■なぜ、日本兵は、アジア太平洋の各地で、民衆を虐殺できたのか
1871年5月22日に、日本政府は戸籍法を布告し、10月12日に「等ノ称」を廃止するという「布告」(「賎称廃止令」)をだし、1972年2月1日から戸籍簿(「壬申戸籍」)の編成を開始した。戸籍簿作成を前提にして、1873年1月10日に、日本政府は、徴兵令」を布告した。
徴兵された日本人は、アジア太平洋の各地で住民虐殺・略奪などの犯罪をくりかえした。
徴兵され、アジア太平洋の各地に送られた日本人のほとんどは、上官から命令されて、犯罪をくりかえした。
自己の命を賭して、命令に背いた日本兵もいたと思うが、ほとんどの日本人は、主体的に(自分の意思で)犯罪をくりかえした。
侵略地での日本兵の犯罪は「功績」とされ、その内容は、「功績表」などに具体的に示されている。
徴兵され日本兵とされた日本民衆は、「清日戦争」のときに1万数千人、「ロ日戦争」のときに12万人あまりが、「戦死」した。
かれらは、「ヤスクニ」で「神」にされている。日本各地に、「戦死」した日本人の「忠魂碑」が残っている。
「忠君愛国」は、国民国家日本の政治的・軍事的・社会的支配者が日本民衆におしつけることに成功した日本ナショナリズムイデオロギーだった。
この侵略イデオロギーに抵抗できなかった日本民衆は、アジア太平洋の各地で現地の民衆を殺害した。
日本の民衆(「平民」)のおおくは、「天皇」を「神」とし、侵略戦争に動員され加担しました。そのなかには、モーターボートや小型飛行機などに乗って自爆した青年もいた。
第二次アジア太平洋戦争の時期に「鬼畜米英撃滅」をスローガンにして日本民衆を侵略戦争に動員したヒロヒトらは、日本敗戦後も生き残り、あっというまに、親米派になった。
「ヤスクニ」で「神」にされている日本民衆のなかには、「忠君愛国」、「鬼畜米英撃滅」、「大東亜建設」……のために死んだ者が多く含まれている。
日本の政治家の「ヤスクニ参拝」は、侵略戦争侵略戦争を国家のための戦争であったことにすること行為だが、かれらが執拗に「ヤスクニ参拝」を実行するのは、その行為を支持する日本民衆が多いからだ。かれらの「ヤスクニ参拝」は、支持層を拡大する政治活動だ。
イタリアでイタリア民衆がムッソリーニを殺し、ドイツでヒトラーが自殺したにもかかわらず、ヒロヒトが生き残っただけでなく「天皇」であり続けたのは、日本民衆の多くが侵略思想を克服できなかったからだと思う。
国民国家日本の国民(1947年5月3日までは「臣民」)が、アイヌモシリ侵略以後、主体的に異民族民衆を虐殺できた理由も同じだ。おおくの日本国民の侵略思想の中心に「天皇」がいる。「天皇」は、日本人の侵略思想の「象徴」だ。
「天皇」を含む数百人の国家権力者・資本家だけで、他地域他国侵略をおこない続けることはでなかった。数千万人の日本民衆が、他地域他国侵略を「正義」と考え、自分の生命をかけて侵略犯罪を実行することなしには、国民国家日本は他地域他国侵略を続けることはできなかった。
「戦争犯罪」という言葉があり、「戦争犯罪者」という言葉がある。
この言葉は、侵略犯罪の巨大さを隠蔽し、侵略犯罪者の犯罪性を極小化する言葉ではないか。
「戦争犯罪」・「戦争犯罪者」は、言葉だけの問題ではなく、実際に「戦争犯罪裁判」がおこなわれた。そのひとつが「極東国際軍事裁判」(「東京裁判」)であった。しかし、この裁判における戦争犯罪人はわずか28人であり、最悪の侵略犯罪者天皇ヒロヒトは、ふくめられなかった。
国民国家の国家犯罪は、他地域他国侵略戦争だけでなく他地域他国植民地支配、他地域他国の資源略奪……の総体だ。
帝国主義諸国の他地域他国侵略の国家的・社会的・政治的・経済的・思想的全構造を分析しなければならない。その過程で、日本の国家犯罪を実行した日本の国家権力者・資本家と日本民衆の犯罪の歴史的・社会的構造を明らかにしていきたい。
そのことは、なぜ日本兵がアジア太平洋の各地で民衆を虐殺できたのかを解明することでもある。
佐藤正人
1871年5月22日に、日本政府は戸籍法を布告し、10月12日に「等ノ称」を廃止するという「布告」(「賎称廃止令」)をだし、1972年2月1日から戸籍簿(「壬申戸籍」)の編成を開始した。戸籍簿作成を前提にして、1873年1月10日に、日本政府は、徴兵令」を布告した。
徴兵された日本人は、アジア太平洋の各地で住民虐殺・略奪などの犯罪をくりかえした。
徴兵され、アジア太平洋の各地に送られた日本人のほとんどは、上官から命令されて、犯罪をくりかえした。
自己の命を賭して、命令に背いた日本兵もいたと思うが、ほとんどの日本人は、主体的に(自分の意思で)犯罪をくりかえした。
侵略地での日本兵の犯罪は「功績」とされ、その内容は、「功績表」などに具体的に示されている。
徴兵され日本兵とされた日本民衆は、「清日戦争」のときに1万数千人、「ロ日戦争」のときに12万人あまりが、「戦死」した。
かれらは、「ヤスクニ」で「神」にされている。日本各地に、「戦死」した日本人の「忠魂碑」が残っている。
「忠君愛国」は、国民国家日本の政治的・軍事的・社会的支配者が日本民衆におしつけることに成功した日本ナショナリズムイデオロギーだった。
この侵略イデオロギーに抵抗できなかった日本民衆は、アジア太平洋の各地で現地の民衆を殺害した。
日本の民衆(「平民」)のおおくは、「天皇」を「神」とし、侵略戦争に動員され加担しました。そのなかには、モーターボートや小型飛行機などに乗って自爆した青年もいた。
第二次アジア太平洋戦争の時期に「鬼畜米英撃滅」をスローガンにして日本民衆を侵略戦争に動員したヒロヒトらは、日本敗戦後も生き残り、あっというまに、親米派になった。
「ヤスクニ」で「神」にされている日本民衆のなかには、「忠君愛国」、「鬼畜米英撃滅」、「大東亜建設」……のために死んだ者が多く含まれている。
日本の政治家の「ヤスクニ参拝」は、侵略戦争侵略戦争を国家のための戦争であったことにすること行為だが、かれらが執拗に「ヤスクニ参拝」を実行するのは、その行為を支持する日本民衆が多いからだ。かれらの「ヤスクニ参拝」は、支持層を拡大する政治活動だ。
イタリアでイタリア民衆がムッソリーニを殺し、ドイツでヒトラーが自殺したにもかかわらず、ヒロヒトが生き残っただけでなく「天皇」であり続けたのは、日本民衆の多くが侵略思想を克服できなかったからだと思う。
国民国家日本の国民(1947年5月3日までは「臣民」)が、アイヌモシリ侵略以後、主体的に異民族民衆を虐殺できた理由も同じだ。おおくの日本国民の侵略思想の中心に「天皇」がいる。「天皇」は、日本人の侵略思想の「象徴」だ。
「天皇」を含む数百人の国家権力者・資本家だけで、他地域他国侵略をおこない続けることはでなかった。数千万人の日本民衆が、他地域他国侵略を「正義」と考え、自分の生命をかけて侵略犯罪を実行することなしには、国民国家日本は他地域他国侵略を続けることはできなかった。
「戦争犯罪」という言葉があり、「戦争犯罪者」という言葉がある。
この言葉は、侵略犯罪の巨大さを隠蔽し、侵略犯罪者の犯罪性を極小化する言葉ではないか。
「戦争犯罪」・「戦争犯罪者」は、言葉だけの問題ではなく、実際に「戦争犯罪裁判」がおこなわれた。そのひとつが「極東国際軍事裁判」(「東京裁判」)であった。しかし、この裁判における戦争犯罪人はわずか28人であり、最悪の侵略犯罪者天皇ヒロヒトは、ふくめられなかった。
国民国家の国家犯罪は、他地域他国侵略戦争だけでなく他地域他国植民地支配、他地域他国の資源略奪……の総体だ。
帝国主義諸国の他地域他国侵略の国家的・社会的・政治的・経済的・思想的全構造を分析しなければならない。その過程で、日本の国家犯罪を実行した日本の国家権力者・資本家と日本民衆の犯罪の歴史的・社会的構造を明らかにしていきたい。
そのことは、なぜ日本兵がアジア太平洋の各地で民衆を虐殺できたのかを解明することでもある。
佐藤正人
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