むという走り方をすれば、相当体には無理がきて消耗する。なるべく等速度で惰性を使ったほうが効率的だからだ。つまり、簡単にいうとおとなしい運転をすることがいいわけだ。高速道路の無闇な車線変更もいけない。といっても運転は性格をあらわすとも言う。意識を変えることは難しい。

こう考えたらどうだろう。隣に座っているのが「18歳の恋人で、全身にアドレナリンが走りまわるような加速度運転」とか「戸塚カントリーから首相官邸に戻る前に自宅へ寄ってスーツに着替えるための大急ぎ運転」をするのではなく、「世界でもっとも大切なものを運んでいるハイヤー運転手の気持ち」になればいいわけだ。といっても「世界で最も大切なもの」って何をイメージすればいいのだろう?もちろんそれは、あなた次第ということである。「大切なもの」がすぐに思いつかない人には問題があるのだが、例えば、「デパ地下で買った8,000円のクリスマスケーキ」というのはどうだろう。あるいは、「ヤマダ電機で買ったばかりの42インチの液晶テレビ」というのはどうだろうか。「ベンチャー企業サン・アクト社の樹木非破壊診断装置」がいいかもしれない。

しかし、大切なものは物質ではなく、断固として人間であるべきだと思う人は、「婚姻届は出したが、まだ生命保険に加入していない大事なパートナー」を想像してもいいのだろう。

一人当りGDPを真剣に報じる愚

2005-01-15 22:34:43 | MBAの意見
読売新聞は1月14日の記事で、内閣府の試算をもとに、2003年の日本のGDPが6位から9位に後退した、とさも残念そうな書き方をしているが、そういう考えは「愚」だ。

リストをつくってみると、こんなものだ。

2003年の一人あたリGDPの上位国 金額(ドル)

1 ルクセンブルク58,440
2 ノルウェー 48,754
3 スイス 44,888
4 デンマーク 39,622
5 アイルランド 38,455
6 アメリカ 37,424
7 アイスランド 36,311
8 スウェーデン 34,000
9 日本 33,727
10 オランダ 31,778
11 オーストリア 31,164
12 フィンランド 30,898
13 イギリス 30,432
14 ベルギー 29,282
15 フランス 29,251

まず、GDPという統計は二次統計であり、いきなり計算できるものではない。いくつかの経済指標をもとにいわば推定して作るようなものであり、経済活動のすべてを網羅する絶対に正しいものということではない。中国のGDP統計が怪しいのは、各省ごとの計算値を集計しているだけと言う事情もある。

さらに、本来、GDPは各国通貨で計算されるものであって、ドルベースの統計ではない。それを無理やりドルに表示しているわけだが、為替は変動相場であり、1年の間に20%も違うこともある。要するに、適当に割り切って換算するわけなのだが、為替によるGDPの変動など、あまり意味はない。

また人口にしても、どの国も国内の外国人比率が高くなっていて、それらをどうやってカウントするかどうかも一人当たりの計算には影響する。

次に個別論だが、上位5位までをみるとヨーロッパの小国と金融立国が並ぶ。1位のルクセンブルグは金融立国政策という言い方をするが、実際にはファンド運用益への課税を無税にしているはずで、私の持っている何本かの円建て外債もルクセンブルグ法人が運用していることになっている。ルクセンブルグの国民とは関係ない。ノルウェーとデンマークは北海油田の原油価格高騰による。つまり2004年には、もっと原油価格は高騰したため、ノルウェーが1位になるだろう。
アイルランドはGDPが実質的に相当成長している。ここは本物だ。ただし、EU効果を生かしているため全産業というより、特定の分野に特化しているようだ。私のコンタクトもアイルランド製だ。貿易統計を見ると有機化合物の輸出が非常に多いが何だろう?ただし、国民の数は横浜市と同じくらいだ。アイスランドの人口も30万人以下だ。

やはり、米国、英国、フランス、ドイツ、イタリアといったところと比較しておいた方がまだましだと思う。また国民の豊かさを示そうというのなら、GDPだけでなく貿易赤字分を上乗せし、貿易黒字を差し引いてから人口でわるべきだ。よく、貿易赤字は悪いのではないかと思いがちだが、マクロ的にいえば正解だが、生活の豊かさを論じるなら逆だ。札束を切って、外国から輸入して、財を増やすから貿易収支が赤字になり、国内は物質的には豊かになる。

ところが、この一人当たりGDP、2004年の統計が発表されると大問題となるだろう。ユーロ高でユーロ圏の国は無条件で2割増えるはずだ。円は1割増えるだろう。そして、ノルウェーと英国という産油国は、さらに上に行く。日米ともに来年は15位争いになっているかもしれない。

しかし、日本についての朗報(?)は、2006年から、人口が減少することだ。一人当たりGDPが増加の方向に働くだろうが、それこそ、あまりにも情けない。