■戦争法・「日本産業革命遺産」・「日本遺産」■
佐藤正人
1889年2月11日に、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とする「大日本帝國憲法」が発布された(1890年11月29日施行。1947年5月2日まで存続)。
1946年11月3日に、最悪の侵略犯罪者・戦犯を「日本国の象徴」・「日本国民統合」の象徴とする「日本国憲法」が公布された(1947年5月3日施行)。
1999年8月13日に、侵略の旗「ヒノマル」、天皇賛歌「キミガヨ」が、国民国家日本の「国旗」、「国歌」とされた。
2015年7月に、日本の「産業革命遺産」が、ユネスコの「世界文化遺産」に登録された。
2015年9月30日に、「平和」をかかげる戦争法(「平和安全法制整備法」+「国際平和支援法」)が公布され、2016年3月29日から施行された。
2015年4月から文化庁は、「日本遺産(Japan Heritage)」の認定を開始し、2016年4月25日に、「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」という「旧軍港四市」が共同申請した「ストーリー」を「日本遺産」に認定した(このブログの2017年10月4日の「日政府新认定19件文化遗产 旧日本海军镇守府等获选」をみてください)。
2017年7月11日に「共謀罪法(改正組織犯罪処罰法)」が施行された。
■軍隊・戸籍・徴兵制
1868年にクーデタによって国家権力を奪取した維新政府は、1869年9月にアイヌモシリを、1872年10月に琉球王国を植民地とした。
維新政府は、国民国家(「臣民国家」)の形成を急ぎ、1872年2月に陸軍省・海軍省を設置し、同じ年に戸籍を編成し、1873年1月に徴兵令を制定した。戸籍がなければ徴兵制を維持できない。
1874年に西郷従道(「台湾蕃地事務局都督」)が指揮する日本軍が台湾に侵入して住民を虐殺し、1875年に日本の小型砲艦「雲揚」が江華島海域に侵入した(1876年に「朝日修好条規」調印・発効)。
1889年2月に日本政府は「大日本帝國憲法」発布し、日本国民を「臣民」と規定した。
国民国家日本の軍隊は、ヨーロッパ諸国民国家の軍隊と等しく、他地域他国侵略の機関であった。
日本政府は、1884年に横須賀鎮守府、1889年に呉鎮守府と佐世保鎮守府、1901年に舞鶴鎮守府、1905年に旅順口鎮守府を設置した。鎮守府は、アジア太平洋各地を侵略する日本海軍の根拠地であった。
鎮守府は1945年11月に廃止されたが、1954年7月に日本海軍(海上自衛隊)の地方隊として継承され現在に至っている。
■日本海軍 鎮守府 特別陸戦隊
1939年2月10日に、日本陸海軍が海南島に奇襲上陸した。
日本海軍は海南島を5地域に分割し、横須賀鎮守府第4特別陸戦隊、佐世保鎮守府第8特別陸戦隊、舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊、第15警備隊、第16警備隊の5特別陸戦隊に軍事支配させた(第15警備隊と第16警備隊を構成していたのは呉鎮守府特別陸戦隊)。
横須賀・呉・佐世保・舞鶴の日本海軍鎮守府の特別陸戦隊は、1939年2月から1945年8月まで、海南島各地の村落・都市を襲撃し、民衆を虐殺し、家を焼き、コメ・家畜・資源を掠奪し続けた。
残忍で凶悪な侵略犯罪をくりかえしていた横須賀・呉・佐世保・舞鶴の日本海軍鎮守府の日本兵が海南島を去ってから70年あまりのち、日本政府の政府機関は、「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」という「ストーリー」を「日本遺産」に認定した。
■「日本近代化の躍動」
その「ストーリー」の冒頭には、
「明治期の日本は、近代国家として西欧列強に渡り合うための海防力を備えることが急
務であった。このため、国家プロジェクトにより天然の良港を四つ選び軍港を築いた。
静かな農漁村に人と先端技術を集積し、海軍諸機関と共に水道、鉄道などのインフラ
が急速に整備され、日本の近代化を推し進めた四つの軍港都市が誕生した」、
と書かれていた。
文化庁の認定の4日前、2016年4月21日に4市の市長が連名で「報道機関関係者」に「旧軍港四市が日本遺産に認定されました!」という文書をだした。そこには、つぎのように書かれていた。
「★ストーリーの骨子
○明治期の日本は、近代国家として海防力を備える必要があったため、国家プロジェ
クトにより天然の良港4か所に軍港を築き、鎮守府を置いた。
○静かな農漁村に人と先端技術が集まり、独自の都市形成の歩みの中で軍港都市が
誕生し、日本の近代技術が育まれた。
○日本の近代化を推し進めた四市には、海軍由来の食文化もまちに浸透し、多種多
様な数多くの近代化遺産とともに、躍動した往時の姿を体感できる。
★今後の対応:日本の近代化の歴史を物語る遺産の活用や環境整備等に四市連携し
て取り組むとともに、国内外への積極的な情報発信を通じ、まちの賑わい創出,地域活
性化に取り組みます」。
■「ストーリーを語る文化財」
旧軍港四市が「ストーリーの構成文化財」として文化庁に申請した「文化財」にはつぎのようなものが含まれている。
★呉市:旧呉鎮守府司令長官官舎、旧呉海軍工廠塔時計、旧高烏砲台火薬庫、海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎(旧呉鎮守府庁舎)、長迫公園(旧海軍墓地)、旧呉海軍工廠造船部、旧呉鎮守府兵器部護岸、旧魚雷積載用クレーン、旧呉海軍工廠海軍技手養成所跡と周辺の海軍遺構、高烏砲台跡(兵舎跡)、大空山砲台跡。
★横須賀市:米海軍横須賀基地C1建物(旧横須賀鎮守府庁舎)、米海軍横須賀基地C2建物(旧横須賀鎮守府会議所・横須賀海軍艦船部庁舎)、米海軍横須賀基地B39建物(旧横須賀海軍工廠庁舎)、海上自衛隊横須賀地方総監部田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府司令長官官舎)、猿島砲台跡(東京湾要塞跡)、兵舎(東京湾第三海堡構造物)、米海軍横須賀基地 ドライドック1〜6号 (旧横須賀製鉄所・造船所・海軍工廠第一〜第六号船渠)。
★佐世保市:旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設、旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館(佐世保市民文化ホール)、西九州倉庫前畑1号倉庫(旧第五水雷庫)、立神係船池(旧修理艦船繋留場)、旧佐世保要塞砲兵連隊跡(佐世保要塞及び関連施設)、前畑火薬庫、田島岳高射砲台跡(海軍防備隊、警備隊砲台群)、旧佐世保海軍工廠施設群、佐世保鎮守府庁・海兵団関連施設群、佐世保鎮守府関連記念碑群、旧海軍墓地。
佐世保の「海軍墓地」とそこに1973年9月に建てられた「海南島忠魂碑ついては、
このブログの2007年2月26日の「日本海軍佐世保鎮守府 1」、2008年6月10日の
「「口述史」について 12」、2010年9月27日の「証言・記録、そして証言者と聞きと
る者との関係 13」、2012年2月12日の「広東裁判」・「香港裁判」 14」などをみて
ください。
★舞鶴市:旧舞鶴鎮守府軍需部倉庫、海上自衛隊舞鶴地方総監部会議所(旧舞鶴鎮守府司令長官官舎)、ジャパンマリンユナイテッド舞鶴事業所(旧舞鶴鎮守府海軍工廠)、海上自衛隊舞鶴警備隊正門(旧舞鶴鎮守府西門)、海上自衛隊舞鶴地方総監部大講堂及び海軍記念館収蔵資料(旧海軍機関学校大講堂及び鎮守府関係資料)、海上自衛隊舞鶴地方総監部第一庁舎及び第四術科学校校舎(旧海軍機関学校庁舎及び生徒館)、舞鶴市水道施設桂貯水池(旧舞鶴鎮守府水道施設 桂取水堰堤)、鎮守府周辺の石積護岸、砲兵大隊正門跡(旧舞鶴要塞跡)、旧市長公舎(旧海軍北吸乙号官舎)。
■侵略遺跡 侵略遺産 文化財
旧軍港4市には、旧呉鎮守府庁舎、旧呉鎮守府司令長官官舎、旧横須賀鎮守府庁舎、旧横須賀鎮守府司令長官官舎をふくむ日本海軍の他地域他国侵略犯罪の跡が遺されている。
そのなかには、現在、海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎、米海軍横須賀基地C1建物などとして、現在、日本海軍(「海上自衛隊」)、アメリカ合州国海軍の施設として使われているものもある。
文化庁と旧軍港4市は、日本海軍による他地域他国侵略犯罪をまったく隠して、鎮守府 のあった横須賀・呉・佐世保・舞鶴を「日本近代化の躍動を体感できるまち」を、「日本遺産」・「文化財」としている。横須賀・呉・佐世保・舞鶴は、かつて日本海軍の侵略根拠地(鎮守府)があった「まち」であり、現在日本海軍の基地のある「まち」である(横須賀と佐世保は、アメリカ合州国海軍〈第7艦隊〉の基地のある「まち」でもある)。
旧軍港4市は、その「まち」を「日本遺産」とするならば、かつて日本海軍4鎮守府がアジア太平洋の各地でおこなった侵略犯罪にかんする諸事実を可能なかぎり詳細に明らかにしなければならない。
海南島における4鎮守府の特別陸戦隊の犯罪の一部については、海南島近現代史研究
会の『会報』、『会誌』、ドキュメンタリー(『海南島月塘村虐殺』)、紀州鉱山の真実を明らか
にする会の『海南島で日本は何をしたのか 虐殺・略奪・性奴隷化、抗日反日闘争』、『写
真集 日本の海南島侵略と抗日反日闘争』、ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で』、
『“朝鮮報国隊”』などをみてください。
■「日本産業革命遺産」
2014年1月29日に、日本政府内閣官房(地域活性化統合事務局)は、「明治日本の産業革命遺産」の推薦書をユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産センターに提出した。2015年7 月の世界遺産委員会で「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」がユネスコの「世界文化遺産」に登録された。
その「明治日本の産業革命遺産」には、「三菱長崎造船所 第三船渠」、「高島炭坑」、「端島炭坑」、「三池炭鉱、三池港」、「官営八幡製鐵所」などの他に、「松下村塾」、「萩城下町」が含まれている。
産業革命に直接的には関係のない「松下村塾」、「萩城下町」を日本政府が「明治日本の産業革命遺産」に含めていることは、日本政府が侵略イデオロギーを保持し続けていることを示している。
「松下村塾」は、吉田松陰が教師をしていた「萩城下町」の私塾であった。吉田松陰は、アイヌモシリ・琉球の領土化、朝鮮の植民地化、「満洲」・台湾・「呂宋諸島」(フィリピン)領土化を主張していた。かれのアジア太平洋侵略イデオロギーは、「維新政府」以後、現在にいたるまで日本政府に受けつがれている。
■産業革命 負の遺産
綿織物工業・製鉄工業・石炭採掘業などにおける技術革新を契機とするイギリスの産業革命は、イギリスの植民地支配を前提としていた。原料収奪地と市場としての植民地がなければ、他地域他国侵略による資本蓄積がなければ、産業革命は起こりえなかった。
イギリスに続く、西ヨーロッパ諸国、ロシア、アメリカ合州国の産業革命も、日本の産業革命も、他地域他国侵略・植民地支配を前提としていた。
日本は、19世紀後半のアイヌモシリ植民地化、琉球王国植民地化、台湾侵略、朝鮮侵略の過程で、軍備を増強し、産業革命をおこない、「富国強兵」、「殖産興業」を実行し、経済基礎構造を強化した。
「明治日本の産業革命遺産」には、「三菱長崎造船所 第三船渠」、「高島炭坑」、「端島炭坑(軍艦島)」、「三池炭鉱、三池港」、「官営八幡製鐵所」などが含まれているが、これらの「遺産」の歴史は、朝鮮人強制連行・強制労働の歴史と結びついている。
日本の鉄道・港湾・道路などの基礎構造を最底辺で建設したのは、植民地民衆であった。
「日本の産業革命遺産」は、負の「遺産」である。
■国民国家日本の侵略犯罪 侵略責任(戦争責任、植民地支配責任、戦後責任)
日本政府は、過去も現在も、国民国家日本の侵略犯罪・国家犯罪の歴史的責任をとろうとせず、謝罪も、賠償も、責任者処罰もおこなっていない。日本政府は、日本の侵略犯罪・国家犯罪にかんする証拠を消去・隠蔽し、事実を抹殺しようとしてきた。
19世紀後半以後の国民国家日本は他地域他国侵略という国家犯罪を重ねてきた。1945年8月以前も以後も、日本の国家的・社会的・思想的構造は本質的に変わっていない。
20世紀末以後、日本政府は、過去の侵略犯罪という歴史的事実を認めず、侵略の国家構造を強化する策動をすすめてきた。1999年8月13日に、日本は、侵略の旗「ヒノマル」を国旗とし、天皇賛歌「キミガヨ」を国歌とし、その12日後の8月25日に、他地域・他国軍事侵略のための「周辺事態法」を施行した。
2015年7月の日本「産業革命遺産」の「世界文化遺産」登録、2015年9月の戦争法公布、2016年4月の「鎮守府」の「日本遺産」認定、2017年7月の「共謀罪法」施行は、ひとつづきの国民国家日本・日本政府の侵略犯罪である。
2017年10月25日 記
佐藤正人
1889年2月11日に、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とする「大日本帝國憲法」が発布された(1890年11月29日施行。1947年5月2日まで存続)。
1946年11月3日に、最悪の侵略犯罪者・戦犯を「日本国の象徴」・「日本国民統合」の象徴とする「日本国憲法」が公布された(1947年5月3日施行)。
1999年8月13日に、侵略の旗「ヒノマル」、天皇賛歌「キミガヨ」が、国民国家日本の「国旗」、「国歌」とされた。
2015年7月に、日本の「産業革命遺産」が、ユネスコの「世界文化遺産」に登録された。
2015年9月30日に、「平和」をかかげる戦争法(「平和安全法制整備法」+「国際平和支援法」)が公布され、2016年3月29日から施行された。
2015年4月から文化庁は、「日本遺産(Japan Heritage)」の認定を開始し、2016年4月25日に、「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」という「旧軍港四市」が共同申請した「ストーリー」を「日本遺産」に認定した(このブログの2017年10月4日の「日政府新认定19件文化遗产 旧日本海军镇守府等获选」をみてください)。
2017年7月11日に「共謀罪法(改正組織犯罪処罰法)」が施行された。
■軍隊・戸籍・徴兵制
1868年にクーデタによって国家権力を奪取した維新政府は、1869年9月にアイヌモシリを、1872年10月に琉球王国を植民地とした。
維新政府は、国民国家(「臣民国家」)の形成を急ぎ、1872年2月に陸軍省・海軍省を設置し、同じ年に戸籍を編成し、1873年1月に徴兵令を制定した。戸籍がなければ徴兵制を維持できない。
1874年に西郷従道(「台湾蕃地事務局都督」)が指揮する日本軍が台湾に侵入して住民を虐殺し、1875年に日本の小型砲艦「雲揚」が江華島海域に侵入した(1876年に「朝日修好条規」調印・発効)。
1889年2月に日本政府は「大日本帝國憲法」発布し、日本国民を「臣民」と規定した。
国民国家日本の軍隊は、ヨーロッパ諸国民国家の軍隊と等しく、他地域他国侵略の機関であった。
日本政府は、1884年に横須賀鎮守府、1889年に呉鎮守府と佐世保鎮守府、1901年に舞鶴鎮守府、1905年に旅順口鎮守府を設置した。鎮守府は、アジア太平洋各地を侵略する日本海軍の根拠地であった。
鎮守府は1945年11月に廃止されたが、1954年7月に日本海軍(海上自衛隊)の地方隊として継承され現在に至っている。
■日本海軍 鎮守府 特別陸戦隊
1939年2月10日に、日本陸海軍が海南島に奇襲上陸した。
日本海軍は海南島を5地域に分割し、横須賀鎮守府第4特別陸戦隊、佐世保鎮守府第8特別陸戦隊、舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊、第15警備隊、第16警備隊の5特別陸戦隊に軍事支配させた(第15警備隊と第16警備隊を構成していたのは呉鎮守府特別陸戦隊)。
横須賀・呉・佐世保・舞鶴の日本海軍鎮守府の特別陸戦隊は、1939年2月から1945年8月まで、海南島各地の村落・都市を襲撃し、民衆を虐殺し、家を焼き、コメ・家畜・資源を掠奪し続けた。
残忍で凶悪な侵略犯罪をくりかえしていた横須賀・呉・佐世保・舞鶴の日本海軍鎮守府の日本兵が海南島を去ってから70年あまりのち、日本政府の政府機関は、「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」という「ストーリー」を「日本遺産」に認定した。
■「日本近代化の躍動」
その「ストーリー」の冒頭には、
「明治期の日本は、近代国家として西欧列強に渡り合うための海防力を備えることが急
務であった。このため、国家プロジェクトにより天然の良港を四つ選び軍港を築いた。
静かな農漁村に人と先端技術を集積し、海軍諸機関と共に水道、鉄道などのインフラ
が急速に整備され、日本の近代化を推し進めた四つの軍港都市が誕生した」、
と書かれていた。
文化庁の認定の4日前、2016年4月21日に4市の市長が連名で「報道機関関係者」に「旧軍港四市が日本遺産に認定されました!」という文書をだした。そこには、つぎのように書かれていた。
「★ストーリーの骨子
○明治期の日本は、近代国家として海防力を備える必要があったため、国家プロジェ
クトにより天然の良港4か所に軍港を築き、鎮守府を置いた。
○静かな農漁村に人と先端技術が集まり、独自の都市形成の歩みの中で軍港都市が
誕生し、日本の近代技術が育まれた。
○日本の近代化を推し進めた四市には、海軍由来の食文化もまちに浸透し、多種多
様な数多くの近代化遺産とともに、躍動した往時の姿を体感できる。
★今後の対応:日本の近代化の歴史を物語る遺産の活用や環境整備等に四市連携し
て取り組むとともに、国内外への積極的な情報発信を通じ、まちの賑わい創出,地域活
性化に取り組みます」。
■「ストーリーを語る文化財」
旧軍港四市が「ストーリーの構成文化財」として文化庁に申請した「文化財」にはつぎのようなものが含まれている。
★呉市:旧呉鎮守府司令長官官舎、旧呉海軍工廠塔時計、旧高烏砲台火薬庫、海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎(旧呉鎮守府庁舎)、長迫公園(旧海軍墓地)、旧呉海軍工廠造船部、旧呉鎮守府兵器部護岸、旧魚雷積載用クレーン、旧呉海軍工廠海軍技手養成所跡と周辺の海軍遺構、高烏砲台跡(兵舎跡)、大空山砲台跡。
★横須賀市:米海軍横須賀基地C1建物(旧横須賀鎮守府庁舎)、米海軍横須賀基地C2建物(旧横須賀鎮守府会議所・横須賀海軍艦船部庁舎)、米海軍横須賀基地B39建物(旧横須賀海軍工廠庁舎)、海上自衛隊横須賀地方総監部田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府司令長官官舎)、猿島砲台跡(東京湾要塞跡)、兵舎(東京湾第三海堡構造物)、米海軍横須賀基地 ドライドック1〜6号 (旧横須賀製鉄所・造船所・海軍工廠第一〜第六号船渠)。
★佐世保市:旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設、旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館(佐世保市民文化ホール)、西九州倉庫前畑1号倉庫(旧第五水雷庫)、立神係船池(旧修理艦船繋留場)、旧佐世保要塞砲兵連隊跡(佐世保要塞及び関連施設)、前畑火薬庫、田島岳高射砲台跡(海軍防備隊、警備隊砲台群)、旧佐世保海軍工廠施設群、佐世保鎮守府庁・海兵団関連施設群、佐世保鎮守府関連記念碑群、旧海軍墓地。
佐世保の「海軍墓地」とそこに1973年9月に建てられた「海南島忠魂碑ついては、
このブログの2007年2月26日の「日本海軍佐世保鎮守府 1」、2008年6月10日の
「「口述史」について 12」、2010年9月27日の「証言・記録、そして証言者と聞きと
る者との関係 13」、2012年2月12日の「広東裁判」・「香港裁判」 14」などをみて
ください。
★舞鶴市:旧舞鶴鎮守府軍需部倉庫、海上自衛隊舞鶴地方総監部会議所(旧舞鶴鎮守府司令長官官舎)、ジャパンマリンユナイテッド舞鶴事業所(旧舞鶴鎮守府海軍工廠)、海上自衛隊舞鶴警備隊正門(旧舞鶴鎮守府西門)、海上自衛隊舞鶴地方総監部大講堂及び海軍記念館収蔵資料(旧海軍機関学校大講堂及び鎮守府関係資料)、海上自衛隊舞鶴地方総監部第一庁舎及び第四術科学校校舎(旧海軍機関学校庁舎及び生徒館)、舞鶴市水道施設桂貯水池(旧舞鶴鎮守府水道施設 桂取水堰堤)、鎮守府周辺の石積護岸、砲兵大隊正門跡(旧舞鶴要塞跡)、旧市長公舎(旧海軍北吸乙号官舎)。
■侵略遺跡 侵略遺産 文化財
旧軍港4市には、旧呉鎮守府庁舎、旧呉鎮守府司令長官官舎、旧横須賀鎮守府庁舎、旧横須賀鎮守府司令長官官舎をふくむ日本海軍の他地域他国侵略犯罪の跡が遺されている。
そのなかには、現在、海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎、米海軍横須賀基地C1建物などとして、現在、日本海軍(「海上自衛隊」)、アメリカ合州国海軍の施設として使われているものもある。
文化庁と旧軍港4市は、日本海軍による他地域他国侵略犯罪をまったく隠して、鎮守府 のあった横須賀・呉・佐世保・舞鶴を「日本近代化の躍動を体感できるまち」を、「日本遺産」・「文化財」としている。横須賀・呉・佐世保・舞鶴は、かつて日本海軍の侵略根拠地(鎮守府)があった「まち」であり、現在日本海軍の基地のある「まち」である(横須賀と佐世保は、アメリカ合州国海軍〈第7艦隊〉の基地のある「まち」でもある)。
旧軍港4市は、その「まち」を「日本遺産」とするならば、かつて日本海軍4鎮守府がアジア太平洋の各地でおこなった侵略犯罪にかんする諸事実を可能なかぎり詳細に明らかにしなければならない。
海南島における4鎮守府の特別陸戦隊の犯罪の一部については、海南島近現代史研究
会の『会報』、『会誌』、ドキュメンタリー(『海南島月塘村虐殺』)、紀州鉱山の真実を明らか
にする会の『海南島で日本は何をしたのか 虐殺・略奪・性奴隷化、抗日反日闘争』、『写
真集 日本の海南島侵略と抗日反日闘争』、ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で』、
『“朝鮮報国隊”』などをみてください。
■「日本産業革命遺産」
2014年1月29日に、日本政府内閣官房(地域活性化統合事務局)は、「明治日本の産業革命遺産」の推薦書をユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産センターに提出した。2015年7 月の世界遺産委員会で「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」がユネスコの「世界文化遺産」に登録された。
その「明治日本の産業革命遺産」には、「三菱長崎造船所 第三船渠」、「高島炭坑」、「端島炭坑」、「三池炭鉱、三池港」、「官営八幡製鐵所」などの他に、「松下村塾」、「萩城下町」が含まれている。
産業革命に直接的には関係のない「松下村塾」、「萩城下町」を日本政府が「明治日本の産業革命遺産」に含めていることは、日本政府が侵略イデオロギーを保持し続けていることを示している。
「松下村塾」は、吉田松陰が教師をしていた「萩城下町」の私塾であった。吉田松陰は、アイヌモシリ・琉球の領土化、朝鮮の植民地化、「満洲」・台湾・「呂宋諸島」(フィリピン)領土化を主張していた。かれのアジア太平洋侵略イデオロギーは、「維新政府」以後、現在にいたるまで日本政府に受けつがれている。
■産業革命 負の遺産
綿織物工業・製鉄工業・石炭採掘業などにおける技術革新を契機とするイギリスの産業革命は、イギリスの植民地支配を前提としていた。原料収奪地と市場としての植民地がなければ、他地域他国侵略による資本蓄積がなければ、産業革命は起こりえなかった。
イギリスに続く、西ヨーロッパ諸国、ロシア、アメリカ合州国の産業革命も、日本の産業革命も、他地域他国侵略・植民地支配を前提としていた。
日本は、19世紀後半のアイヌモシリ植民地化、琉球王国植民地化、台湾侵略、朝鮮侵略の過程で、軍備を増強し、産業革命をおこない、「富国強兵」、「殖産興業」を実行し、経済基礎構造を強化した。
「明治日本の産業革命遺産」には、「三菱長崎造船所 第三船渠」、「高島炭坑」、「端島炭坑(軍艦島)」、「三池炭鉱、三池港」、「官営八幡製鐵所」などが含まれているが、これらの「遺産」の歴史は、朝鮮人強制連行・強制労働の歴史と結びついている。
日本の鉄道・港湾・道路などの基礎構造を最底辺で建設したのは、植民地民衆であった。
「日本の産業革命遺産」は、負の「遺産」である。
■国民国家日本の侵略犯罪 侵略責任(戦争責任、植民地支配責任、戦後責任)
日本政府は、過去も現在も、国民国家日本の侵略犯罪・国家犯罪の歴史的責任をとろうとせず、謝罪も、賠償も、責任者処罰もおこなっていない。日本政府は、日本の侵略犯罪・国家犯罪にかんする証拠を消去・隠蔽し、事実を抹殺しようとしてきた。
19世紀後半以後の国民国家日本は他地域他国侵略という国家犯罪を重ねてきた。1945年8月以前も以後も、日本の国家的・社会的・思想的構造は本質的に変わっていない。
20世紀末以後、日本政府は、過去の侵略犯罪という歴史的事実を認めず、侵略の国家構造を強化する策動をすすめてきた。1999年8月13日に、日本は、侵略の旗「ヒノマル」を国旗とし、天皇賛歌「キミガヨ」を国歌とし、その12日後の8月25日に、他地域・他国軍事侵略のための「周辺事態法」を施行した。
2015年7月の日本「産業革命遺産」の「世界文化遺産」登録、2015年9月の戦争法公布、2016年4月の「鎮守府」の「日本遺産」認定、2017年7月の「共謀罪法」施行は、ひとつづきの国民国家日本・日本政府の侵略犯罪である。
2017年10月25日 記