1カ月ほど前、ある人から近くの干拓地にコシャクシギがいると教えていただいたので、カメラをかついで出かけました。これまで京都府内で2例しか記録されていない珍しい鳥で、私も見たことがありません。
現地でしばらくウロウロしていると、たまたま私が立っている前の田んぼに6羽のコシャクシギが舞い降りました。田起こし後の背景に溶け込んでなかなか見つけにくいですが、シックな色合いとスマートな体形の美しいシギです。
初めて見る鳥なのでうれしいはずですが、あまり感激がありません。誰かに教えてもらって観察できた鳥は、撮る楽しみは味わえても探す楽しみが味わえないからだと思います。
バードウォッチングの醍醐味は、探鳥地に行っていろいろな鳥を見るところ、そしてたまに想定外の鳥に出会うところにあります。宝探しの面白さに似ていますが、「〇〇に△△がいる」と分かって鳥を見に行くのは、事前にありかが分かっている宝を探しにいくようなもので、ワクワク感がありません。
撮る楽しみよりも探す楽しみの方が数倍大きいのに、撮る楽しみだけに満足している人が多いように思えます。
今回、カメラをかついで出掛けた動機の半分は、「京都支部の記録として残しておかなければ」という義務感でした。私に情報をくれた人もそのために知らせてくれたわけです。6月号の会報に、私が撮った下手くそな写真とともに掲載しておきました。
1カ月遅れて当ブログで紹介したのは、情報が拡散してフォトグラファーが押し掛けるのを避けるためでした。私が行った2~3日後にはすでに20人ほど集まっていましたが…。
現地でしばらくウロウロしていると、たまたま私が立っている前の田んぼに6羽のコシャクシギが舞い降りました。田起こし後の背景に溶け込んでなかなか見つけにくいですが、シックな色合いとスマートな体形の美しいシギです。
初めて見る鳥なのでうれしいはずですが、あまり感激がありません。誰かに教えてもらって観察できた鳥は、撮る楽しみは味わえても探す楽しみが味わえないからだと思います。
バードウォッチングの醍醐味は、探鳥地に行っていろいろな鳥を見るところ、そしてたまに想定外の鳥に出会うところにあります。宝探しの面白さに似ていますが、「〇〇に△△がいる」と分かって鳥を見に行くのは、事前にありかが分かっている宝を探しにいくようなもので、ワクワク感がありません。
撮る楽しみよりも探す楽しみの方が数倍大きいのに、撮る楽しみだけに満足している人が多いように思えます。
今回、カメラをかついで出掛けた動機の半分は、「京都支部の記録として残しておかなければ」という義務感でした。私に情報をくれた人もそのために知らせてくれたわけです。6月号の会報に、私が撮った下手くそな写真とともに掲載しておきました。
1カ月遅れて当ブログで紹介したのは、情報が拡散してフォトグラファーが押し掛けるのを避けるためでした。私が行った2~3日後にはすでに20人ほど集まっていましたが…。
ギタバさんや私のようなタイプは古いんでしょうかね。
私は珍鳥を追いかけるバードウォッチャーではないですが、追いかける人の気持ちやライフリストを増やすことに情熱を傾ける人の気持ちは分かります。
でも、そういうコレクション志向に陥ると、本来のバードウォッチングの楽しさを見失うと思います。
ここの探鳥地は、京都府では珍鳥が出現する場所として有名で、これまでにもさまざまな珍鳥が出現して、その度に関西一円、場合によっては関東からもフォトグラファーが集まって車が並び、農家が通報してパトカーや白バイがやってくるということが何度かありました。
私は古いタイプの人間だからか、ここで書かれていることにほぼ全面同意、そういう人間です。
どこそこに行くと何がいるか探しに行くことはありますが、どこそこに何がいると言われてもそこには行きません。
また、最近私の地元でも野鳥撮影者が増えて何人かで行動することも増えたのですが、私はひとり単独で探すのが好きです。
ただ、私の仲間でも、情報をもとに撮りに回っている人がいて、そういう人のことをもちろん否定はしません。
インスタなどの影響で、そういう鳥との接し方をする「新しい」人も増えていることも確かでしょうし、そういう人がマナーを守るならそれ以上は何も思いません。
ただし、人が多いと鳥のストレスは増えるかもしれないですが。
ただし、私の場合、自分も持っている情報は、営巣など口外するとまずいこと以外はむしろ積極的に人に教えます、誰もが行って大丈夫な場所ならですが。
探鳥地で、カメラをかついでいる人に「何かいますか?」と尋ねられた場合、双眼鏡をぶら下げていない人には「いませんね~」と答えることにしています。鳥を探す気がない人は信用できないので。
珍し鳥にはどなたも会いたい、写したいと思われるでしょう。難しいところと思います。