ブログランキングは1位安泰と思った瞬間に陥落してしまいました。
”ライバル”の”しんたろう”さんも中々ガンバッています。
うちのブログのアクセス解析によると、1回目の方がほぼ毎日40~50%を占めています。
しかし問題は2回目のアクセスがその15%くらいになってしまう事ですね。
でも考えてみれば、中身の重箱のスミに恐れをなして?2度と来ないのも当たり前かもしれません。
15年くらい前の話ですが、うちのスタッフの同級生だったK君がバイクが好きで、よく入り浸っていて雑用などを手伝ってくれたので、彼のバイクの修理に工具と場所を貸してやりました。
まあよくある話です。
カワサキのGPZだったと思うのですが、オイルパンを交換したのですけれど、仕事が早い!
何か、あっという間に終わらせて出掛けたと思ったら、電話が掛かってきて「エンジンが止まってしまった」
エンジンは焼きついていました。
オイルパンのなかの通路のプラグを移植するのを見逃して、エンジンオイルの内出血でした。
と昔話ですが、ココで得られた教訓は「エンジンは積み木ではない」ということです。
バイクとクルマで違う最大の点は「バイクには走る目的以外の余分なモノはなく、機能部品だけで構成されている」ということです。
最近のクルマは特にコンフォートに重きを置かれ、ほとんどが走る応接間(アッこれは死語?)
バイクにもコンフォートの波は来ているようですが・・・・・・・。
話は長くなってしまいましたが、エンジンには機能部品以外はないということで、どんな部品にも役割が割り当ててあり不要の部品はありません。重要度合いは様々で、オイルが洩れるだけのモノもあれば、それの故障で致命的なダメージを受けてしまうモノもあります。
ハーレーダビッドソンに於いては、その奇跡的存在で、30年以上を経たものが我々一般大衆にも所有されても、それがさほど稀有な存在ではありません。
アメリカはその独特な地政学的な理由で、クルマの発展の方向もヨーロッパ(と日本)と大きく違い、エコの風は20年以上も前から吹き始めたにもかかわらず、その風に乗らずにとうとうGMの経営危機まで言われはじめました。
大型バイクの世界はクルマと数量の大きな違いで、排ガス規制から逃れてきましたが、さすがに21世紀になってからはその”安楽な世界”に決別をつけさせられました。しかし日本の4大メーカーは25年前のクルマの排ガス規制の対応する技術のフィードバックにより難なくクリアするでしょう。しかし問題は”機械の標準化”で世界の4大メーカーが日本の4大メーカーであり始めた頃から兆しがみえたこの標準化は”バイクの標準化”になってしまい、どのメーカーのバイクを較べても違いはなくなってしまいました。
標準化がもたらしたものは、故障が少なく信頼性が高く、コストは低くパフォーマンスと価格の釣り合いは”不当”なほど安い!一時は1馬力1万円を目指していましたが、今や高馬力なバイクほど割安感があり、300km/h!を150万ほどで買えるのです。
その反面失ったものはナンでしょう?
日本のメーカーは先駆者を「追いつき追い越せ」で遮二無二やってきたので、すべてを数値化することで評価して発展しました。その成果は動力性能で、制限速度と道路事情を考慮しなければ、その素晴らしさには異論を唱える事は出来ません。
故障のない日本製バイクはチューニングでもしない限り分解する必要はありません、幸いにワタシは多くのバイクを分解する機会がありましたが、ホントにメーカーの違いはおろか何気筒でも基本的に同じです。
高性能化により失った最大の点は「巡航スピードのつまらなさ」で、ワタシは最初に気が付いたのはヤマハRZV500Rという2ストのV型4気筒でした。60km/hで走っていると、まるで徐行しているようで・・・・。飛ばすとおもしろかったのですがね。
そして大量生産を前提にした価格設定は「売れること」を前提に生産計画をする必要があり、いつしか無難な線にまとまりモデルの標準化はそうして当たり前になってしまたのでしょう。
そうなると普通に走っての「面白さ」は元々数値化などできることではなく、現在に至ってしまったのでしょうね。ハーレーにもその兆しが・・・・・?
前置きがようやく本題に・・・・
ハーレーダビッドソンに日独の技術が注入される以前は、エンジンの外観以上に中身は前時代的であり、なんたって基本的にはビッグツインはナックルから同じですから。
各部品の製造行程は「戦前と同じ」ではと思わせるものが多数あり、単純な構造で路上での分解整備を可能と言われたのも頷けるほどですが、それが返ってズサンな経歴を思わせます。
大量生産で低コストにつくられた機械に高精度は必須で、だれが組んでも同じ結果でないと信頼性は得られません。
つまり、ショベル以前は部品交換といってもマクロ的な観察が必要ということです。故障が多いと言う評判はこうした時代背景が異なる機械を評価するには余りにも酷ではありますが、事情を踏まえた人がまだまだ少ないということなのでしょう。
jaiさんがバイクと言うカタチのハーレーダビッドソンと言ったのは誠に言い得て妙です。
エボからは日独のノウハウが注入されていますが、まだ地政学上の理由が残っています。
ワタシはこうした事情を説明したいがためにブログを毎日更新しております。(ホント?)
でも楽しみながらやってます。(本音はシンドイ?)
”ライバル”の”しんたろう”さんも中々ガンバッています。
うちのブログのアクセス解析によると、1回目の方がほぼ毎日40~50%を占めています。
しかし問題は2回目のアクセスがその15%くらいになってしまう事ですね。
でも考えてみれば、中身の重箱のスミに恐れをなして?2度と来ないのも当たり前かもしれません。
15年くらい前の話ですが、うちのスタッフの同級生だったK君がバイクが好きで、よく入り浸っていて雑用などを手伝ってくれたので、彼のバイクの修理に工具と場所を貸してやりました。
まあよくある話です。
カワサキのGPZだったと思うのですが、オイルパンを交換したのですけれど、仕事が早い!
何か、あっという間に終わらせて出掛けたと思ったら、電話が掛かってきて「エンジンが止まってしまった」
エンジンは焼きついていました。
オイルパンのなかの通路のプラグを移植するのを見逃して、エンジンオイルの内出血でした。
と昔話ですが、ココで得られた教訓は「エンジンは積み木ではない」ということです。
バイクとクルマで違う最大の点は「バイクには走る目的以外の余分なモノはなく、機能部品だけで構成されている」ということです。
最近のクルマは特にコンフォートに重きを置かれ、ほとんどが走る応接間(アッこれは死語?)
バイクにもコンフォートの波は来ているようですが・・・・・・・。
話は長くなってしまいましたが、エンジンには機能部品以外はないということで、どんな部品にも役割が割り当ててあり不要の部品はありません。重要度合いは様々で、オイルが洩れるだけのモノもあれば、それの故障で致命的なダメージを受けてしまうモノもあります。
ハーレーダビッドソンに於いては、その奇跡的存在で、30年以上を経たものが我々一般大衆にも所有されても、それがさほど稀有な存在ではありません。
アメリカはその独特な地政学的な理由で、クルマの発展の方向もヨーロッパ(と日本)と大きく違い、エコの風は20年以上も前から吹き始めたにもかかわらず、その風に乗らずにとうとうGMの経営危機まで言われはじめました。
大型バイクの世界はクルマと数量の大きな違いで、排ガス規制から逃れてきましたが、さすがに21世紀になってからはその”安楽な世界”に決別をつけさせられました。しかし日本の4大メーカーは25年前のクルマの排ガス規制の対応する技術のフィードバックにより難なくクリアするでしょう。しかし問題は”機械の標準化”で世界の4大メーカーが日本の4大メーカーであり始めた頃から兆しがみえたこの標準化は”バイクの標準化”になってしまい、どのメーカーのバイクを較べても違いはなくなってしまいました。
標準化がもたらしたものは、故障が少なく信頼性が高く、コストは低くパフォーマンスと価格の釣り合いは”不当”なほど安い!一時は1馬力1万円を目指していましたが、今や高馬力なバイクほど割安感があり、300km/h!を150万ほどで買えるのです。
その反面失ったものはナンでしょう?
日本のメーカーは先駆者を「追いつき追い越せ」で遮二無二やってきたので、すべてを数値化することで評価して発展しました。その成果は動力性能で、制限速度と道路事情を考慮しなければ、その素晴らしさには異論を唱える事は出来ません。
故障のない日本製バイクはチューニングでもしない限り分解する必要はありません、幸いにワタシは多くのバイクを分解する機会がありましたが、ホントにメーカーの違いはおろか何気筒でも基本的に同じです。
高性能化により失った最大の点は「巡航スピードのつまらなさ」で、ワタシは最初に気が付いたのはヤマハRZV500Rという2ストのV型4気筒でした。60km/hで走っていると、まるで徐行しているようで・・・・。飛ばすとおもしろかったのですがね。
そして大量生産を前提にした価格設定は「売れること」を前提に生産計画をする必要があり、いつしか無難な線にまとまりモデルの標準化はそうして当たり前になってしまたのでしょう。
そうなると普通に走っての「面白さ」は元々数値化などできることではなく、現在に至ってしまったのでしょうね。ハーレーにもその兆しが・・・・・?
前置きがようやく本題に・・・・
ハーレーダビッドソンに日独の技術が注入される以前は、エンジンの外観以上に中身は前時代的であり、なんたって基本的にはビッグツインはナックルから同じですから。
各部品の製造行程は「戦前と同じ」ではと思わせるものが多数あり、単純な構造で路上での分解整備を可能と言われたのも頷けるほどですが、それが返ってズサンな経歴を思わせます。
大量生産で低コストにつくられた機械に高精度は必須で、だれが組んでも同じ結果でないと信頼性は得られません。
つまり、ショベル以前は部品交換といってもマクロ的な観察が必要ということです。故障が多いと言う評判はこうした時代背景が異なる機械を評価するには余りにも酷ではありますが、事情を踏まえた人がまだまだ少ないということなのでしょう。
jaiさんがバイクと言うカタチのハーレーダビッドソンと言ったのは誠に言い得て妙です。
エボからは日独のノウハウが注入されていますが、まだ地政学上の理由が残っています。
ワタシはこうした事情を説明したいがためにブログを毎日更新しております。(ホント?)
でも楽しみながらやってます。(本音はシンドイ?)