私には記憶がありませんが、25年前、徳光和夫さんなど3人のおじさんが「日本胃腸の会」のタスキをかけ、双眼鏡とカウンターを持って食べ過ぎや飲み過ぎの人をチェックするという胃腸薬のCMが流れたようです。
そのCMがYouTubeに残っていました。当時は「日本野鳥の会=紅白歌合戦の集計」というイメージが強かったので、こういうCMが製作されたわけです。
CMにパロディとして使われるということは、日本野鳥の会に対する世間一般の目は「双眼鏡とカウンターを持ってカシャカシャやっている変な人たち」というものだったということでしょう。
「日本野鳥の会の会員です」と言うと、必ず「あ~、紅白歌合戦の…」という反応が返ってきました。紅白歌合戦での票のカウントは、認知度を高めるのに大いに貢献した反面、上記CMのような微妙なイメージも植え付けたわけです。
ちなみに、日本野鳥の会が紅白歌合戦に登場したのは1981~1985年、1992年、1993年の7回のみで、以後は麻布大学野鳥研究部が受け継いでいます。上記のCMが流れたのは1996年ですから、登場しなくなって3年も経っているのに「日本野鳥の会=紅白歌合戦」というイメージが残っていたわけです。
このCMは笑って済ませられますが、バードウォッチャーに対する世間の目にはもっと厳しいものがあります。ネットで「バードウォッチング」を検索すると、ウィキペディアの「野鳥観察」がヒットし、その中には以下の文面があります。
珍鳥とされる鳥の繁殖情報が他の愛鳥家の耳に届くと、現地に多数の自称を含む愛鳥家が押しかけ、断わりもなく勝手に他人の土地に踏み入る、プライバシーそっちのけで傍若無人にカメラを向ける、撮影の視界に入った無関係の人間を怒鳴りつける、あまつさえお目当ての鳥は繁殖をあきらめ巣を放棄して逃げさるなど、顰蹙(ひんしゅく)を買って当然の行為が多発するのも日常茶飯である。ゆえに多くの愛鳥家が吹聴する、野鳥を観察する行為は、自然と人間との間に全く何らの相互作用も発生させない、というのは全くのデタラメで、愛鳥家のこのような考えが独善的と評価される一因となっている。
また日本で野鳥観察という趣味がまだ認知されていなかった1950から70年代には、野鳥観察に理解を示さない人々からは、双眼鏡を持ってうろうろする様子をのぞき趣味と揶揄(やゆ)されていた。現在に至っても、一部の人からそのように呼ばれることがある。
繁殖期の野鳥撮影には注意を要するという文脈の中での記述ですが、後半には悪意さえ感じます。
こうした評価の原因はフォトグラファーのマナー違反にあり、私自身も不愉快な思いをしたので二度と行かない探鳥地もあります。マナーの悪いフォトグラファーとそうではないバードウォッチャーを分けて考えてほしいところですが、世間の人はひとくくりにして「鳥好きの人たち」と見ています。
こういう目で見ている人がいることを、私たちは常に意識しておく必要があります。
そのCMがYouTubeに残っていました。当時は「日本野鳥の会=紅白歌合戦の集計」というイメージが強かったので、こういうCMが製作されたわけです。
CMにパロディとして使われるということは、日本野鳥の会に対する世間一般の目は「双眼鏡とカウンターを持ってカシャカシャやっている変な人たち」というものだったということでしょう。
「日本野鳥の会の会員です」と言うと、必ず「あ~、紅白歌合戦の…」という反応が返ってきました。紅白歌合戦での票のカウントは、認知度を高めるのに大いに貢献した反面、上記CMのような微妙なイメージも植え付けたわけです。
ちなみに、日本野鳥の会が紅白歌合戦に登場したのは1981~1985年、1992年、1993年の7回のみで、以後は麻布大学野鳥研究部が受け継いでいます。上記のCMが流れたのは1996年ですから、登場しなくなって3年も経っているのに「日本野鳥の会=紅白歌合戦」というイメージが残っていたわけです。
このCMは笑って済ませられますが、バードウォッチャーに対する世間の目にはもっと厳しいものがあります。ネットで「バードウォッチング」を検索すると、ウィキペディアの「野鳥観察」がヒットし、その中には以下の文面があります。
珍鳥とされる鳥の繁殖情報が他の愛鳥家の耳に届くと、現地に多数の自称を含む愛鳥家が押しかけ、断わりもなく勝手に他人の土地に踏み入る、プライバシーそっちのけで傍若無人にカメラを向ける、撮影の視界に入った無関係の人間を怒鳴りつける、あまつさえお目当ての鳥は繁殖をあきらめ巣を放棄して逃げさるなど、顰蹙(ひんしゅく)を買って当然の行為が多発するのも日常茶飯である。ゆえに多くの愛鳥家が吹聴する、野鳥を観察する行為は、自然と人間との間に全く何らの相互作用も発生させない、というのは全くのデタラメで、愛鳥家のこのような考えが独善的と評価される一因となっている。
また日本で野鳥観察という趣味がまだ認知されていなかった1950から70年代には、野鳥観察に理解を示さない人々からは、双眼鏡を持ってうろうろする様子をのぞき趣味と揶揄(やゆ)されていた。現在に至っても、一部の人からそのように呼ばれることがある。
繁殖期の野鳥撮影には注意を要するという文脈の中での記述ですが、後半には悪意さえ感じます。
こうした評価の原因はフォトグラファーのマナー違反にあり、私自身も不愉快な思いをしたので二度と行かない探鳥地もあります。マナーの悪いフォトグラファーとそうではないバードウォッチャーを分けて考えてほしいところですが、世間の人はひとくくりにして「鳥好きの人たち」と見ています。
こういう目で見ている人がいることを、私たちは常に意識しておく必要があります。
節度をもって行動されてる方が殆どのはず、酷い文章です。
野鳥の撮影?、ダイヤモンド富士の撮影?、特別な場合は、場所取りして、巨大レンズを向けられてる光景はテレビで見たことがあります。
最近、撮り鉄のマニアが線路敷地内に立ち入ったり、事故が起きていますが、どの分野にも「撮りたい」という気持ちをコントロールできない人がいるようですね。
鳥の撮影に餌付けはルール違反ですが、特に大阪ではマナーが悪くて、平気で餌付けする、枝が邪魔だといって切る、という状況です。
ここに書いてあることも、残念ながら一部では真実ではあります。
このCMはなんとなく覚えていますが、カウンターを見るといまだに「日本野鳥の会」という人が一定数いますよ。
私はそれでよくからかわれます(笑)。
そうですか、このCMに覚えがありますか。
最近は少なくなりましたが、「日本野鳥の会=紅白歌合戦」というイメージを持っている人が多かったですね。