ICT工夫
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
  だからネットの使い方も 工夫 したい こうふ のブログ




Log20120430 3.11以来、日本の、地域の未来を背負ってくれる子供たちを守ろうと意識して来ただろうか。
保護者、特にお母さん達が、自ら情報を確認し自ら選択して子供たちを守る、今はそれしか無いと私は考えるようになりました。

日記とか家計簿の片隅に、その日はどんな情報を確認して何を選択したか、それを書き綴っておくことも必要ではないか。
5年後、10年後に子供たちがそれを読むかも知れない。もし自分の体に異変を感じても、これはお母さんの責任では無い、こんなに注意してくれていた、仕方ない事だったと解ってくれるかも知れない。
成人した子供たちが、自分の戦うべき相手は何かを理解するようになるかもしれない。
今次大戦はそういう意味で百年戦争だと考えるようになりました。

暴力団排除条例という人間差別のシステムを作り出すことで、本来自分達が問われるべき社会運営の責任を免れようとしている人々、集団、組織があることを感じます。
「罪を憎んで人を憎まず」 というような言葉は、彼等の辞書には無いと思えます。選ばれた特別の人間とその他の人間とは法の上でも差別されて当然と思うだけなのでしょうか。

戯れ言はこれくらいにして、このブログの4月は震災がれき(災害廃棄物)の広域処理を山梨県でも引き受けるという動きが出て来たことに始まり、月末になって山梨県にはどうも出番が無くなったらしい情報を確認して終了しました。いずれWebページで整理しておきます。
空間放射線量広域測定のリアルタイム公開も始まりましたが、これも地域の公式情報を確認できる範囲で整理します。
給食食材の放射能測定については、5月7日に測定器材の入札があって確定します。これも公式情報の確認はしておく予定です。

4月26日の小沢一郎さん一審判決については、上告されるかどうか情報を確認していくつもりです。これまでの流れから考えると、指定弁護士(検事役)は上告するのではないかと思えます。「人を憎んで罪をでっち上げる人」というのが存在するらしいことはこの事件をフォローしていて分かりました。
ネットから判決文(要旨)も手に入りましたが、 6 MB、100ページもあるので、時間があるときに読みたいと思います。

琉球新報社説、2012年4月27日 小沢判決/検察の「闇」が裁かれた 全面可視化しか道はない、今回の事件の本質を突いた社説だと思います。「ストーリーに合わせて事実をねじ曲げた」という指摘について、私は3.11以来フォローしている事の全てに感じるのです。
行政サイトで掲載されていない話をたまたま知った時に、以前は、「Webページ制作は面倒な仕事だから、プロがいなければこんなものか」と思っていたのですが、今は、「決してそうではない、裏に何かある」と常に感じています。
裏が多そうな地域は寂れるのも当然という時代はネット社会がもたらしているのかも知れません。国策ブロードバンドは裏目に出たのかも。
私のように口数多くごちゃごちゃ書くのは単にバカ、賢い若者はあえて語らず、黙って去るのみ、か。



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