ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

瀧の宮ダムを考察する!

2023-05-02 06:58:13 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県美作市滝宮(みまさかし たきみや)にある吉井川水系の瀧の宮ダムを目指します。アクセスは県道46号の瀧の宮トンネルの南側出口の手前のT字路を入って行くと到着します。

このダムの形はちょっと変則的で、T字路からの道がそのままダム上に繋がっています。

上の写真下部のガードレールの下に洪水吐からの水路があり、ここの河川名は河会川(かわいがわ)と言います。


ガードレールから見た越流式の洪水吐の様子。増水すると水はここから溢れ出て、

この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。


ダム上を進みます。中央付近から右岸側の洪水吐を見るとこんな感じ。

そして、貯水側の景色です。


一方、下流側はこんな感じです。


対岸(左岸)に来ました。振り返ってみます。


左岸には「瀧の宮ダム完工記念碑」があります。


その右側にはダムの諸元が記された石版。洪水調節に特化した高さ28.0mの中心コア型ロックフィルダムだそうです。


その奥にはダム築造に際し湖底に水没した12の世帯名が記されています。説明によれば、瀧の宮ダムは県営防災ダム事業によって築造されたもので、ダム築造に際し上記の世帯の協力に感謝するとともに、ここにかつて彼らが住んでいた証を刻んだもののようです。それにしても「水没者氏名」って表現はどうなんでしょうね。なんかさ、溺死した人たちみたいに思えませんかね。例えば「移転世帯主一覧」とかにしたほうが良かったんじゃないかなあ。


右岸にある建物の隣には貯水湖へ降りる階段があります。その先に見えるオレンジ色の設備は取水装置かな?


お気づきと思いますが、ダム名はここの地名に由来するものでしょうが、地名(滝宮)とダム名(瀧の宮)の表記が微妙に異なっています。これはどういうことなんでしょうか。現在の地名は滝宮ですが、「水没者氏名」の石碑を見ると当時ここは「英田郡英田町瀧の宮」だったことがわかります。つまりダム名は当時の地名表記に準じたということになりますね。

ところで、諸元を記した石板には竣工年が記されていないのでこれらのことから当該ダムの竣工年を推理してみましょう。英田郡英田町(あいだぐんあいだちょう)が発足したのは1955年2月1日で、2005年3月31日に同郡の美作町(みまさかちょう)、作東町(さくとうちょう)、大原町、東粟倉村(ひがしあわくらそん)、勝田郡勝田町(かつたぐんかつたちょう)と合併して現在の美作市が発足しています。ここから考えられるのは瀧の宮ダムが築造されたのは英田郡英田町が存在した1955年から2005年までの間ということになります。うーん、50年間か…。まだまだ範囲が広いなあ。他に築造年を特定するものはないのか。

次に「瀧の宮ダム完工記念碑」を見ると当時の岡山県知事が長野士郎と記されています。これに着目してみましょう。長野士郎(ながのしろう:1917-2006)は現在の岡山県総社市に生まれ、東京帝国大学卒業後、内務省や自治省を経て自治事務次官となり、1972年10月に第8代岡山県知事に当選し、1996年11月まで在任しました。

…ということは、瀧の宮ダムの竣工は彼が知事在任中の1972年から1996年までの間ということになり、範囲はかなり狭まりました。うーん、それでもまだ24年か…。

そこでダム便覧を見てみます。これによると竣工は1980年と記されています(参考)。おっ、ワシの推理もなかなかいいセンいってるじゃないですか。でも、この「1980年」というデータはどこから引用したものなんでしょうね。典拠が示されていないのでイマイチ信用できないんですけど〜。

ま、ダム巡りにはこんな楽しみ方もあるんですよねー。どーでもいいことなんですけど。
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