正月に飲んだ酒を肴に(2)

2005-01-06 23:04:40 | 市民A
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お正月に飲む酒の第二弾は「大吟醸柏露」”はくろ”と読む。新潟県長岡の柏露酒造。親類から、ありがたく頂戴したものだ。後で、こっそり価格を調べると4合(720ml)4,000円位らしい。当家の1ヵ月分のアルコール代に等しい。ごっつぁんである。
 
新潟と言えば、「久保田」で有名になった朝日酒造は、先だっての地震で大被害を受け、ようやく工場が再稼動したそうだが、こちら柏露酒造は、被害を免れたのだろう。どちらかと言うと震源地から西北側の被害の方が大きいようだが、こちらは東北側のようだ。
 
そして飲み口は、現代的な地酒という口当たりだ。新潟と言えば、まず三梅が有名だ。越の寒梅、峰乃白梅、雪中梅だ。一応飲んだことはあるが、同時に三種を較べたことはないので、断定はできないが、「水の如く」という感じだ。あっさりANDすっきりか。このあっさりがなく、すっきりを強めたのが「久保田・千寿」かと思う。「万寿」はあっさりでもなくすっきりでもなく、あまり私の喉には合わない。
 
「大吟醸柏露」はすっきり感の上に多少の旨みを感じる。冷で飲むと旨過ぎて危険な感じがある。二日がかりで飲むことにする(飲み屋と違って、自宅で飲む限り、お代わりの上限は瓶の容量までなのでそれほどの危険はない。ブログが1日お休みになるだけだ。)。
 
ところで、日本酒は年々、改良されているような気がする。ワインやウィスキーの世界ではここまでの変化は感じない(ビールは少し変化している)。私も会社員生活を相当長い期間やっているのだが、学校を出て就職した頃は、酒の種類については、ほぼワンパターンに近かった。
 
一軒目は、ビールに始まる。それもキリンビールに限られている。大瓶か中瓶が何本か横倒しになった頃、くさい日本酒が熱燗徳利で登場。病院の消毒のような臭いの甘ったるい酒で、そのうちコップになる。次に行くのがバーとかクラブといったところで、ここに行くと必ずサントリーオールドがあり、クビにオリジナル所有者の名札が付けられている(その名札の主に請求書が送られる)。オールドも、氷と水割りで飲むことになっている。もちろん、他にも酒の選択肢はあるのだが、輸入ウィスキーは超高額だし、角瓶はもっとまずい。
 
現在から、過去を振り返ると、何であんな惨めな酒飲みパターンだったのだろう。それは、競争原理が働かない世界だったわけだ。うろ覚えだが、オールドが2,500円くらいの時、ジョニ黒は8,000円位だったように記憶する。高額関税と、流通支配の結果だ。関税問題はそのうち、諸外国に押し切られてみごとになくなった。サントリーの優位性はなくなった。同時に、同社で受け入れていた大蔵省OB枠も縮小されたはずだ。高価格帯の洋酒が崩壊すると、焼酎に波及する。酒税が下がり焼酎が選択肢に加わる。
一方、ビールの世界も、生ビールが徹底的に普及してしまい、一方でスーパードライのようなハードな飲み口が席捲していく。そして日本酒の目指した方向は「高級化」と「地酒化」だったわけだ。
 
もう一つ重要でかつ悩ましい問題が酒類販売免許だ。以前は、厳格な基準で販売店経営者の経験・人格、近隣同業者との距離規定、そして特定エリア内の店舗密度規制のような基準で免許制にしていた。また店舗での販売方法にも指導があった。私は十数年前にあるコンビニの開業に関係したのだが、ダメ元で、地元の税務署に相談にいったところ、まさに石地蔵を拝むようなものである。とりつくしまなし。ダメダメダメダメダメダメってことだ。最後に「そうは言うものの、名義を買ったり借りたりするような話はあるのではないでしょうか?」とスローカーブを投げたところ、激怒されてしまい、何かその場で酒税法違反未遂容疑で捕まりそうな感じだった(もちろん営業車で100キロ出して16号線を逃走したけど)。もう、これだから、官吏は嫌だ。自分で作った法律でもないのに、個人的感情で指図するなど理解できないが、よくある話だ。
 
そして、その後、大規模店やコンビニにもどんどんと販売拠点は増えていき、一方で酒屋経営は厳しくなり、廃業しコンビニへ転進してしまう経営者も多い。昭和の終わりには全国10万軒だった酒販店は現在は6万軒程度だ。ビールや輸入酒の販売に限って新規店舗(支店)を認めている例が多いが、既存店の利潤の多くは配達ビールにあったはずだから利益的には大打撃だろう。
 
一方、そういう自由化に伴う栄枯盛衰は、いかなる小売にもあるのだが、そこにはジレンマもある。ユーザーからすればビールやウィスキーは大企業が扱うことでもあり、およそ味と値段の計算はできるものの、日本酒やワインともなれば、味の差や値段の差はかなり大きい。しかし、最初の1本を買わない限り、味はわからないわけだから、そこにプロのテスターの意見が必要となる。しかし、一方テスターになるにはかなりの期間と労力とおカネが必要なことは間違いない。プロになるのは大変だからである。そして、それができるのが、良い酒屋ということになる。
 
ところが、良質な酒屋の腕に対して、ユーザーが対価を払うかと言うと払わない。「目利き料はタダ」で、あくまでも酒を買った時の利潤に含まれている。そして、ユーザーにとって旨い酒を見つけたとしても、最初の1本だけがその店の売上実績であり、2本目以降はどこで買われるのかわからないわけだ。酒といっても工場生産品であり、同一ブランドなら味は同一に仕上げていく。
 
なかなか合理的なジレンマ脱出方法はないが、一つ出口があるとするなら、酒造メーカーが改良を続けていくことだ。きのうの柏露よりも明日の柏露が旨いとすれば、誰しもその情報が必要となる。そして、ワインや日本酒はそうやってコツコツ売っていくものという考えは少しは広がってきているような気がする。