http://japanese.joins.com/article/920/242920.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2018年07月05日10時51分
■「あの世からでも日本の謝罪を」…慰安婦被害者キム・ボクドゥクさん追慕
韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺対協)が4日正午、ソウル鍾路区中学洞(チョンノグ・チュンハクトン)の在韓日本大使館前で開催した第1324回定期水曜集会で、今月1日に慶尚南道統営(キョンサンナムド・トンヨン)で死去したキム・ボクドゥクさんを追慕した。
集会司会者は「キムさんが現世でも晴らすことのできなかった恨(ハン)をあの世ではすべて晴らし、そちらからでも日本から謝罪を受けることができるよう期待している」と話した。
続いて僧侶が経を唱えながらキムさんの極楽往生を祈り、集会に参加した学生たちはキムさんのために祈った。
挺対協によると、今年101歳で亡くなったキムさんは22歳のときに工場に就職口があるという言葉にだまされてフィリピンなどに連れて行かれた後「日本軍性奴隷」として働かされ、7年後に韓国に帰ってきた。
http://japanese.joins.com/article/454/22454.html?servcode=400§code=400
「中央日報日本語版」 2001年12月26日21時39分
■「日本の謝罪聞けず6人があの世に」従軍慰安婦ら490回目の抗議
「今年2月、カンボジア・プノンペンでフンさん、中国琿春でチョ・ユンオックさん、そしてイ・チュンボン、キム・ジョムス、ファン・オクイム、キム・ジェスさん...。今年も日本政府から謝罪の言葉を聞くことができないまま、6人の女性が亡くなりました」26日正午、ソウル中学洞(チュンハクドン)にある日本大使館前では、挺身(ていしん)隊の女性たちによる今年最後の水曜集会が行われた。
「日本政府の正式謝罪と法的賠償」を要求し、毎週集会を行ったのがこの日で490回目。
この日は、今年亡くなった女性のための質素な追慕会があった。
世宗(セジョン)文化会館に場所を移して行われた追慕会で、老患と病気で先日この世を去った女性らの名が呼ばれると、出席した10人の女性らは静かに鳴咽した。
黄錦周(ファン・クムジュ、82、ソウル陽川区木洞)さんは「1998年、フンさんが韓国に来たときは頻繁に会えたのに...」とし、この世を去った仲間のことを思い浮かべた。
この日は1992年1月8日の初集会の後、過去9年を振り返ってみる席でもあった。
とりわけ今年4月、日本文部省が従軍慰安婦の部分を削除した歴史教科書に対する検定合格の判定を下したことによって、激しい闘争を繰り広げた今年1年に意味を与えた。
「日本教科書の修正」を要求し、多くの市民らが共にしたことを誇らしく思った。
ソウル弥阿洞(ミアドン)に所在する「聖パウロの娘の修道会」所属の修道女らと、市民団体・経済正義実践市民連合(経実連)の会員パク・セヨン(79)氏、一般人など同集会に常に出席してきたおよそ20人はこの日も姿を現わした。
アステリア(ホン・スンリェ、30)修練修女は「人間の平等と自由に向けたおばあさんらの叫びは、水滴が大きな波を作るようなことであり、日本政府の正式謝罪への希望を持たせた」と話した。
挺身(ていしん)隊問題対策協議会(挺対協)は、昨年12月東京、先の3~4日オランダ・ハーグで開かれた韓国・日本・フィリピン3カ国の民間国際女性法廷で下した裕仁前天皇など戦犯らへの有罪判決文を、同日4巻の本で発刊した。
行事が終わった午後5時。歩行が不自由なハン・ドスン(90、京畿道広州のナヌムの家)さんは「年を取れば亡くなるもの、だけどそう簡単に逝くことができるかい」とつぶやいて席を立った。
「中央日報日本語版」 2018年07月05日10時51分
■「あの世からでも日本の謝罪を」…慰安婦被害者キム・ボクドゥクさん追慕
韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺対協)が4日正午、ソウル鍾路区中学洞(チョンノグ・チュンハクトン)の在韓日本大使館前で開催した第1324回定期水曜集会で、今月1日に慶尚南道統営(キョンサンナムド・トンヨン)で死去したキム・ボクドゥクさんを追慕した。
集会司会者は「キムさんが現世でも晴らすことのできなかった恨(ハン)をあの世ではすべて晴らし、そちらからでも日本から謝罪を受けることができるよう期待している」と話した。
続いて僧侶が経を唱えながらキムさんの極楽往生を祈り、集会に参加した学生たちはキムさんのために祈った。
挺対協によると、今年101歳で亡くなったキムさんは22歳のときに工場に就職口があるという言葉にだまされてフィリピンなどに連れて行かれた後「日本軍性奴隷」として働かされ、7年後に韓国に帰ってきた。
http://japanese.joins.com/article/454/22454.html?servcode=400§code=400
「中央日報日本語版」 2001年12月26日21時39分
■「日本の謝罪聞けず6人があの世に」従軍慰安婦ら490回目の抗議
「今年2月、カンボジア・プノンペンでフンさん、中国琿春でチョ・ユンオックさん、そしてイ・チュンボン、キム・ジョムス、ファン・オクイム、キム・ジェスさん...。今年も日本政府から謝罪の言葉を聞くことができないまま、6人の女性が亡くなりました」26日正午、ソウル中学洞(チュンハクドン)にある日本大使館前では、挺身(ていしん)隊の女性たちによる今年最後の水曜集会が行われた。
「日本政府の正式謝罪と法的賠償」を要求し、毎週集会を行ったのがこの日で490回目。
この日は、今年亡くなった女性のための質素な追慕会があった。
世宗(セジョン)文化会館に場所を移して行われた追慕会で、老患と病気で先日この世を去った女性らの名が呼ばれると、出席した10人の女性らは静かに鳴咽した。
黄錦周(ファン・クムジュ、82、ソウル陽川区木洞)さんは「1998年、フンさんが韓国に来たときは頻繁に会えたのに...」とし、この世を去った仲間のことを思い浮かべた。
この日は1992年1月8日の初集会の後、過去9年を振り返ってみる席でもあった。
とりわけ今年4月、日本文部省が従軍慰安婦の部分を削除した歴史教科書に対する検定合格の判定を下したことによって、激しい闘争を繰り広げた今年1年に意味を与えた。
「日本教科書の修正」を要求し、多くの市民らが共にしたことを誇らしく思った。
ソウル弥阿洞(ミアドン)に所在する「聖パウロの娘の修道会」所属の修道女らと、市民団体・経済正義実践市民連合(経実連)の会員パク・セヨン(79)氏、一般人など同集会に常に出席してきたおよそ20人はこの日も姿を現わした。
アステリア(ホン・スンリェ、30)修練修女は「人間の平等と自由に向けたおばあさんらの叫びは、水滴が大きな波を作るようなことであり、日本政府の正式謝罪への希望を持たせた」と話した。
挺身(ていしん)隊問題対策協議会(挺対協)は、昨年12月東京、先の3~4日オランダ・ハーグで開かれた韓国・日本・フィリピン3カ国の民間国際女性法廷で下した裕仁前天皇など戦犯らへの有罪判決文を、同日4巻の本で発刊した。
行事が終わった午後5時。歩行が不自由なハン・ドスン(90、京畿道広州のナヌムの家)さんは「年を取れば亡くなるもの、だけどそう簡単に逝くことができるかい」とつぶやいて席を立った。