■追悼場2021■
宇恵悟
追悼碑に関わるようになって、10年も経っているのですが、2つの追悼の場が納得のいく形で整備(草刈り)が出来、満足して集会に参加する人を迎えられたことはなく、今年こそ十分な準備をしようと、前の集会が終わって、すぐに整備に通い始めたのですが、集会まで一か月となってまだ区切りがつきません。
10年と言えば、築10年の板屋の木造の建立宣言台が朽ちて、上部が見事に崩落(?)しました。元のように上手くは出来ませんでしたが、残ったセメントブロックの土台とか、支柱などのおかげで簡単に復旧出来、先人の努力に改めて敬意を表しました。宣言台に限らず多くの場面で追悼場を造り上げた人々の思いを感じています。
20年以上もかけて、遠隔地から追悼碑建立に足を運び、地元住民の聞き取りや犠牲者の故郷の韓国にまで出向いて、聞き取り調査をし、多くの同志を募り、地元の無理解や市議会等との度重なる交渉に業を煮やしながら、費用も自ら調達し、それぞれのメンバーの居住地と熊野を数限りなく往復し、2つの追悼碑を建立し、建立以来、毎年の追悼集会を開催して来た人達の思いに寄り添い、2つの碑の永劫の存続を念じながら、連綿と続く在日の人への差別、最近では日本に暮らすアジア人への入管等の人権侵害、くすぶり続ける、韓国の慰安婦・戦時徴用工問題等、追悼碑をそれらの問題に関わる拠り所とし、碑に関わる犠牲者は勿論、追悼碑に思いを寄せる人達の心情や情熱を受けとめ、多くの関係者の母国語であるハングルにも、祖国にも、関心を持って、地元も含め多くの人が、2つの追悼碑に心を寄せてくれるよう願いながら、2つの追悼碑の整備の区切りがつく日まで頑張りたいと思います。
(2021年10月8日)
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