男の涙

2005-01-18 22:05:07 | スポーツ
NHKディレクターの長井氏が記者会見で泣いたのは、「くやし涙」の方で、ちょっとカッコ悪い。「あなたの趣味もNHKか?」と聞きたくなる。「番組改竄疑惑」の方は、いささか、ツボを理解できないのだが、国会で予算審議の前に、有力議員からのアポイントがあった段階で総腰砕けになったのだろうが、NHKというのはそういうものだ。コンプライアンス委員会なんて、どんな会社でも機能なんかしない。いつか、体調不良で休みをとり国会中継を長時間視ていたことがあるのだが、数時間後のNHKのニュースでのサマリーは、かなり偏向していると感じた。
いっそのこと、国営テレビになればいいだけだ。それでもBBCがCNNと並ぶ地位を得ているのは、英語が世界支配言語で、良質な番組は世界中に売れるから、気兼ねなく作れるのだろう。

もう一つの男の涙は「うれし泣き」だが、こちらはめったに見ないが、かつて感動したのは、1991年のF1第2戦ブラジルグランプリでアイルトン・セナがチェッカーの後、右手のこぶしを何度も何度も突き上げ、少年のように泣いた彼の嗚咽をオンボードマイクが捉えた時だった。1984年にデビューしたセナは85年に初勝利、88年、90年は年間チャンピオンにもなっていたが、母国ブラジルグランプリだけは7年間、勝てなかった。そして、このレース、最後はギアボックスが壊れて6速ギアだけで最後の何週かを走っている。そういうのを見ると、日本人て負けるなあと思ってしまう。まあ、ブラジル人は「見捨つるほどの祖国はありや」とか悩まないのだろう。個人と国家が意識の中ではっきり別れていれば、悩まないのだろう。

F1の結果表を見ていると、セナが初勝利を上げた85年は、ニキ・ラウダが引退している。そして、セナがイモラで激突死した少し前92年に、M・シューマッハが登場している。とすればと、少し不吉な想いがよぎるが、たぶんそうはならないだろう。そのかわり、レギュレーション変更で05年、06年と今までの高速レースから、テクニックと頭脳中心のレースに変わっていくはずだ。排気量は下がり、オートマテッィクトランスミッションは禁止され、タイヤ交換も禁止、1台を2レース以上使わないといけないし、レース後半は燃費やタイヤ消耗に耐えるカメノコ競争になるだろう。おそらく06年にシューマッハの時代は終わるだろう。津波被害者のために寄付した1000万ドルは、彼の人生の頂点だったと10年後の自伝に書かれるかもしれない。


涙は、いつも突然に出てくるものだが、あまり医学的に解明されていないらしい。病気ではないので研究対象にならないのだろう。しかし、突然の涙は、いつも物議騒然となってしまうものだ。
単に、体から排出される体液の一つと思えばいいのかもしれない。人体はそれ自体が完結している海のようなものだから、涙も小さな海ということか。愛すべき寺山修司もこう詠む。

”なみだは人間のつくる一ばん小さな海です”(修司・人魚姫)