言葉を仕事にしているためか、木の名前の由来に興味があります。
イチョウは「葉っぱが1枚だけ出るから一葉」とか、仏前に供えるシキミは「実が有毒で悪しき実(あしきみ)と呼ばれたから」とか、ツバキは「葉が厚いので厚葉木(あつばき)から」という記事を読むとワクワクしていました。
ところが、最近は「木の語源には眉唾ものが多い」と思っています。
例えば、イチョウに関して、「葉の形が鴨の足の水かきに似ているので、中国では鴨脚と書いてヤーチャオと呼び、それがイチョウに転化した」という新説を知ると、「一葉」説が怪しく思えてきたのです。
実は、「一葉」や「悪しき実」や「厚葉木」を言い出したのは、江戸時代の博物学者・貝原益軒。
「真っ直ぐ伸びるからスギ」というのも益軒説。『大和本草』などで知られていますが、私は益軒の説はほとんどガセネタだと思うようになりました。いくら木とは言え、根も葉もない当てずっぽうはいけません。
でも、よく考えれば語源はすべて推測で、「鴨脚」説にも科学的根拠はありません。その意味では益軒だけを責めるわけにはいきませんが、あまりにも直感的な説を流布して、後世に混乱を与えている責任は大きいと思います。
木に限らず鳥でも花でも、名前は自然発生的に生れたものなので、語源を確定することは不可能です。最終的には、その説を信じるかどうか、です。
一見もっともらしいもの、関西人なら「ホンマカイナ」と突っ込みを入れたくなるようなものは、眉に唾をつけてから聞いた方がいい、というのが自戒を含めた私の感想です。
写真のイチョウは、宇治名木百選に選ばれている橋姫神社のもの。樹齢250年の巨木です。一方のツバキはわが家の庭のもの。確かに葉は厚いですが・・・。
なお、タイトルの「ガセビア」は、雑学を検証するテレビ番組『トレビアの泉』での言葉。視聴者から寄せられるトレビア(無用の知識)のうち、よく調べたら間違っていたものをこう呼んでいます。
イチョウは「葉っぱが1枚だけ出るから一葉」とか、仏前に供えるシキミは「実が有毒で悪しき実(あしきみ)と呼ばれたから」とか、ツバキは「葉が厚いので厚葉木(あつばき)から」という記事を読むとワクワクしていました。
ところが、最近は「木の語源には眉唾ものが多い」と思っています。
例えば、イチョウに関して、「葉の形が鴨の足の水かきに似ているので、中国では鴨脚と書いてヤーチャオと呼び、それがイチョウに転化した」という新説を知ると、「一葉」説が怪しく思えてきたのです。
実は、「一葉」や「悪しき実」や「厚葉木」を言い出したのは、江戸時代の博物学者・貝原益軒。
「真っ直ぐ伸びるからスギ」というのも益軒説。『大和本草』などで知られていますが、私は益軒の説はほとんどガセネタだと思うようになりました。いくら木とは言え、根も葉もない当てずっぽうはいけません。
でも、よく考えれば語源はすべて推測で、「鴨脚」説にも科学的根拠はありません。その意味では益軒だけを責めるわけにはいきませんが、あまりにも直感的な説を流布して、後世に混乱を与えている責任は大きいと思います。
木に限らず鳥でも花でも、名前は自然発生的に生れたものなので、語源を確定することは不可能です。最終的には、その説を信じるかどうか、です。
一見もっともらしいもの、関西人なら「ホンマカイナ」と突っ込みを入れたくなるようなものは、眉に唾をつけてから聞いた方がいい、というのが自戒を含めた私の感想です。
写真のイチョウは、宇治名木百選に選ばれている橋姫神社のもの。樹齢250年の巨木です。一方のツバキはわが家の庭のもの。確かに葉は厚いですが・・・。
なお、タイトルの「ガセビア」は、雑学を検証するテレビ番組『トレビアの泉』での言葉。視聴者から寄せられるトレビア(無用の知識)のうち、よく調べたら間違っていたものをこう呼んでいます。
私も以前は素直に「なるほど!」と納得していたのですが、いろんな説を知るようになって、直感的に「これはガセネタっぽいな」と警戒するようになりました。
あんなに素直だった私を、こんなスレた性格にしてしまった貝原益軒が憎い
木の名前のガセビアは他にもネタがあるので、また書きます。