昨日、文部科学省により2020年度からの大学入試改革案が発表された。
あと3年しかないこの段階で、やうやくその具体案が示されるといふことがとても心配である。もちろん制度に完璧なものはない。むしろ完璧などといふことは制度にとつて忌避すべきことである。学力を測る制度において完璧であれば、ある水準に達してゐない者は「学力がない」っと完璧に宣言されてしまふことになるからである。だから、蓋然性のおいて優れてゐる制度が最良である、それが「改革」にたいする見方として穏当な姿勢といふことになる。
しかし、今回出された例を見て愕然とした。
これが大学入試で讀ませるべき文章であらうか。
確かにここで問はれてゐることも読解力ではあらう。しかし、「これでいいのか」といふ思ひが強い。50万人が全国一斉に同じ時間に集まつて讀ませる文章がこれとは。もはや喜劇である。
豊かな社会になり、成熟を求める時代には、「街並み保存地区景観保護ガイドライン」やら「駐車場使用契約書」やらの正しい理解こそが大切だといふのは、冗談話のやうにしか思へない。これで、読書の薦めが可能になるか。これで古典と現代とのつながりを意識できるか。人間は言葉によつて培はれるといふ当たり前の事柄が共有できるか。幾重にも疑問が積み上げられていく。
あと3年。国立大学や一部の私立大学の大学別の入試問題に期待すること大である。新センター試験には期待ができないといふことだけははつきりした。