ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

星田川流域の守護神!…星田池(ダム)

2023-05-19 06:57:25 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県井原市美星町星田(いばらし びせいちょう ほしだ)にある高梁川水系の星田池を目指します。アクセスは県道166号沿いにあるので迷うことはないと思います。ただ、ここは昨日書いた星田第二池から星田川を遡ったところにあるので川に沿って行けばいいように思いますが、クルマで行くことはできません。なので、一旦県道407号に出て、それから県道166号に入って行くのがわかりやすいと思います。

星田池は独特な形をしているので、県道166号に沿って長い洪水吐があります。

洪水吐を別の角度から見るとこんな感じ。訪れた前日までに降った雨のせいで洪水吐から水が勢いよく溢れています。そして写真中央に見える水路に流れ込んで下流へ向かいます。

その付近から、いわゆるダム上を眺めます。ダム上は県道166号が通っています。

そしてこれが右岸から見たダム上の道。

おっ、こんなところにピコリーノが…。久しぶりに見た気がします。

右岸、ダム横から下る遊歩道があるので行ってみます。これが右岸から見た斜面の様子。

遊歩道を下りていくと先ほど見た洪水吐から溢れ出た水がここへ出てることが確認できます。写真ではわかりにくいですが、水路は地下トンネルになっていて、ここで滝のように流れ落ちています。

川に沿った遊歩道をさらに下ってきました。そこから上流を眺めるとこんな感じ。写真右上に見えるのがダム上です。

流れてきた水は星田川となって、この水が下流の第二星田池へ向かうのですね。

元来た道を戻ってダム横へ。ダム上、中央から星田池を眺めるとこんな感じ。

一方、下流側の景色です。

対岸(左岸)に来ました。そこには水利使用標識があります。星田第二池と同じく灌漑用水補給のために築造されたものであるのがわかります。

左岸側からダム上を眺めます。

左岸側はちょっとした公園になっていて、ここにはまず2つの石碑があります。

ひとつは「県営畑地帯総合土地改良事業 美星地区 竣工記念碑」と刻まれたもの。

裏側には平成3年(1991年)3月建立とあります。

隣にあるもうひとつの石碑は同改良事業についての概要が記されていて、この事業が1970年から1990年にかけて行なわれたことが書かれています。言うまでもありませんが、これはあくまで改良事業についてであり、星田池の築造年ではありません。

じゃあ、星田池はいつ築造されたのでしょうか。近くには「星田池記念碑」があります。その内容は下記に転記しておきます。


「小田郡小田町(おだちょう)川面村(かわもそん)及び中川村地内の耕地約三百町歩は従来灌漑用水源に乏しく旱天の場合は忽ち被害激甚を極め関係農民の最も憂慮する処であったその対策として一大貯水池を新設し以て旱害の憂苦を免かれんとする地元有志当時の岡山県会議員小野清一郎氏川面村長妹尾宗一氏小田町長佐近徳三郎氏中川村長高月毅一郎氏等の発意により尚星田地内池敷関係者の協力を得て溜池築造の議成り岡山県に於て調査の結果星田池築造の計画を樹立し県議会の議を経て茲に県営事業として昭和十七年四月一日工を起したが時恰も大東亜戦争の影響を受け全く難工を続け数度の計画変更をやむなくせられたにも拘らず幸い関係者の総力により総事業費二千七百万円内訳国庫補助金五割県費二割地元負担金三割と九ヶ年の歳月を費して昭和二十六年三月遂に待望の星田池が完成するに至ったこの池の貯水量百二十三万四千立方米貯水面積十一・四陌堤長百四十米であるこれにより支配地域一帯は永久に旱害を免かれることになり地方農民積年の要望を達成し斉しくその恵沢に浴するに至る茲に星田池築造の記念碑を建設し以て永遠の記念とする
  昭和三十四年四月 星田池土地改良区建之」

要約すると、従来この下流地域では灌漑用の水源に乏しく、日照りが続くとたちまち旱害になる場所だった。その対策として一大貯水池を築造しようということになり、岡山県の県営事業として昭和17年(1942年)4月1日に起工したものの、大東亜戦争の影響で数度の工事計画の変更をせざるを得なかった。しかし関係者の尽力により昭和26年(1951年)3月に星田池は完成したという。ちなみにダム便覧では竣工は1950年と書かれていますが、この記念碑を見ればそれが間違いであるのは明らかですよね。また、同便覧では高さが27.2mとあるので星田池はダムとみなして良いと思います(もっとも、その数値が何に基づいているのかは不明ですが)。

いや〜、こういう記念碑があると星田池の築造がなかなかの難事業だったことがわかりますね。なるほど、なるほど。
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