http://japan.hani.co.kr/arti/politics/30951.html
「The Hankyoreh」 登録:2018-06-25 21:44 修正:2018-06-26 07:45
■韓国・北朝鮮軍の遺骨発掘・送還に弾みつけるか
北にある韓国軍遺骨は約3~4万体と推定
南にある北朝鮮軍発掘遺骨723体は保管中
【写真】25日、江原道洪川郡化村面楓川里一帯で、韓国国防部の遺体発掘鑑識団が朝鮮戦争の戦死者の遺骨を発掘している=洪川/聯合ニュース
朝鮮戦争に参戦し北朝鮮地域で死亡した米軍の遺骨が、早ければ今週にも送還される。朝米両国が6・12シンガポール首脳会談の共同声明で合意した米軍遺骨送還手続きが始まり、朝鮮戦争で戦死した南北の軍人の遺骨発掘と送還にも弾みがつくかに関心が高まっている。
南北が初めて朝鮮戦争戦死者の遺骨発掘に合意した時期は2007年に遡る。その年の11月、平壌(ピョンヤン)で開かれた第2回国防長官会談で、南側は朝鮮戦争失踪者遺骨発掘事業を共同で推進しようと北側に提案した。北朝鮮が提案を受け入れ、南北は「戦争時期の遺骨発掘問題が、軍事的信頼造成および戦争終息に関連した問題という理解を共有し、推進対策を協議・解決していく」ことに合意した。南北が共に朝鮮戦争戦死者の遺骨を調査、発掘することを約束したわけだ。しかしその後、南北関係が悪化して合意はいまだ履行されていない。
北朝鮮地域で発掘された韓国軍戦死者の遺骨が南側に帰ってきたのは、2012年に米国を通じての事例が最初で最後だ。米国は1999年から2005年まで、北朝鮮地域の戦闘現場で発掘した遺骨に対して遺伝子(DNA)検査を実施した。その過程で12体が韓国軍の遺骨である事実が判明し、2012年5月にこれらの遺骨を韓国に送還した。
韓国政府は、2000年から着実に朝鮮戦争戦死者の遺骨を発掘中だ。2004年4月、6・25戦争(朝鮮戦争)50周年記念事業の一環で、3年間にわたり遺骨発掘事業を進め、2003年7月には護国報勲関係長官会議でこの事業を持続的に推進することを決めた。韓国政府は2005年6月からこの事業を永久的に実施することを決め、2007年国防部に遺体発掘鑑識団が創設された。2008年には「6・25戦死者遺骨の発掘等に関する法律」も制定された。
国防部遺骨発掘鑑識団の「6・25戦死者遺骨発掘現況」資料によれば、2018年5月31日基準で発掘された遺骨は計1万1206体だ。このうち韓国軍は9874体だ。発掘過程で見つかった国連軍(17体)と中国軍(589体)の遺骨は、すべて故国に送還された。南側の地で発掘された北朝鮮軍の遺骨も計723体で少なくない数だが、その間に梗塞した南北関係のためにこれまで故郷へ帰ることはできなかった。これらの遺骨は現在、韓国政府が保管中だ。
北側の各地にも韓国軍の遺体が埋まっていると伝えられている。国防部は非武装地帯と北側地域のどこかに埋まっている韓国軍戦死者の遺骨は3~4万体程度と見ている。
北側の地に埋められた韓国軍の遺骨は、家族のもとに戻ることはできるだろうか。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は今月6日、第63回韓国殉国烈士の日の追悼式での辞で、朝鮮戦争戦死者の遺骨発掘に対する意志を明らかにし、「南北関係が改善されれば、非武装地帯の遺骨発掘を優先的に推進する。米軍など海外参戦勇士の遺骨もあわせて発掘できるだろう」と述べた。文大統領は12日の朝米首脳会談の直後、トランプ大統領との通話で「南北間でも遺骨発掘事業が合意された状態なので、南・北・米が共同で推進することを北朝鮮側と協議する」と明らかにしたと大統領府は伝えた。11年前、南北が共同で遺体発掘事業をするとした合意が履行される日も遠くないと見られる。
ノ・ジウォン記者
http://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/850593.html
韓国語原文入力:2018-06-25 18:58
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/30955.html
「The Hankyoreh」 2018-06-26 09:26
■「重装備動員し中国軍の遺体を破虜湖に水葬」
当時工兵将校の弟ホ・ジャンファンさんが証言
「当時、遺体はあまりにも多く、気温が上がってきたため水葬を選んだ」
「政府が取り組み中国軍の遺骨発掘し、本国に送るべき」
遺骨数が多いうえ、韓国優先発掘の原則が障害に
【写真】ホ・ジャンファン韓中国際友好連絡平和促進会共同代表が、韓米連合軍が重装備を利用し中国軍捕虜を押し入れたという場所に立って状況を説明している=パク・スヒョク記者//ハンギョレ新聞社
破虜湖(パロホ)戦闘は「現代版薩水(現在の清川江)大勝利」で有名だ。1951年5月、相対的に劣勢だった韓米連合軍が中国軍との戦闘で2万4141人を射殺する大勝を収めた。連合軍と中国軍が破虜湖で決死の戦闘を繰り広げた理由は、華川(ファチョン)水力発電所を獲得するためだった。これといった電力施設がなかった当時の韓国は、華川ダムを必ず確保しなければならず、同じ理由で華川ダムは北朝鮮にとっても絶対に奪われたくない戦略的要衝地だった。
当時、韓米連合軍は、戦闘が終わってあちこちに散らばっていた中国軍の遺体の処理に頭を悩ませていた。当時、第6師団工兵将校(当時中尉)で戦闘に参加した故ホ・ジャンウォンさんは、弟のジャンファンさんに生き地獄と化した破虜湖周辺の状況を生々しく伝えた。ホ・ジャンファンさんは「当時、遺体はあまりにも多く、気温が上がって行った。遺体を最も簡単に処理できる方法が破虜湖への水葬だったようだ。兄はすべての戦闘が終わった後、韓米連合軍が破虜湖一帯の山や野原に散らばった中国軍の遺体をブルドーザーなどの重装備で破虜湖に投げ込んだと話した」と伝えた。
【写真】華川破虜湖戦闘が終わった後、捕虜となった中国軍の姿=華川郡庁提供//ハンギョレ新聞社
当時、破虜湖戦闘の状況について、華川郡(ファチョングン)が発刊した「華川郡誌」にも「退却する敵を挟み撃ちし、ほとんどの敵が華川貯水池(現在の破虜湖)に水葬された。貯水池周辺と渓谷の一帯は敵の遺体で覆われた。わが軍の後続部隊はブルドーザーで遺体を押しながら前進しなければならなかった。中国共産軍の場だった」と書かれていた。
朝鮮戦争当時、連合軍が中国軍の遺体を破虜湖に水葬したのが事実なら、ジュネーブ条約を違反したという指摘もある。ジュネーブ条約第17条は、「死亡した敵を彼らの宗教慣例に沿って埋葬し、遺骨の送還を保障しなければならない」と規定している。
2001年には華川郡が政府に破虜湖に残っている中国軍の遺骨の発掘と慰霊塔の建立を提案した。しかし、当時政府は何の処置も取らなかった。地域住民たちは対外的に人権を重視する米国が、敵軍の戦死者を集団で水葬したという事実を認めることが困難なためだと思った。政府が米国の顔色を伺い、動かないものだと考えたのだ。
【写真】江原道華川の破虜湖近くにある破虜湖碑=パク・スヒョク記者//ハンギョレ新聞社
中国軍の遺骨発掘のためには越えなければならない山も多い。国防部は2007年に遺体発掘鑑識団を創設し、遺体発掘事業を進めている。これまで遺体発掘鑑識団が1カ所で発掘した遺骨の数は最大で約70体だ。破虜湖の中国軍の遺骨発掘事業は、規模の面でこれまでの事業とは比較にならない。さらに、「朝鮮戦争戦死者遺骨の発掘などに関する法律」は、戦死者のうち国軍を優先的に発掘することを原則としている。遺体発掘鑑識団関係者も「国軍の遺体を探していたところ、中国軍の遺骨を発掘して、中国に送還したことはある。しかし、中国軍の遺骨を探す目的で発掘したことはない」と話した。
【写真】25日、国防部軍事編纂研究所が公開した「米第9軍団指揮報告書」(Ⅸ Corps Command Report)の内容の一部。この報告書には24時間ごとに師団別に中国と北朝鮮軍の射殺者の現況が記録されている=米第9軍団指揮報告書キャプチャー//ハンギョレ新聞社
【写真】この報告書の内容を総合すると、1951年5月24~30日、江原道華川虜湖近くで射殺された中国軍は2万4141人に上る=米第9軍団指揮報告書キャプチャー//ハンギョレ新聞社
50メートルに達する破虜湖の水深と、水門を全部開けて水を抜かなければならないという点も難点に挙げられる。水害による放流などの影響で、中国軍遺体はほとんどが華川ダムの水門近くに集まっているものと推定される。しかし、発掘のために破虜湖の水をすべてを抜けば、破虜湖で漁業をしてきた漁民たちが反発する可能性が高い。また、破虜湖に中国軍の遺体が2万体以上水葬されているという事実自体が、この地域の漁民など住民たちにはあまり歓迎すべきことではないかもしれない。
ホ・ジャンファン韓中国際友好連絡平和促進会共同代表は「困難があっても今回中国軍の遺骨を発掘し、この問題をしっかり解決した方が良いと思う。破虜湖は八堂湖の上流の一つだ。2万人以上の中国軍の遺骨が沈んでいるその水を首都圏住民の上水源に使用するのはあきれた事ではないか」と話した。
パク・スヒョク記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/850638.html
韓国語原文入力:2018-06-26 05:00
「The Hankyoreh」 登録:2018-06-25 21:44 修正:2018-06-26 07:45
■韓国・北朝鮮軍の遺骨発掘・送還に弾みつけるか
北にある韓国軍遺骨は約3~4万体と推定
南にある北朝鮮軍発掘遺骨723体は保管中
【写真】25日、江原道洪川郡化村面楓川里一帯で、韓国国防部の遺体発掘鑑識団が朝鮮戦争の戦死者の遺骨を発掘している=洪川/聯合ニュース
朝鮮戦争に参戦し北朝鮮地域で死亡した米軍の遺骨が、早ければ今週にも送還される。朝米両国が6・12シンガポール首脳会談の共同声明で合意した米軍遺骨送還手続きが始まり、朝鮮戦争で戦死した南北の軍人の遺骨発掘と送還にも弾みがつくかに関心が高まっている。
南北が初めて朝鮮戦争戦死者の遺骨発掘に合意した時期は2007年に遡る。その年の11月、平壌(ピョンヤン)で開かれた第2回国防長官会談で、南側は朝鮮戦争失踪者遺骨発掘事業を共同で推進しようと北側に提案した。北朝鮮が提案を受け入れ、南北は「戦争時期の遺骨発掘問題が、軍事的信頼造成および戦争終息に関連した問題という理解を共有し、推進対策を協議・解決していく」ことに合意した。南北が共に朝鮮戦争戦死者の遺骨を調査、発掘することを約束したわけだ。しかしその後、南北関係が悪化して合意はいまだ履行されていない。
北朝鮮地域で発掘された韓国軍戦死者の遺骨が南側に帰ってきたのは、2012年に米国を通じての事例が最初で最後だ。米国は1999年から2005年まで、北朝鮮地域の戦闘現場で発掘した遺骨に対して遺伝子(DNA)検査を実施した。その過程で12体が韓国軍の遺骨である事実が判明し、2012年5月にこれらの遺骨を韓国に送還した。
韓国政府は、2000年から着実に朝鮮戦争戦死者の遺骨を発掘中だ。2004年4月、6・25戦争(朝鮮戦争)50周年記念事業の一環で、3年間にわたり遺骨発掘事業を進め、2003年7月には護国報勲関係長官会議でこの事業を持続的に推進することを決めた。韓国政府は2005年6月からこの事業を永久的に実施することを決め、2007年国防部に遺体発掘鑑識団が創設された。2008年には「6・25戦死者遺骨の発掘等に関する法律」も制定された。
国防部遺骨発掘鑑識団の「6・25戦死者遺骨発掘現況」資料によれば、2018年5月31日基準で発掘された遺骨は計1万1206体だ。このうち韓国軍は9874体だ。発掘過程で見つかった国連軍(17体)と中国軍(589体)の遺骨は、すべて故国に送還された。南側の地で発掘された北朝鮮軍の遺骨も計723体で少なくない数だが、その間に梗塞した南北関係のためにこれまで故郷へ帰ることはできなかった。これらの遺骨は現在、韓国政府が保管中だ。
北側の各地にも韓国軍の遺体が埋まっていると伝えられている。国防部は非武装地帯と北側地域のどこかに埋まっている韓国軍戦死者の遺骨は3~4万体程度と見ている。
北側の地に埋められた韓国軍の遺骨は、家族のもとに戻ることはできるだろうか。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は今月6日、第63回韓国殉国烈士の日の追悼式での辞で、朝鮮戦争戦死者の遺骨発掘に対する意志を明らかにし、「南北関係が改善されれば、非武装地帯の遺骨発掘を優先的に推進する。米軍など海外参戦勇士の遺骨もあわせて発掘できるだろう」と述べた。文大統領は12日の朝米首脳会談の直後、トランプ大統領との通話で「南北間でも遺骨発掘事業が合意された状態なので、南・北・米が共同で推進することを北朝鮮側と協議する」と明らかにしたと大統領府は伝えた。11年前、南北が共同で遺体発掘事業をするとした合意が履行される日も遠くないと見られる。
ノ・ジウォン記者
http://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/850593.html
韓国語原文入力:2018-06-25 18:58
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/30955.html
「The Hankyoreh」 2018-06-26 09:26
■「重装備動員し中国軍の遺体を破虜湖に水葬」
当時工兵将校の弟ホ・ジャンファンさんが証言
「当時、遺体はあまりにも多く、気温が上がってきたため水葬を選んだ」
「政府が取り組み中国軍の遺骨発掘し、本国に送るべき」
遺骨数が多いうえ、韓国優先発掘の原則が障害に
【写真】ホ・ジャンファン韓中国際友好連絡平和促進会共同代表が、韓米連合軍が重装備を利用し中国軍捕虜を押し入れたという場所に立って状況を説明している=パク・スヒョク記者//ハンギョレ新聞社
破虜湖(パロホ)戦闘は「現代版薩水(現在の清川江)大勝利」で有名だ。1951年5月、相対的に劣勢だった韓米連合軍が中国軍との戦闘で2万4141人を射殺する大勝を収めた。連合軍と中国軍が破虜湖で決死の戦闘を繰り広げた理由は、華川(ファチョン)水力発電所を獲得するためだった。これといった電力施設がなかった当時の韓国は、華川ダムを必ず確保しなければならず、同じ理由で華川ダムは北朝鮮にとっても絶対に奪われたくない戦略的要衝地だった。
当時、韓米連合軍は、戦闘が終わってあちこちに散らばっていた中国軍の遺体の処理に頭を悩ませていた。当時、第6師団工兵将校(当時中尉)で戦闘に参加した故ホ・ジャンウォンさんは、弟のジャンファンさんに生き地獄と化した破虜湖周辺の状況を生々しく伝えた。ホ・ジャンファンさんは「当時、遺体はあまりにも多く、気温が上がって行った。遺体を最も簡単に処理できる方法が破虜湖への水葬だったようだ。兄はすべての戦闘が終わった後、韓米連合軍が破虜湖一帯の山や野原に散らばった中国軍の遺体をブルドーザーなどの重装備で破虜湖に投げ込んだと話した」と伝えた。
【写真】華川破虜湖戦闘が終わった後、捕虜となった中国軍の姿=華川郡庁提供//ハンギョレ新聞社
当時、破虜湖戦闘の状況について、華川郡(ファチョングン)が発刊した「華川郡誌」にも「退却する敵を挟み撃ちし、ほとんどの敵が華川貯水池(現在の破虜湖)に水葬された。貯水池周辺と渓谷の一帯は敵の遺体で覆われた。わが軍の後続部隊はブルドーザーで遺体を押しながら前進しなければならなかった。中国共産軍の場だった」と書かれていた。
朝鮮戦争当時、連合軍が中国軍の遺体を破虜湖に水葬したのが事実なら、ジュネーブ条約を違反したという指摘もある。ジュネーブ条約第17条は、「死亡した敵を彼らの宗教慣例に沿って埋葬し、遺骨の送還を保障しなければならない」と規定している。
2001年には華川郡が政府に破虜湖に残っている中国軍の遺骨の発掘と慰霊塔の建立を提案した。しかし、当時政府は何の処置も取らなかった。地域住民たちは対外的に人権を重視する米国が、敵軍の戦死者を集団で水葬したという事実を認めることが困難なためだと思った。政府が米国の顔色を伺い、動かないものだと考えたのだ。
【写真】江原道華川の破虜湖近くにある破虜湖碑=パク・スヒョク記者//ハンギョレ新聞社
中国軍の遺骨発掘のためには越えなければならない山も多い。国防部は2007年に遺体発掘鑑識団を創設し、遺体発掘事業を進めている。これまで遺体発掘鑑識団が1カ所で発掘した遺骨の数は最大で約70体だ。破虜湖の中国軍の遺骨発掘事業は、規模の面でこれまでの事業とは比較にならない。さらに、「朝鮮戦争戦死者遺骨の発掘などに関する法律」は、戦死者のうち国軍を優先的に発掘することを原則としている。遺体発掘鑑識団関係者も「国軍の遺体を探していたところ、中国軍の遺骨を発掘して、中国に送還したことはある。しかし、中国軍の遺骨を探す目的で発掘したことはない」と話した。
【写真】25日、国防部軍事編纂研究所が公開した「米第9軍団指揮報告書」(Ⅸ Corps Command Report)の内容の一部。この報告書には24時間ごとに師団別に中国と北朝鮮軍の射殺者の現況が記録されている=米第9軍団指揮報告書キャプチャー//ハンギョレ新聞社
【写真】この報告書の内容を総合すると、1951年5月24~30日、江原道華川虜湖近くで射殺された中国軍は2万4141人に上る=米第9軍団指揮報告書キャプチャー//ハンギョレ新聞社
50メートルに達する破虜湖の水深と、水門を全部開けて水を抜かなければならないという点も難点に挙げられる。水害による放流などの影響で、中国軍遺体はほとんどが華川ダムの水門近くに集まっているものと推定される。しかし、発掘のために破虜湖の水をすべてを抜けば、破虜湖で漁業をしてきた漁民たちが反発する可能性が高い。また、破虜湖に中国軍の遺体が2万体以上水葬されているという事実自体が、この地域の漁民など住民たちにはあまり歓迎すべきことではないかもしれない。
ホ・ジャンファン韓中国際友好連絡平和促進会共同代表は「困難があっても今回中国軍の遺骨を発掘し、この問題をしっかり解決した方が良いと思う。破虜湖は八堂湖の上流の一つだ。2万人以上の中国軍の遺骨が沈んでいるその水を首都圏住民の上水源に使用するのはあきれた事ではないか」と話した。
パク・スヒョク記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/850638.html
韓国語原文入力:2018-06-26 05:00