三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

【報告】 2020年秋に、なぜ民衆運動の深化をさまたげる「会」が現われたのか  注記

2021年10月27日 | 海南島近現代史研究会
■【報告】2020年秋に、なぜ民衆運動の深化をさまたげる「会」が現われたのか  注記■

                                     佐藤正人
 
◆注記① 「「戦後」という日本社会の歴史認識 海南島の住民虐殺と沖縄の強制集団死との結び目から見えてくるもの」で斉藤日出治さんが史・資料をまったく示さずにおこなっていた虚偽の歴史叙述の数例と意味不明のデタラメな叙述の数例。
 ① 日本軍は海南島で住民を無差別に虐殺する一方で、敗戦の末期にサイパン島、グアム島、テニアン島、フィリピン、沖縄、「満州」で、今度は自国の住民を大量に死に追いやった。非戦闘員を戦闘に巻き込み、足手まといになると住民を見捨て、生きながらえるよりもみずから死を選ぶよう指示した。「集団自決」という強制集団死が、これらの地上戦が行われた各地で発生した。
 ②沖縄で起きた「集団自決」という日本の非戦闘員の自死行為が海南島の住民虐殺と同じ質のものであり、後者の住民虐殺が前者の「集団自決」をもたらしたのだ……。
 ③ 強制労働のさなかに多くの住民が……挨拶をしないと言って電気拷問をかけられ、さらに銃剣で刺し殺された。
 ④「戦後」とは、日本の社会が敗戦の経験によってみずからの手で歴史を検証する回路を封じ込め、二つの住民虐殺を容認、あるいはかたちをかえて再生産してきた体制である。
 ⑤現在のわれわれに求められているのは、住民虐殺を抹殺、あるいは変造するこの「戦後」という集合的記憶と対決するもうひとつの歴史認識を構築することであり、もう一つの歴史認識の可能性を提示することである。
 ⑥沖縄の「集団自決」は、日本のアジアにおける住民虐殺という植民地支配と侵略のコンテクストがもたらした帰結としてとらえられるべき。
 ⑦ 海南島の住民虐殺の事実を抹消し沖縄の強制集団死を変造することによって成り立つ戦後日本の歴史認識。
 ⑧ 日本軍統治下の海南島で住民に行使された日本軍の暴力について、国民は戦後七〇年近くのあいだその検証を行おうとしてこなかった。
 ⑨ 日本は敗戦によって植民地主義を強制的に断念させられた。
 ⑩ アジア諸地域に対する植民地体制は敗戦によって放棄させられても、アジアに対する植民地主義の意識はそのまま存続する。
 ⑪日本の社会が自覚しないままに戦後七〇年ちかくのあいだ自明の前提として戦後社会に保持してきた日本の植民地主義。

◆注記② 「この会のありかたについて-わたしはなぜ退会するのか」という文書に、斉藤日出治さんは、
 「海南島で、自分のできるかぎりの聞き取りをして、メモを作り、自分なりの報告書をつくりました。その作業を通して、自分が海南島における日本の重大な侵略犯罪について学んだことを文章化しようとこころみました」。
 「海南島における日本の侵略犯罪の責任追及をする会は、あらゆる機会に会員がみずからこの活動から学んだことを外部に伝える必要があります。記者のインタビュー、集会、などで発言していかなければなりません。ところが、そのような発言や記述が徹底して検証され、そこに間違った発言や記述が見つかると、まるで会の運動を裏切ったかのような批判がされるようになると、会員は自由にものが言えなくなります。共産党のかつての査問委員会のような審査と糾弾に等しいことがこの会の内部ではおこなわれているのです」。
などと書いていた。

 「会員」が、「記者のインタビュー、集会、などで」おこなった「発言や記述」が「徹底して検証され、そこに間違った発言や記述が見つかると、まるで会の運動を裏切ったかのような批判」がなされたことがあったという虚偽を斉藤日出治さんがなぜ書くことができたのか、理解できない。 
 中国の国営通信社である新華社の記者から、斉藤日出治さん、竹本昇さん、金靜美さん、佐藤正人が長時間いっしょに取材を受け、記事になったことがあった。
 このときの新聞記事とテレビ放送については、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会の『会報』63号・18号に掲載してある。
 海南島で南海出版公司の編集者から斉藤日出治さんが取材を受けたことがあった。 
 そのときの斉藤日出治さんの「発言」が誰かによって「「徹底して検証され、そこに間違った発言や記述が見つかると、まるで会の運動を裏切ったかのような批判」がなされたことがなかったことは、斉藤日出治さん自身がよく知っていることだろう。
 海南島の南海出版公司の編集者おこなった斉藤日出治さんへのインタビューが含まれている『真相 海南島近現代史研究会海南島17年(27次)調査足跡』(2015年8月刊)、および『忘記過去意味着背叛』(2015年12月刊)が出されていることを斉藤日出治さんは知っているだろう。
 「そのような発言や記述が徹底して検証……」というコトバは、斉藤日出治自身が虚言であることを自覚しつつ発している恥知らずな虚言である。
 斉藤日出治さんが「自分が海南島における日本の重大な侵略犯罪について学んだことを文章化しようとこころみました」と言っている「文章」の作成過程で剽窃をおこなっていると、佐藤正人は、具体的に指摘し、なんども質問している。
 その質問にまともに答えることなく、斉藤日出治さんは、悪辣な空言を20204月29日に、「退会のあいさつ」で述べていた。そこに斉藤日出治さんは、会について
 「そういう断定がなぜそうなのかについての共通の理解を深めることを妨げ、なんとなくわかった雰囲気を創り出し、自分に異を唱えるな、と恫喝し、同意を強制します。そしてそのような強いられた同意が会の合意となるのです。しかし、そのような断定は思考の判断停止をもたらします。それ以上考えなくてもわかったような雰囲気が生まれる。そのような雰囲気でひとが行動を起こすのは、ファシズムの行動様式です。わたしたちはそのような動きを乗り越える運動をめざしていながら、みずからが克服すべき運動を支えてしま っている。この逆説にわれわれはもっと自覚的でなければなりません」
と、かれが常用してきているあいまいな文体で悪辣な暴言を書いている。

◆注記③ 『総称改組三会 会報第1号』には、「改組三会」は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会を「改組」した「会」であると書かれている。
 「改組三会」は、それまで存在していなかった「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会」を、偽りの「李基允氏と裵相度氏の26回目の追悼集会」と「12回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」が開催された2020年11月7日の夜に創作し、「改組」している。

◆注記④ 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会の展示用パネルは、国民国家日本の侵略犯罪の実体を伝達するために、会員が綿密な文書記録探索・分析をおこない、犠牲者本人・家族・遺族・関係者から証言を聞かせてもらい、写真を収集・撮影し、地図・年表を作成し、実証的な歴史叙述を書いて、一枚いちまい完成させたものである。
 展示用パネルの多くは、1999年7月6日~8月29日にリバティ大阪(大阪人権博物館)で開催された「(企画展)“木本事件” 熊野から朝鮮人虐殺を問う」で展示された。
 展示用パネルは、国民国家日本の侵略犯罪の実体を伝達し、犯罪者に歴史的責任をとらせるためのものである。

◆注記⑤ 紀州鉱山の真実を明らかにする会が購入した紀州鉱山で命を奪われた朝鮮人を追悼する場の土地に、三重県は不動産取得税を、熊野市は固定資産税を課税してきた。                                          
 それに対して、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、熊野市の固定資産税強制徴収に対する訴訟と三重県の不動産取得税強制徴収に対する訴訟を、2011年3月18 日に三重県津地方裁判所に提訴した。
 訴訟は、弁護士をつけず、本人訴訟のかたちでおこなうことにし、訴状は紀州鉱山の真実を明らかにする会が作成した。
 訴状で、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、三重県に強制連行され三重県で強制労働させられ三重県で死亡した朝鮮人を追悼する場は私有地ではなく、公共の場であり、課税されるべき土地ではないという、あたりまえのことを主張し、紀州鉱山への朝鮮人強制連行、紀州鉱山での朝鮮人強制労働に歴史的責任をもつ三重県と熊野市がその土地に課税することが、どれほど悪質な行為であるかを詳細に分析・提示した。
 竹本昇さんは、紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員であったときに、紀州鉱山で命を奪われた朝鮮人を追悼する場の土地の5人の登記人の一人となっていた。
 そのことを「理由」にして、2020年11月7日夜に「改組三会」の「運営委員」となった竹本昇さんは、「竹本昇も共有者の一人であるので、5分の1は、竹本昇の土地である」と、2021年9月22日・23日に主張した。
 紀州鉱山で命を奪われた朝鮮人を追悼する場の土地は紀州鉱山の真実を明らかにする会の土地である。登記人5人の共有地ではない。
 三重県に強制連行され三重県で強制労働させられ三重県で死亡した朝鮮人を追悼する碑は、熊野市紀和町の紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑だけだ。
 この碑は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者、李基允さんと裵相度さんを追悼する碑とともに、国民国家日本の朝鮮植民地支配責任を問うものである。

                                2021年10月20日記
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【報告】2020年秋に、なぜ民... | トップ | 追悼場2021 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

海南島近現代史研究会」カテゴリの最新記事