京都では昨日「全国女子駅伝」が行われ、47チームの選手が碁盤の目のような通りを走り抜けました。
京都市の中心部は道がほぼ正確に東西南北に走っていますが、何ヶ所かは曲がったり膨らんだりしています。その一つに伝説の樹がからんでいる場所があります。
西大路通りと八条通りが交差するあたりに「若一(にゃくいち)神社」があります。この周辺は平安時代に平清盛が「西八条第」という大邸宅を造営したところで、その鎮守社として1165年に建てられたそうです。その傍らに、清盛が自ら植えたというクスノキが今も残っています。

(少し西側に膨らんだ西大路通り)
昔は京都にも路面電車が走っていて、この西大路通りも電車道でした。昭和9年、軌道を敷設するためにこのクスノキを移植しようとしたところ、工事関係者が次々と事故や不幸に遭ったため、結局断念して電車を迂回させることにしたそうです。
西八条第は平家が都を落ちる際に焼かれましたが、このクスノキは燃えなかったそうで、それが事実なら樹齢は800年~900年ということになります。

(清盛が手植えしたと伝わるクスノキ)
西大路八条よりもさらに大きく曲がっているのは、東本願寺の前の烏丸通り。ここにはイチョウがたくさん植えてあって、晩秋には美しい黄金色に染まりますが、樹木が理由ではなく、お参りする人々の安全のためにお寺が用地を買収して公園にしたので市電が迂回したとか。その代わり、別の用地と莫大な寄付金を京都市に提供したそうです。

(東本願寺前の烏丸通りは公園のために東側に大きくカーブ)
駅伝は地元・京都が大会新記録で4連覇しました。何故か京都は駅伝が強いのですが、9人のランナーのうち2人の中学生を除いてほとんどが立命館宇治高校の在学生かOG。年末の全国高校駅伝で優勝した強豪校です。うちの近くにあって、よく陸上部の選手が近辺を走っています。
京都市の中心部は道がほぼ正確に東西南北に走っていますが、何ヶ所かは曲がったり膨らんだりしています。その一つに伝説の樹がからんでいる場所があります。
西大路通りと八条通りが交差するあたりに「若一(にゃくいち)神社」があります。この周辺は平安時代に平清盛が「西八条第」という大邸宅を造営したところで、その鎮守社として1165年に建てられたそうです。その傍らに、清盛が自ら植えたというクスノキが今も残っています。

(少し西側に膨らんだ西大路通り)
昔は京都にも路面電車が走っていて、この西大路通りも電車道でした。昭和9年、軌道を敷設するためにこのクスノキを移植しようとしたところ、工事関係者が次々と事故や不幸に遭ったため、結局断念して電車を迂回させることにしたそうです。
西八条第は平家が都を落ちる際に焼かれましたが、このクスノキは燃えなかったそうで、それが事実なら樹齢は800年~900年ということになります。

(清盛が手植えしたと伝わるクスノキ)
西大路八条よりもさらに大きく曲がっているのは、東本願寺の前の烏丸通り。ここにはイチョウがたくさん植えてあって、晩秋には美しい黄金色に染まりますが、樹木が理由ではなく、お参りする人々の安全のためにお寺が用地を買収して公園にしたので市電が迂回したとか。その代わり、別の用地と莫大な寄付金を京都市に提供したそうです。

(東本願寺前の烏丸通りは公園のために東側に大きくカーブ)
駅伝は地元・京都が大会新記録で4連覇しました。何故か京都は駅伝が強いのですが、9人のランナーのうち2人の中学生を除いてほとんどが立命館宇治高校の在学生かOG。年末の全国高校駅伝で優勝した強豪校です。うちの近くにあって、よく陸上部の選手が近辺を走っています。
不便になったり非効率になるでしょうが、道が少し曲がるくらいのデメリットよりも、そういう文化や伝説を残すメリットの方が大きいと思います。
札幌では、道路を「曲げる」ほどの木はないですが、
幹が車道に出ているハルニレ(これは野生のものの名残でしょう)や、
そのまま中央分離帯になっているケヤキなどがあります。
でももちろんそれほど長い歴史がある木ではないでしょうね、こちらは。
ケヤキについては、少なくとも屯田兵が始まった後に植えられてるはずですし・・・
でも、そういう木を見るとなんだかほっとします。
ただ、一去年かな、完全に片側の1車線を占拠していたハルニレが
ついに切られてしまい、残念に思いました・・・
宗教的な意味がなくても、巨木を伐るのは、やはり人間としては抵抗があるでしょうから。
巨木に畏怖を覚えるのは宗教のルーツかな?