博多駅からJR長崎線に乗り佐賀県に入ると、ほどなく吉野ヶ里駅に着く。そこには有名な吉野ヶ里遺跡がある。佐賀県が、遺跡の発掘と古代の状態への復元に力を入れている。
その中心が、卑弥呼の家だ。つまり邪馬台国である。修復された(というか、魏志倭人伝の記述から想定された)3階建ての建物が卑弥呼の家であり、3階の2DK位の広さの居室に卑弥呼が住む。そこには窓がない。そして、階下の2階には大広間があり、近隣の邪馬台国を支持する部族長たちが集まり、定例会議を行っていたそうだ。そして1階は侍従の女性たちの仕事場だ。
邪馬台国では集落をいくつかのパートに分けていて、中心部には卑弥呼がいて、周縁にいくほど身分が下がり、一番外側には農民が住む。居住地は、柵と堀にめぐらされていて、農耕地は、その外側にあり、昼間は外で稲作(黒米、赤米)をし、夜は柵の中に戻る生活をしていたらしい。
実は、ここでは、すべて「ここが邪馬台国である」ということを前提に組立てられているので、不勉強な私は、「そうか、邪馬台国論争には決着がついていたのか」と納得していたのだが、帰宅後、調べると、まだまだ諸説並立状態ではないか。畿内説、九州説、そして九州内でもあちこちが誘致活動をしている。地元の気持ちはわかるが、この卑弥呼ハウスは虚構が実像になったものだ。
実は欧州でもこの30年ほどで古代史は大きく修正されている。考古学に科学が導入されたからだ。日本の古代の謎は、今後、少しでも明らかになるのだろうか。
あまりにぼんやりしたところから歴史が始まることも、まずいだろう。歴史と神話は別物なのだから。
その中心が、卑弥呼の家だ。つまり邪馬台国である。修復された(というか、魏志倭人伝の記述から想定された)3階建ての建物が卑弥呼の家であり、3階の2DK位の広さの居室に卑弥呼が住む。そこには窓がない。そして、階下の2階には大広間があり、近隣の邪馬台国を支持する部族長たちが集まり、定例会議を行っていたそうだ。そして1階は侍従の女性たちの仕事場だ。
邪馬台国では集落をいくつかのパートに分けていて、中心部には卑弥呼がいて、周縁にいくほど身分が下がり、一番外側には農民が住む。居住地は、柵と堀にめぐらされていて、農耕地は、その外側にあり、昼間は外で稲作(黒米、赤米)をし、夜は柵の中に戻る生活をしていたらしい。
実は、ここでは、すべて「ここが邪馬台国である」ということを前提に組立てられているので、不勉強な私は、「そうか、邪馬台国論争には決着がついていたのか」と納得していたのだが、帰宅後、調べると、まだまだ諸説並立状態ではないか。畿内説、九州説、そして九州内でもあちこちが誘致活動をしている。地元の気持ちはわかるが、この卑弥呼ハウスは虚構が実像になったものだ。
実は欧州でもこの30年ほどで古代史は大きく修正されている。考古学に科学が導入されたからだ。日本の古代の謎は、今後、少しでも明らかになるのだろうか。
あまりにぼんやりしたところから歴史が始まることも、まずいだろう。歴史と神話は別物なのだから。