三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「韓国・瑞山市 天理市に強制連行説明板の再設置求める」

2017年10月30日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://japanese.yonhapnews.co.kr/Locality/2015/09/03/3000000000AJP20150903001600882.HTML
「聯合ニュース」2015/09/03 14:01
■韓国・瑞山市 天理市に強制連行説明板の再設置求める
【瑞山聯合ニュース】韓国西部、忠清南道瑞山市は3日、姉妹都市の奈良県天理市が昨年4月に撤去した植民地時代の強制連行と慰安所に関する説明板をあらためて設置するよう正式に要請したと明らかにした。
 この説明板は1995年に旧大和海軍航空隊大和基地(通称・柳本飛行場)の跡地に天理市と同市教育委員会が共同で設置。1944~45年の同飛行場建設について、「工事には多くの朝鮮人労働者が動員や強制連行によって連れてこられ、厳しい労働状況の中で働かされた」「『慰安所』が設置され、朝鮮人女性が強制連行された」などの記述があった。

【写真】昨年4月に撤去された説明板=(聯合ニュース)

 しかし、この記述をめぐって抗議の電話などが相次ぎ、天理市は記述を根拠付ける資料がないとして昨年4月に撤去した。撤去については、日本の一部市民から問題視する声が上がっている。
 瑞山市は再設置を求める書簡で、朝鮮人の証言などを基に制作された説明板が撤去されたことについては韓国内でも懸念の声が高まり、市民団体から再設置を求める建議が提起されたと伝えた。
 また、説明板はそれ自体が平和と人権について考えることのできる優れた教育の場であり、一日も早く再設置し両市の友好協力が変わることなく続くことを期待すると強調した。
 瑞山市は91年に天理市と姉妹都市となり、行政研修や中学生の交流事業など四半世紀にわたり交流を続けている。


http://voiceofnara.jp/news557.html
「奈良の声」2016年4月16日 浅野善一
■天理・柳本飛行場跡の説明板撤去で市民集会 大阪陸軍造兵廠の朝鮮強制労働体験者に聞き取り、空野弁護士が講演

【写真】大阪陸軍造兵廠の労働者として強制動員されたという韓国人から聞き取りを実施し、明らかになったことを説明する空野佳弘弁護士=2016年4月15日、天理市守目堂町の市男女共同参画プラザ

 朝鮮人の強制連行や慰安所設置の記述がある、奈良県天理市の柳本飛行場跡の市説明板が撤去された問題で、説明板撤去について考える会(米田哲夫代表)は15日、同市守目堂町の市男女共同参画プラザで、市民集会を開いた。53人が参加し、大阪市の軍需工場で強制労働を体験したという韓国人生存者からの聞き取りに最近成功した、調査団の報告などに耳を傾けた。
 大阪府朝鮮人強制連行真相調査団の日本人側事務局長・空野佳弘弁護士は、「歴史修正主義との闘い」と題して講演した。調査団は、アジア最大の兵器工場といわれた大阪陸軍造兵廠(しょう)の労働者として強制動員されたという韓国人男性3人から、昨年9、11月の2度、聞き取りを実施。空野弁護士は、証言で明らかになったことを説明した。
 空野弁護士によると、韓国政府真相究明委員会(昨年末解散)が発表した強制動員名簿を翻訳したところ、大阪陸軍造兵廠を連行先とされている人が多数いることが判明。同委員会に確認すると、十数人の生存が分かったという。大阪陸軍造兵廠は大阪城の隣にあった。敗戦時、6万3000人の工員がおり、うち1319人が朝鮮人だったとされている。しかし、これまでは労働の実態や死亡者の氏名、数など不明な点が多かったという。
 3人は洪東周さんらで、いずれも90代。連行時は未成年だったという。講演に先立ち、聞き取りを収めた録画が上映された。洪さんらは、里長(日本人とみられる)による動員の命令には逆らえなかったこと、工場での労働に対し給料は支払われなかったこと、工場を対象にした米軍の空襲で朝鮮人の工員が犠牲になったことなどを、この間のことのように語った。日本からの謝罪や補償などは、現在までないという。
 今の大阪城公園には、こうした歴史を踏まえて大阪府などが設置した「大阪城公園内に残る戦争の傷あと」と題する銘板があり、朝鮮人の強制連行にも触れている。これに対し、銘板の撤去や文言の修正を求める声があるといい、空野弁護士は「歴史修正主義派による改変要求」と批判。日本政府として真相を究明することや、正しい歴史を教育に反映させることが必要と訴えた。
 集会では最後に、天理市に説明板の再設置を求めるとともに、柳本飛行場の歴史を後世に伝える活動を続けていくことを、参加者全員で確認した。
 柳本飛行場は太平洋戦争中の軍事施設。市は95年、同市遠田町の公園内に飛行場跡の説明板を設置した。説明板には、教員を中心とした市民団体の聞き取り調査などを踏まえて、飛行場建設の際に朝鮮人労働者の強制連行や朝鮮人女性の慰安所設置があったとする記述があった。しかし、市は2014年4月、「強制性については議論がある」などとして撤去した。「在日特権を許さない市民の会」が当時、市に対し抗議したことを表明している。

【戦前・戦中の日韓関係】
 戦前・戦中の日本と韓国の関係では、日本は1910年、韓国を併合し、植民地化。土地調査事業を実施し、広大な農地、山林を接収、一部を日本の国策会社や日本人に払い下げた。皇民化政策を進め、日本の神社への参拝や日の丸掲揚、宮城遥拝、創氏改名などを強いた。朝鮮に対し、1943年に徴兵制を施行、1944年に国民徴用令を適用した。国家総動員法に基づく国民徴用令では、一般国民を強制的に軍需産業に従事させることができた。  (記事最後の【戦前・戦中の日韓関係】は4月20日に追加)


http://voiceofnara.jp/news507.html
「奈良の声」2015年10月10日  浅野善一
■天理・柳本飛行場跡の説明板撤去 韓国の市民団体代表ら「日本とアジアの国々の友好踏みにじる」

【写真】柳本飛行場跡の説明板撤去を考える勉強会で講演する宋道子さん(中央)と田甲生さん(左)=2015年10月9日、天理市守目堂町の市男女共同参画プラザ

 朝鮮人の強制連行や慰安所の記述がある、奈良県天理市の柳本飛行場跡の市説明板が撤去された問題で、説明板撤去について考える会(米田哲夫代表)は9日、同市守目堂町の市男女共同参画プラザで、「韓国から異議!」と題して勉強会を開いた。韓国で日本軍慰安婦の被害女性が最も多かったという統営(トンヨン)市で、聞き取り調査を続けている市民団体代表と研究者の2人を招いて、話を聞いた。市民ら35人が参加した。
 日本軍「慰安婦」ハルモニとともに行動する統営・巨済(コジェ)市民の会代表の宋道子(ソンドジャ)さんは、説明板について「平和な未来を映し出す鏡であり、天理の市民が自国の歴史を直視し、残そうと実践しているもの」と評価、撤去に対し「これに冷や水を浴びせ、日本とアジアの国々との友好を踏みにじるもの」と批判した。
 宋さんは、慰安婦の帰国後の生活がどうであったかの質問には、ほとんどが法的な結婚をできず、苦しい生活を強いられたとし、何よりも性奴隷だったことを恥じて苦しんだと答えた。
 ソウル大学アジア研究所の田甲生(チョンカプセン)さんは、最近、統営と巨済の小学校に保管されていた1940~44年の学籍簿を調査する機会があったと話した。12~17歳の女子生徒が自主退学して日本に渡ったとの記録が残っていたという。貧しい農家の子供たちとみられ、こうした子供たちが日本に行けば稼げるとの約束で、慰安婦として連れて行かれた可能性が高いと説明した。
 宋さんはこの日、勉強会に先立って、「考える会」と共に天理市役所を訪れた。統営市や巨済市などで集めた説明板再設置を求める天理市長あての署名約1万人分や統営、巨済両市長と統営市議会の意見書を提出した。
 柳本飛行場は太平洋戦争中の軍事施設で、天理市が95年、同市遠田町の公園内に設置した飛行場跡の説明板には、教員を中心とした市民団体の聞き取り調査などを踏まえて、飛行場建設の際に朝鮮人労働者の強制連行や朝鮮人女性の慰安所設置があったとする記述があった。しかし、市は2014年4月、「強制性については議論があり、説明板を設置しておくと、市の公式見解と誤解される」との理由で撤去した。


http://voiceofnara.jp/news494.html
「奈良の声」2015年9月2日 浅野善一
■天理・柳本飛行場跡の説明板撤去で学習会 「朝鮮人労働者強制連行」で最近の聞き取り報告

【写真】天理市の柳本飛行場跡の説明板撤去問題を考える学習会で報告する稲葉耕一さん=2015年9月1日、同市守目堂町の市男女共同参画プラザ

 奈良県天理市内の太平洋戦争中の軍事施設、柳本飛行場跡に市が設置していた説明板が撤去された問題を考える学習会(市憲法を生かす会主催)が1日、同市守目堂町の市男女共同参画プラザで開かれた。飛行場建設の際にあったとされる朝鮮人労働者の強制連行などの証言の聞き取りに取り組んでいる市民団体「いのちと平和を考える会」会長の稲葉耕一さん(72)が、最近の調査結果などについて報告した。
 市が1995年、同市遠田町の公園内に設置した柳本飛行場跡の説明板には、教員を中心とした市民団体の聞き取り調査などを踏まえて、朝鮮人労働者の強制連行や朝鮮人女性の慰安所設置があったとする記述があった。しかし、市は2014年4月、「強制性については議論があり、説明板を設置しておくと、市の公式見解と誤解される」との理由で撤去した。
 稲葉さんは、こうした説明板を「公が立てることは当時、画期的なことだった」と述べ、撤去後、再設置を求めて、市への申し入れや署名集め、学習会などの運動が起きていることを紹介した。
 最近の聞き取りでは、飛行場建設の勤労奉仕で動員された男性から証言を得たとした。当時、旧制郡山中学の生徒だった男性は、労働者が上官とみられる人物にむちで打たれたり、腕立て伏せをさせられたりする虐待現場を目撃したという。稲葉さんが男性に、飛行場建設における朝鮮人労働者の強制連行について説明すると、男性は「今にして思えばあれは朝鮮人労働者だったのだろう」と述懐したという。
 参加者との意見交換では、市内の年配の男性は、説明板撤去に対し議会はなぜもっと声を上げないのかと憤った。男性は「子供のころ飛行場跡周辺には在日朝鮮人がたくさん住んでいた。市議は親から聞いて飛行場建設のことは知っているはずなのに」と話した。 


http://voiceofnara.jp/news493.html
「奈良の声」2015年8月30日 浅野善一
■天理・柳本飛行場跡の説明板撤去 再設置目指し、9月1日に学習会

【写真】撤去された柳本飛行場跡の説明板。左半分に朝鮮人の強制連行や慰安所のことが記載されている=天理市教育委員会提供

 朝鮮人労働者の強制連行や朝鮮人女性の慰安所存在の証言が残る奈良県天理市内の柳本飛行場跡に市が設置していた説明板が撤去された問題について考える学習会が9月1日午後6時30分から、同市守目堂町の市男女共同参画プラザで開かれる。(終了しました)
 学習会は「天理市憲法を生かす会」(福井義博代表)の主催で、同市を中心に活動する市民団体「いのちと平和を考える会」会長の稲葉耕一さんが「柳本飛行場建設当時の様子―最近の聞き取りから」をテーマに報告する。稲葉さんは、当時を知る飛行場跡周辺の人たちなどからの聞き取りに取り組んでいる。
 柳本飛行場は太平洋戦争中の軍事施設で、説明板は同市遠田町の公園内に設置されていた。市は2014年4月、「強制性については議論があり、説明板を設置しておくと、市の公式見解と誤解される」との理由で撤去した。市内外で再設置を求める声が上がっている。
 参加費は資料代として100円。問い合わせは福井代表、電話090-8659-7580。


http://voiceofnara.jp/news433.html
「奈良の声」2014年11月8日  浅野善一
■天理・柳本飛行場跡の説明板撤去で市民現地を歩く
 強制連行の歴史確認フィールドワーク 

【写真】柳本飛行場の防空壕跡(奥の小山)の前で高野さん(右から二人目)の説明を聞く参加者=2014年11月8日、天理市
【写真】柳本飛行場の1500メートル滑走路の名残をとどめる直線道路。脇にコンクリートの舗装面が一部残っている=2014年11月8日、天理市

 天理市が市内の柳本飛行場跡に設置していた、朝鮮人労働者の強制連行や朝鮮人女性の慰安所の存在に関する説明板を撤去した問題で、再設置を求めている市民団体「天理・柳本飛行場跡の説明板撤去について考える会」(藤原好雄、米田哲夫共同代表)は8日、現地でフィールドワークを実施、参加者約40人が点在する施設跡を巡った。
 同市遠田町の市立式上公民館を基点に約5キロを歩いた。同飛行場跡の歴史の発掘に関わっている市内の元高校教諭、高野真幸さん(63)が案内した。
 柳本飛行場は太平洋戦争末期、海軍が本土決戦に備えて建設したとされる。長さ1500メートルの滑走路の名残をとどめる直線道路の脇にコンクリートの舗装面が残っていたり、通信施設などに使われた防空壕(ごう)が田畑の中に小山のように残っていたりする。住宅地の一角には、飛行場建設で徴用された朝鮮人労働者の宿舎の一つだったとみられる建物が朽ちながら現在も残っている。さまざまな戦争遺跡を前に「保存はどうなっているのか」などと質問する参加者もいた。
 慰安所があったとされる場所で、高野さんは「終戦直後、慰安所に取り残された朝鮮人女性は食べるものが無く、メチルアルコールを飲んで飢えをしのがざるを得なかった。強制性を示す証拠」と説明した。慰安所は朝鮮人労働者のために設けられたという。海軍の管理区域内あり、軍が関与していたことを示しているとした。
 香芝市の男性(69)は「軍のある所には必ず慰安所がある。軍の関与は間違いないと思う。はっきりさせる必要がある」と話した。大阪府八尾市の男性(71)は「慰安婦などをめぐる主催者の主張を受け入れるかどうかは別にして、飛行場跡を実地で見て、軍が本土決戦に備えようとしていたことがよく分かった」と話した。
 考える会の米田代表は歩き終えた後のあいさつで「現地を歩いて確認できた。あったことをなかったことにする捏造(ねつぞう)をしてはいけない」と述べた。
 説明板は同市遠田町の公園に設置されていたが、市に対し、強制連行はなかったとして撤去などを求める意見がメールや電話であり、ことし4月撤去された。


http://voiceofnara.jp/news414.html
「奈良の声」2014年8月7日 浅野詠子
■奈良県)柳本飛行場跡、天理市の説明板撤去で市民集会 「速やかな再掲示」アピール

【写真】撤去された天理・柳本飛行場跡の説明板の速やかな再掲示を実現させようと呼び掛けた市民集会=2014年8月7日、天理市守目堂町の市男女共同参画プラザ

 天理市が1995年に設置し、ことし4月に撤去した柳本飛行場跡(太平洋戦争中の軍事施設)の説明板の速やかな再掲示を求める市民団体が7日、同市守目堂町の市男女共同参画プラザで集会を開き、約80人が参加した。飛行場建設に朝鮮人労働者が動員され、慰安所も存在したことを明記した説明板が撤去された日を「4・18柳本飛行場の歴史を考える日」と決め、加害の歴史の隠蔽(いんぺい)を正す取り組みを広げようとアピールした。
 集会は「天理・柳本飛行場跡の説明板の撤去について考える会」が主催した。代表の元奈良市議、藤原好雄さん(82)は同飛行場跡近くが郷里で、「小学5年の当時、学童動員で柳本飛行場の草刈りをしていたところ、朝鮮人の青年が重い丸太を背中に載せられたまま、腕立て伏せを強いられ、丸太を落とすと殴られ、顔中血だらけだったのを目撃した」と涙ながらに語った。
 会場には、21年間、戦時中の地下トンネルの見学活動を続けるNPO法人「屯鶴峯地下壕(ごう)を考える会」メンバーや秘密保護法制に反対する市民グループなど多様な団体、住民らが県内外から参加。柳本飛行場跡の慰安所にまつわる証言を集めてきたジャーナリストの川瀬俊治さん(66)は39年前の取材ノートを公開し、「これからも歴史の証言者のインタビューや文献資料の発掘など、あらゆる方法を駆使し歴史的解明を目指そう」と呼び掛けた。


http://voiceofnara.jp/news411.html
2014年7月26日 浅野善一
■天理市が柳本飛行場・朝鮮人強制連行の説明版撤去 設置から20年、何が変わったのか

【写真】説明板が設置されていた支柱。撤去後はシートで覆われた=2014年7月15日、天理市遠田町
【写真】撤去された柳本飛行場跡の説明板。左半分に朝鮮人の強制連行や慰安所のことが記載されている=天理市教育委員会提供

 天理市の戦時中の軍事施設、柳本飛行場跡に、市と市教育委員会が1995年設置した説明板がこの4月、市によって撤去された。説明板には、飛行場建設で朝鮮人労働者の強制連行が行われ、朝鮮人女性の慰安所が置かれていたとの記載があった。市は撤去の理由について、「強制性については議論があり、説明板を設置しておくと、市の公式見解と誤解される
される」とする。設置から約20年で何が変わったのか。

★在日批判の団体の街頭活動で知る
 市が撤去を決めたきっかけは、2月ごろから市の意見箱などに寄せられた、説明板に対する批判のメールや電話。強制連行はなかったとして、撤去などを求めるものだった。一方、説明板の基となる事実関係の調査に関わるなどした人たちが撤去を知ったのは、「在日特権を許さない」などと主張する団体が5月に奈良市で実施した街頭活動で明らかにしたときだった。
 柳本飛行場の正式名は大和海軍航空隊大和基地。建設は1944年9月に始まり、終戦の45年8月まで続き、1200メートルの滑走路などができた。工事は勤労奉仕によって進められ、労働者の宿所もあった。
 説明版はステンレス製、縦80センチ、横1メートルで、同市遠田町の公園内に設置されていた。市史から抜粋した飛行場の説明に加えて、「多くの朝鮮人労働者が動員や強制連行によって、柳本の地へつれてこられ、きびしい労働状況の中で働かされました」「『慰安所』が設置され、そこへ朝鮮人女性が、強制連行された事実もあります」などの記載があった。当時の朝鮮人労働者らから聞き取りした証言の一部も引用されていた。
 撤去に抗議している「天理・柳本飛行場跡の説明板の撤去について考える会」の事務局の川瀬俊治さん(66)によると、教員を中心とした「奈良県での朝鮮人強制連行等に関わる資料を発掘する会」は、飛行場建設に従事した当時の朝鮮人労働者らからの聞き取り調査などを基に91年、冊子「朝鮮人強制連行と天理 柳本飛行場」を発行した。これを踏まえて、市の教員らでつくる市同和教育研究会(現在は市人権教育研究会)が市、市教委と交渉、説明板設置に至ったという。

 市に寄せられた説明板に対する意見はどのようなものだったのか。
 市によると、撤去を決めたのは4月18日で、同日中に撤去したという。「撤去について考える会」が市に抗議して新聞などで報道があった6月27日、記者は市の情報公開制度に基づき開示請求した。市はメールについて、送信者の名前など個人を特定する情報を除いて開示した。撤去決定前に寄せられたのは2月2日~4月16日の4件だった。電話によるものは記録がないとした。

★批判メール、「戦時徴用」と主張
 これらのメールは、強制連行については戦時徴用だったとし、当時、朝鮮は日本に併合されており、戦時徴用は日本人にも同様に行われていたと強制性を否定。慰安婦については、根拠は本人たちの証言のみで一次資料は見つかっていないなどとした。説明板について、日本国民をおとしめるものなどと主張、撤去や修正を求めた。ただ、いずれも柳本飛行場の強制連行に関する事実関係への具体的な反論はなかった。
 6月27日までに12件のメールが寄せられたが、撤去後は撤去に反対するメールも2件あった。市によると県内より県外からのメールが多かったという。
 市は4月22日、検討会を開き、説明板への問い合わせに対する回答文をまとめた。それによると、どのような資料を根拠に設置されたのか、どのような経緯で現在の場所に設置されるに至ったのか、調査したがはっきりしない▽さまざまな歴史観がある中で、「強制性」については全国的に議論されており、国もあらためて検証する方向を示している▽国の動向も見ながら専門家による検証を見守る▽設置しておくと、市、市教委の公式見解としてとらえられるので、いったん取り外し保管している―などとした。
 このとき、政府は、従軍慰安婦問題について反省を表明した93年の河野談話の作成過程に関して、検証作業を進めている最中だった。設置から時間が経過し、市役所内では説明板が存在していることへの認識はあまりなかったといい、あらためて扱いについて協議したという。
 市は撤去に当たって、「発掘する会」などに相談や連絡はしなかった。会が存在しているかどうか把握していなかったためという。「撤去について考える会」の事務局によると、「在日特権を許さない市民の会」が5月10日に近鉄奈良駅前の行基広場で実施した街頭活動で、説明板の撤去が明らかにされ、それによって知ったという。
 「在日特権を許さない市民の会」がインターネット上で公開している当日の映像によると、演説者の一人が柳本飛行場の説明板の存在に触れ、「抗議することによって4月18日に撤去された。教育委員会も強制連行、従軍慰安婦があったと言えなくなっている」などと報告していた。同会はこの日、日の丸や旭日旗を掲げて、在日韓国・朝鮮人を批判する主張を繰り返した。

★市の人権教育指導指針にも記述
 市は、説明板について根拠、経緯がはっきりしないとしているが、市と市教委が人権教育に関し、93年に策定した「在日外国人(主として韓国・朝鮮人)幼児・児童・生徒に関する指導指針」には飛行場跡に関する記述がある。それによると、「本市に在住する韓国・朝鮮人のほとんどは、戦前・戦中のわが国の国家政策による歴史的・社会的経緯の中で在日を余儀なくされてきたのである。とりわけ、柳本飛行場建設にかかわって多数の朝鮮人が強制連行により労働と多大の犠牲を強いられた経緯をもっている」と明確に述べていた。
 市によると、86年に県教委が示した「在日外国人(主として韓国・朝鮮人)児童生徒に関する指導指針」を受けて各市町村版が策定されたという。指導指針は今も生きているというが、現在、学校現場では外国人に特化せず、幅広い人権教育が行われているとし、こちらは見直したり、改訂したりする考えはないとする。
 政府は6月20日、検証結果を受けて、河野談話を継承すると表明したが、市の説明板撤去の考えは変わらない。山中由一・市長公室長は「検証によって逆に疑義が深まったところもある。両方の意見があり、何が真実か分からない。市独自で検証はできない。専門家による検証を待つ」と説明する。
 一方、「撤去について考える会」事務局の川瀬さんは「市長が代わると扱いも変わるのか。説明板に対し文句を言った人の話が撤去の根拠になっている」と批判する。
 設置当時の市長は市原文雄氏(在任92~2001年)。現在の並河健市長は13年10月に就任した。
 戦前・戦中の日本と韓国の関係では、日本は1910年、韓国を併合し、植民地化。土地調査事業を実施し、広大な農地、山林を接収、一部を日本の国策会社や日本人に払い下げた。皇民化政策を進め、日本の神社への参拝や日の丸掲揚、宮城遥拝、創氏改名などを強いた。朝鮮に対し、1943年に徴兵制を施行、1944年に国民徴用令を適用した。
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