いや〜、御柱祭(おんばしらさい)は冗談抜きで疲れます。一昨日はその初日だったんですが、関係者の集合時間は、なんと早朝5時!通常のワシの生活パターンだとその時刻はそろそろ寝る時間に突入する頃。といって、徹夜のまま行くわけにはいかないのでこの時だけは早めに就寝。でも、急に眠れるわけがない。結局、なんとか1時間ほど寝てから出かけました。
でも、思っていた以上にキツかった。まず早い時間に集合したからといって、事がどんどん進むことはないんです。その日は解散が夜の7時だったんですが、おそらくその半分以上の時間が待機。ひたすら待つんです。行動派のワシとしては待つのが1番の苦手。でも待たなければならない。これは拷問みたいなもの。
そして、慣れない地下足袋で歩き回ったこと。地下足袋なんて初めて履いたので、もう足が疲労困憊。ふくらはぎはパンパンになるし、待機時間にマッサージしたところで疲れなんて飛びゃしない。これはもう地獄。御柱祭は今日で最終日を迎えますが、たぶん、今後その役員を引き受けることはないと思います。
そんなこんなで、どーも、ワシです。えー、今回は奈良県山辺郡山添村西波多(やまべぐんやまぞえむらにしはた)にある淀川水系の上津(かみづ)ダムを訪れます。アクセスは名阪国道の山添インターを出て県道80号を奈良方面へ行き、カラオケ居酒屋「乾杯」のところを斜め左に入って行くと「←上津ダム」の看板があるのでそれに従って進んで行くと到着します。
まずは上津ダムの全貌をご覧ください。これは右岸のトイレの近くから高台に上る階段があり、頑張って上るとこんな「ご褒美」が待っています。
さて、順を追って説明していきます。まず先ほどの道を登ってくるとダムの右岸に来るのですが、まず目にするのが「上津ダム管理所」の建物。
近くには「上津ダム」と刻まれた石碑。その裏にはダム建設の簡単な経緯が記されています。それによると当該ダムの西側にある神野山(標高618m)はその昔から「神の山」と呼ばれていましたが、この地域は旱魃になることが多く、その度に大勢の人々が夜中に松明を持って神野山に登り、雨乞いをしていたそうな。上津ダムが完成してからは雨乞いをすることもなくなったようですね。
ダム横近くには上津ダムの周辺案内図があります。これをみるとわかりますが、「上津」は「かみづ」と読み、ダム便覧では「かみつ」となっていて間違いであることがわかりますね。ちなみに上津はダムの下流の地名です。
右岸、下流側からダムを見ると、こんな感じ。
では、ダム上を歩いてみることにします。
ダム本体の、いわゆる親柱のところにはこんな図柄が。何の花でしょうね。山添村の村の花がヤマツツジなので、それかもしれません。
ダム上、中央から見た貯水側の景色です。
一方、ダムの真下は、こんな感じ。
そして、下流側の遠景。
対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。
左岸、下流側から見たダムの様子。
左岸、貯水側から見たダムの様子。
左岸側には、ちょっとした広い場所があり、
そこには「上津大片刈遺跡」の案内図があります。1994年から95年にかけて行なわれた発掘調査により、山添村には数々の縄文時代の遺跡が発見されたそうな。上津大片刈遺跡はそのひとつで、同村には他にこの近くに上津堂前尻遺跡、そして同村中峰山(ちゅうむざん)には大川遺跡、さらに前回記事にした布目ダムの近くには「桐山和田遺跡」と「北野ウチカタビロ遺跡」があるようです。
最後に、ダムの下へ行って「ご尊顔」を撮ってみました。
前回の布目ダムといい、今回の上津ダムといい、どちらも近くに遺跡があるという意味では似ています。ただ、布目ダムではちょっと怖い感じがしたのに対し、上津ダムにはそういう感じはなく、むしろ古代のロマンを感じたんですよね。展望台からの景色がとにかくサイコーだったし…。
でも、思っていた以上にキツかった。まず早い時間に集合したからといって、事がどんどん進むことはないんです。その日は解散が夜の7時だったんですが、おそらくその半分以上の時間が待機。ひたすら待つんです。行動派のワシとしては待つのが1番の苦手。でも待たなければならない。これは拷問みたいなもの。
そして、慣れない地下足袋で歩き回ったこと。地下足袋なんて初めて履いたので、もう足が疲労困憊。ふくらはぎはパンパンになるし、待機時間にマッサージしたところで疲れなんて飛びゃしない。これはもう地獄。御柱祭は今日で最終日を迎えますが、たぶん、今後その役員を引き受けることはないと思います。
そんなこんなで、どーも、ワシです。えー、今回は奈良県山辺郡山添村西波多(やまべぐんやまぞえむらにしはた)にある淀川水系の上津(かみづ)ダムを訪れます。アクセスは名阪国道の山添インターを出て県道80号を奈良方面へ行き、カラオケ居酒屋「乾杯」のところを斜め左に入って行くと「←上津ダム」の看板があるのでそれに従って進んで行くと到着します。
まずは上津ダムの全貌をご覧ください。これは右岸のトイレの近くから高台に上る階段があり、頑張って上るとこんな「ご褒美」が待っています。
さて、順を追って説明していきます。まず先ほどの道を登ってくるとダムの右岸に来るのですが、まず目にするのが「上津ダム管理所」の建物。
近くには「上津ダム」と刻まれた石碑。その裏にはダム建設の簡単な経緯が記されています。それによると当該ダムの西側にある神野山(標高618m)はその昔から「神の山」と呼ばれていましたが、この地域は旱魃になることが多く、その度に大勢の人々が夜中に松明を持って神野山に登り、雨乞いをしていたそうな。上津ダムが完成してからは雨乞いをすることもなくなったようですね。
ダム横近くには上津ダムの周辺案内図があります。これをみるとわかりますが、「上津」は「かみづ」と読み、ダム便覧では「かみつ」となっていて間違いであることがわかりますね。ちなみに上津はダムの下流の地名です。
右岸、下流側からダムを見ると、こんな感じ。
では、ダム上を歩いてみることにします。
ダム本体の、いわゆる親柱のところにはこんな図柄が。何の花でしょうね。山添村の村の花がヤマツツジなので、それかもしれません。
ダム上、中央から見た貯水側の景色です。
一方、ダムの真下は、こんな感じ。
そして、下流側の遠景。
対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。
左岸、下流側から見たダムの様子。
左岸、貯水側から見たダムの様子。
左岸側には、ちょっとした広い場所があり、
そこには「上津大片刈遺跡」の案内図があります。1994年から95年にかけて行なわれた発掘調査により、山添村には数々の縄文時代の遺跡が発見されたそうな。上津大片刈遺跡はそのひとつで、同村には他にこの近くに上津堂前尻遺跡、そして同村中峰山(ちゅうむざん)には大川遺跡、さらに前回記事にした布目ダムの近くには「桐山和田遺跡」と「北野ウチカタビロ遺跡」があるようです。
最後に、ダムの下へ行って「ご尊顔」を撮ってみました。
前回の布目ダムといい、今回の上津ダムといい、どちらも近くに遺跡があるという意味では似ています。ただ、布目ダムではちょっと怖い感じがしたのに対し、上津ダムにはそういう感じはなく、むしろ古代のロマンを感じたんですよね。展望台からの景色がとにかくサイコーだったし…。
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