桶居山の伝承
旧山陽道を少し西へゆきましょう。姫路市別所町佐土新に桶居山がそびえています。
桶居山(写真)は、姫路市と高砂市との境に位置する山で、標高は247.6㍍の山塊です。
山名は、岩が大きな升の形をして見えることからつけられたようです。
宝暦12年(1762)の頃に成立したとされる『播磨鑑(はりまかがみ)』には、桶居山の項目に「宮本武蔵修業説」が紹介されています。
桶居山で武蔵が天狗に兵法を習ったというのは創作でしょうが、山塊の形相はそんな雰囲気を醸し出しています。
『播磨鑑』にこの話があるということは、地元では宮本武蔵高砂説が当然のごとく広がっていたようです。
桶居山へ出かけました。暑い日でした。桶居山は心なしか白くかすんで見えるほどでした。
『双剣の客人』で寺林峻氏は、桶居山の宮本武蔵修業説を取り入れ、次のように書いておられます。(少し書き変えています)
武蔵、蜘蛛となる
桶居山は離れて見るとまるい感じでしかないが、山頂付近の岩盤は急傾斜で、しかも手がかりの突起が少ない。そこで先に天狗遊びを始めたのはやはり外で活発な玄信(後の武蔵)だった。
膝に弾みをつけて身の丈ほどの平地へ飛び降りたかと思うと、さらに足場を慎重に見つけながら下っていく。
弟を気づかって到着点で待ち受けてやろうと久光(武蔵の兄)は急いで下りにかかるが、ついからだを岩壁にくっつけて下るので、なかなか玄信を追い越せない。
一つの岩場がつきると、高御位山に続く岩壁へ向かい、二人は先になり後になりしながら二匹の蜘昧となる。
・・・幼い玄信にとって、これは天狗遊びでなく武人となるための鍛練なのだった。
桶居山に限らず、家から近い生石神社の山、播磨灘の全容を見渡せる竜山、どの山も人の挑戦を誘うように険しい岩壁をさらしている。
玄信は、そこを鍛練の道場としていた。(no4696)
*『双剣の客人(寺林峻著)』(アールズ出版)引用
*写真:桶居山の岩場(姫路市別所町佐土新)、伝承ですが、武蔵はこの山で天狗から兵法を習ったという。
桶居山と宮本武蔵伝説を教えていただき感謝です。
ただ、
写真の岩場は桶居山じゃありません。
桶居山は、写真には写っていません。写真の右枠のもう少し右側に位置しています。