三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「イエメン難民受け入れ、悩み多き済州」

2018年07月08日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/31000.html
「The Hankyoreh」 2018-07-02 16:22
■イエメン難民受け入れ、悩み多き済州
 緊急救済に手を差し出し周囲に傷つけられ 
 急いで雇用したものの離脱者輸出 
 「韓国社会がぶつかった難民問題 
 済州だけに任せては解決策を見出せない」

【写真】先月28日、済州市内のある観光ホテルにイエメン人たちが集って話を交わしている//ハンギョレ新聞社

 済州(チェジュ)にやって来た549人のイエメン人を抱えた済州島民が苦境に立たされている。中央政府など「公的システム」がイエメン人を放置するとき、彼らを「緊急救済」した済州島民を相手に、怒った世論の批判が提起されているのが実態だ。出入国当局の緊急な要請でイエメン人を就職させた済州島内の事業所でも、当局の放置に対する不満がたまってきている。イエメン人が居場所を決めた済州の島民たちは積極的に「難民問題」の答を探しているのに、政府の対応は依然として「中央ご都合主義」にとどまっているということだ。
 最近、済州のある家族の助けで彼らの家に滞在していたイエメン人のKさん一家は、済州市外郭に別途宿泊所を得た。マスコミ露出などで彼らの家に難民らが滞在しているという事実が知られ、隣人の抗議が押し寄せたためだ。インターネットでは家族の自宅を訪ね害を与えてやるというコメントが書かれた。そもそも行くところのない難民家族の安全を守ってあげようと自分の家を提供した好意に対して拍手どころか、自分の家族の安全まで脅かされることになった。彼らの家族のように、何の公的支援なしにイエメン難民を抱えた済州島民が、むしろ傷つけられているのが一度や二度ではないというのが、済州島難民対策委の説明だ。
 慌てて開放した就職現場の葛藤も尋常ではない。済州出入国外国人庁は先月、漁船・養殖業・飲食業など内国人雇用の需要が少ない業種に対して、イエメン難民申請者たちの就業を支援した経緯がある。しかし、難民申請者に働き口を提供した漁船と養殖業などのオーナーたちの悩みは深い。職業現場に対する理解が足りなかったり、店主らと意思疎通が円滑でないため職場を辞めるケースが早くも続出しているためだ。
 済州水産業協同組合のある関係者は「難民申請者が漁船の作業環境に対する理解もなく、船の仕事に飛び入りして、船酔いを訴えて途中であきらめるケースが多い」とし、「船主たちの間で不満の声が少なくない」と話した。また、養殖業組合によると、養殖場に就職したイエメン人180人余りのうち、先月29日基準で70人余りが仕事を辞めた。養殖業組合のある関係者は「出入国当局は就業を斡旋しただけで、事後管理は手を放してしまっている状態」と話した。
 イエメン人たちも行き詰った状況だ。先月28日、ハンギョレが訪れた済州市内のある観光ホテルの2人部屋には、20代のイエメン人5人が一緒に暮らしていた。彼らは一人も就職できていない状態だ。この部屋に住むアブドラ(仮名・22)をはじめ3人は、漁船に乗ったがすぐに耐えられなくなり、最近下船した。梅雨の大雨が降る海原で揺れる波に、船酔いと嘔吐を繰り返し、結局、下船を決めたという。アブドラは「一週間は乗っていたが、吐いてばかりで船から降りることになった」と話した。内戦中の負傷で片足に大きな傷があるアメッド(仮名・29)は「養殖場、食堂などに就職しようとしても、業主たちが雇用を渋る」とし、「いつまで周りに頼ることはできない。自立したい」と話した。生計の支援のないイエメン人は自ら仕事について金を稼がなければ、周囲の助けに依存するしかない状況だ。
 第一線の活動家たちの間では「難民問題」を済州道に任せっぱなしの政府のご都合主義を問題視している。集団難民申請に困惑した政府が設けた対策は、彼らを済州という島に縛っておく「出島制限」と「早期就業許可」程度だったためだ。キム・ソンイン済州難民対策委員長は「韓国社会全体に与えられた『難民』という難題を、現在のところ済州島民らがひとり耐えている状況」だとし、「葛藤の管理に失敗した法務部などの初期対応が一番残念だ」と話した。政府が今からでも積極的な葛藤の管理に乗り出すべきだという提言だ。
 彼らの定住を支援できる最も効率的な手段は職場の提供であるだけに、内国人との衝突がない職域に対する就業支援が伴わなければならないという意見も出た。済州平和人権研究所ワットのシン・ガンヒョプ所長は「雇用許可制を通じて韓国に入ってきた移住労働者とは違い、イエメン人は1~2時間の教育だけ受けて緊急に就職現場に投入され、混乱が避けられなかった側面がある」とし、「就職後にも事業主とイエメン人の間の通訳を支援し仲介をするなど、当局のより積極的な努力が必要だ」と話した。キム・ソンイン委員長も「済州島民の雇用と衝突しない範囲で業種制限を緩和する必要がある」とし、「同時に、子どもがいる家庭などは安定的な生活を営むことのできるソウル圏のイスラムコミュニティに行けるように先に処置を取らなければならない」と助言した。

イム・ジェウ記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/851460.html
韓国語原文入力:2018-07-02 08:13


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/31006.html
「The Hankyoreh」 2018-07-03 07:16
■[インタビュー]記者出身のイエメン難民、韓国社会の質問に答える
 写真家・小説家・記者として活動したイスマムさん、2016年12月に祖国を脱出  
 なぜ男だけが来たのかという質問に「13歳過ぎたら戦場に連れて行かれる」 
 「韓国社会の懸念十分に理解する…
 我々の状況知れば理解するだろう」 
 「難民がスマートフォンを持っているのがそんなに不思議なのか…
 故国・家族とつながる手段」

【写真】イエメンで記者として活動したイスマム(仮名)さん=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 「韓国社会の懸念を十分知っています。我々に対する韓国人たちの憂慮と反対の声をよく知っており、そのような意見を持つ韓国人たちを尊重しなければなりません。しかし、我々がなぜ韓国に来たのかを知れば、私たちを理解すると思います」。

 30日深夜、イエメン難民申請者たちが集団で泊まっている済州市内のあるホテルで会ったイスマムさん(30、仮名)は真剣なまなざしでこう語った。内戦が始まる前、彼はイエメンの首都、サヌアのある新聞社で記者として働いていた。写真作家としても活動しており、すでに4冊の本を出した小説家でもある彼は、今年5月5日に難民申請のため、韓国の地を踏んだ。彼に韓国社会が難民に対して持っている懸念と反感について、率直に尋ねた。

★韓国社会では難民を受け入れてはならないという声が高まっている。イエメン人は韓国人たちの反対と懸念を知っているか。
 「韓国人らが我々に反対し、嫌悪するということを、ニュースを通じてよく知っている。韓国人たちは我々がなぜここに来たのかについてよく知らないようだ。我々はそのような意見を持つ韓国人たちを尊重する。韓国は韓国人たちの国であるため、(難民に対する)意見を述べる権利がある。しかし、我々がなぜここまで来ることになったのかを知れば、我々を理解すると信じている。我々は生き残るため、戦場から脱出した。韓国の難民制度のおかげで、こちらに来られてありがたく思っている」。

★なぜ、難民申請者たちのうち男性がはるかに多いのか。男性と女性の間に差別が存在するのではないかという疑問の声もあがっている。
 「難民申請者の中には一人でイエメンから脱出した女性もいる。内戦が勃発した以降、反政府軍が一人でヒジャブをかぶって外出した女性を暴行するのを目撃した。これは深刻な問題だ。しかし、イスラム文化や我々(イエメン)の文化では、女性が一人で外出する権利があり、何の問題にもならない。一部の家は異なる制度を持っているが、これはその家の問題であって、イスラム文化(全体)の問題ではない。韓国でも家ごとに様々な慣習があるではないか。宗教の問題ではなく、家の問題だ。(イエメンでは)女性と男性すべて同等の権利を持っており、女性のための多くの団体が活動している。2011年にはイエメン出身の女性、タワックル・カルマン氏が民主主義と人権の向上に寄与した功労で、ノーベル平和賞を受賞したこともあった。我々には家族と共に旅行する文化がある。しかし、我々が韓国に来たのは旅行ではない。これは脱出であり、逃走である。生存のための逃走だ。今も逃走しているようなものだ。特に、戦時中に、女性と子どもたちと共に脱出できると思うか。まず、あなたが安全に脱出しなければ、家族も脱出できない。我々の文化では男性が家族を守らなければならない」。

★現在、イエメンでは自由が制限されているか。
 「戦時中に自由を語るのは不可能だ。互いに戦っている状況では、自由はあり得ない。安全に過ごすためには、考えていることを心の奥にしまい込み、沈黙を守らなければならない。沈黙を守ったとしても、飢餓や燃料遮断、取り締まりなどによって殺害されるかもしれない。今、イエメンでは1300万人が飢餓の危険にさらされているものと見られる」。

★女性と子どもの状況について話してほしい。
 「イエメンでは13歳を過ぎると戦場に連れて行かれる。まだ子どもなのに (彼はため息をつきながら首を横に振った)。正直、そのようなことは思い出したくない (彼は再び申し訳ないといいながら首を横に振った)。彼らは勉強しなければならない年だ。しかし、フーシ(Huthi)反政府軍は子どもたちを学校や道端で拉致した。北イエメンではこのような状況がさらに悪化した。南イエメンでも状況は似ている。あらゆる場所が生活しにくい状況にある」。

【写真】イエメンで記者として活動したイスマム(仮名)さん=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

★一部の韓国人たちはイスラムが伝統的に女性に抑圧的で暴力だと言う。
 「それはない。決してそうではない。(彼は「そうではない」を何度も繰り返した)。宗教は人間に平和や安全、権利をもたらした。女性と男性は同じだ。女性たちに抑圧的ですって? 決してそうではない。イスラムは平和な宗教であり、平和愛好的な宗教である。ただし、家の文化と制度などによって異なるところはある。女性たちは外でコーヒーを飲むことをはじめ、何だってできる。クラブを行くことも、運転することもできる」。

★実は、韓国人たちはイエメン人についてあまり知らない。
 「(韓国では)イスラム世界を第3世界と呼ぶ。私はこのような概念がどこから来たのかは分からないが、アラブではこのような概念がなかった。我々は皆同じ地球に暮らしていると信じている。私はこの考え方の方が好きだ。今、我々が韓国にいるのも同じだ。イエメン人が最近、財布を拾って韓国警察に届け、持ち主に返した。そのような良いこともしている。まだ犯罪や問題を起こさないで生活している。我々は開放的な心を持っている。イエメンは良い国であり、戦争がなければ、脱出することもなかっただろう。しかし、現在のイエメンでは互いに戦っており、犯罪を犯している。戦場で死ななければ、道端でどこかで飛んできた銃弾に当たって死ぬことになるだろう。物流の中心地だったホデイダでは、多くの人が飢餓で死を余儀なくされている。そこに行ったら、骨と皮だけの人たちを目にするだろう。韓国人たちには、我々が生存のためにここに来たことを、少しは理解してほしいと思う。ここにいるイエメン人たちは、どうやって朝鮮戦争の後に平和を取り戻したのかを学びたいと思っている」。

★今韓国に来ているイエメン難民申請者たちについて話してほしい。
 「私を含めて3人の元ジャーナリストがいる。大学で勉強した人々も多いが、すべてのイエメン人と話したわけではないため、個々人の状況については良く知らない。しかし、イエメン人たちの(学力)レベルや何を勉強したのか、何ができるのかを把握しようとしている」。

★一部の韓国人たちは、イエメン難民申請者たちがイエメンから脱出を余儀なくされたのではなく、より良い雇用と福祉を求めて来た人たちだと思っている。このような見解についてどう思うか。
 「そうではない(彼はこの質問に対して、断固とした表情を見せた)。最初から金の匙をくわえて生まれたなら、親が運営する会社で簡単に仕事を探せただろう。しかし、すべてのことをゼロからスタートするためには、本当に一生懸命に働かなければならない。どこで仕事をしようと大変なのは同じだ。記者であるあなたが今私と会話を交わしており、何らかの記事にするだろうが、多くのストレスを溜め込んでいるだろう。簡単な仕事なんてない。実際、多くのイエメン人たちが漁船に乗ることに失敗したが、慣れない仕事であるからだ。我々は難民であって、奴隷ではないという歌を作りたい。戦争がこのような状況をもたらした」。

★難民たちが新しい国に定着し、他の文化と同化される方が良いのか、それとも難民の共同体で彼らの文化を維持する方が良いと思うか。
 「イラクやシリア、イエメンなど中東諸国には歴史がある。彼らはある国から他の国に行けば団体で生活する。韓国や日本、中国なども同じだ。米国にはコリアタウンがあり、全世界にチャイナタウンがある。互いを理解し、助け合っている。我々が韓国に初めて来た時は、人も場所もわからなかったし、働き口もなかった。今は多くのイエメン人が仕事を見つけてそれぞれ自立している。しかし、互いに連絡し、安否を聞くなど連絡はしている。これは連結の輪であって、難民共同体ではない。ただのつながりに過ぎない」。

★イエメン難民申請者たちがスマートフォンを所持していることを不思議に思う人たちもいる。
 「ははは(彼は呆れた表情を浮かべながら笑った)。そんなことを言う人たちは、我々が16世紀に生きていると思っているようだ。中国人に感謝していると伝えてほしい。以前、イエメンではノキアのスマートフォンを使っていたが、かなり高い。しかし、時代が変わった。ギャラクシーノート8を持っているなら、そんなふうに言われても仕方がないかもしれないが、我々が持ったスマートフォンは100~200ドルのものだ。通信速度は遅いが、インターネットでイエメン社会の情報を得られる。家族とも連絡することもできる」。

★これまで経験した韓国はどんな国なのか。
 「すばらしい国だ (彼はためらうことなく、何度も繰り返した)。韓国に初めて来た時、21世紀に来たと実感した。ごみを分別する姿を見て、驚いた。現代式の考え方だ。韓国人たちを尊敬する。イエメンでも若者が大学に入って熱心に勉強している。開放的で、未来を変えられるという夢を見始めたが、戦争がすべてを壊した」。

 イエメンでは、政府が崩壊した2014年、20社以上の報道機関が閉鎖し、イスマムさんが勤めていた新聞社は2015年3月に本格的な内戦が始まるまでさらに4カ月間持ちこたえた。フーシ反政府軍は内戦の開始と共に、すべてを統制した。多くのジャーナリストたちが拉致され、彼と家族のように親しかった同僚の記者も拉致されて、まだ生死がわからない。
 彼は「真実を言ったら政府との反乱軍の両方から脅された。フーシは自分側に加担しない人たちは敵として扱った」と話した。彼は二回、反乱軍側から脅された。2015年に新聞ではなく、フェイスブックに文を掲載したが、これを口実に、誰かから弟を戦場に連れていかれたくなかったら沈黙を守るよう脅迫された。二回目は直接、殺害するか誘拐すると脅された。命の危険を感じたイスマムさんは家を出て、1年6カ月ほど隠れて暮らした後、2016年12月にイエメンを脱出した。

済州/ホ・ホジュン記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/851532.html
韓国語原文入力:2018-07-02 16:38


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/31030.html
「The Hankyoreh」 2018-07-05 10:34
■[記者手帳] 難民を雇用した済州の養殖場からの電話…「政府はどこにいるんですか」
 「難民問題」最前線に立った済州島民 
 好意を見せたところ、激しい非難に直面し 
 働き口を与えたが、政府の事後管理はなく 
い ま済州に切実に必要なのは政府の役割

【写真】イエメン難民が故郷のサナアにサウジアラビア空軍が爆撃するシーンの動画を見せている=パク・スンファ記者//ハンギョレ新聞社

 10日間の済州島取材を終えてソウルに戻ってから二日が過ぎた時だ。済州から一本の電話がきた。自分を「済州の養殖場の事業主でイエメン人を雇用しているK(29)」と名乗った。
 Kさんは「現場の声」を伝えたいと言った。「いま養殖場に来たイエメン人は、韓国文化、韓国語、さらには韓国の食事法も全くわからない状況です。教育を受けて試験を受けて入ってきた他の外国人労働者とは違います」。Kさんの養殖場で働くイエメン人もやはり、韓国語のあいさつどころかハングルの基本も知らないという。「文字がわかれば単語や基本的な文章でも教えてあげられるけれど、ハングルの最初の文字も知らないから方法がないんです」
 Kさんをはじめ済州の事業主たちは、イエメン人の「顔と印象」だけを見て雇用した。「出入国・外国人庁が設けた就職説明会は『無作為マッチング』で行われました。イエメン人に1番、2番と番号をつけ、事業主とつなぐ方法でした」。イエメン人を対象とした出入国当局の事前教育は2時間程度の映像を見せたのが全部だった。Kさんは「現場では政府当局が何をしているのかが見えない。イエメン人を押しつけられたという感じがするほど」だとし、「少なくともアラビア語でなされる韓国語、韓国文化の講義でもユーチューブにアップしてくれたらいいのに、それさえもない実情」と話した。
 済州島民は、どさくさの中で「難民問題」の最前線に立った。これには政府の「放置」も大きな役割をした。急に集まった「難民申請者」に困惑した出入国当局は、「出島制限」で彼らを済州に閉じ込めたこと以外には、特別な措置を取らなかった。臨時の方便として行われた「就業斡旋」も事後管理とはかけ離れていた。「韓国を全く知らないイエメン人」と「イスラム文化になじみのない事業主」が、緩衝地帯なしにぶつかりあったのだ。
 現場に適応できなかったイエメン人は事業場から離脱し、事業主たちには不満が積もった。この様子だけを浮き彫りにするメディアによって「衝突と不和」がもくもくと広がっている。済州で会った島民たちは、それぞれ心に傷を抱えていた。イエメン人に善意を示した市民社会は厳しい非難に直面し、イエメン人を雇用した事業主は無駄な荷物を担わされたという被害意識を持つようになった。根拠を見つけにくい噂に恐れる済州島民も多い。当の政府は、このうちの誰に対しても何の役割も果たしていない。
 よかれあしかれ、韓国は難民条約に加盟している。2013年の難民法を制定したのも韓国の国会だ。「549人のイエメン人」は、頭の痛い問題だとして棚に上げておける“物”ではない。遅くはあるが、衝突の現場となった済州には市民の「善意」ではない政府の「行政力」が必要だ。美しい島・済州はイエメン人たちを閉じ込めるための刑務所ではないだろう。

イム・ジェウ記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/851888.html
韓国語原文入力:2018-07-05 07:53
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