どーも、ワシです。今回は福島県河沼郡会津坂下町(かわぬまぐんあいづばんげまち)坂本にある阿賀野川水系の片門(かたかど)ダムを訪れます。場所は磐越自動車道の会津坂下インターチェンジの近くにあります。ちなみにダム名はここの左岸の地名に由来します。
まずは「ご尊顔」をご覧ください。
片門ダムの下流の只見川はこんな感じです。うーん、絵になりますね。
ダムへのアクセスは左岸からが容易だと思います。県道341号沿いにある片門郵便局の前の道を進んでいくと当該のダムに到着します。その道を進んでくるとこんな景色が見えてきます。
左岸のダム横には「慰霊塔」。当該のダム建設にあたり11名が亡くなられたようです。合掌。1953年8月と刻まれていますね。
これがダム上。一応車両通行可ですが、標識の条件からすると軽自動車以下の軽車両のみが通行できるようです。ワシのクルマは普通車なので歩きで渡ることにします。
ダム上、中央から見た上流側の只見川。
一方、下流側はこんな感じ。向こうに見える鉄橋のようなものが磐越自動車道です。
対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。ね、この幅だと軽自動車じゃないと通れませんね。
すぐ近くには水利使用標識。右岸に併設されているのが片門発電所(1953年8月発電開始)なので当該ダムの正式名称は「片門発電所ダム」なのかもしれませんね(参考)。
右岸を見ると気になる高台を発見。階段があるので登ってみます。
その高台からダムを見るとこんな感じ。良い眺めです!
高台には見覚えのある特徴的な筆跡の石碑。そうです、ここにも白洲次郎の言葉が刻まれていました。(参考1)(参考2)
次のように書かれています。
「この発電所の完成は地元の人々の理解ある協力と東北電力従業員の不抜の努力なくしては不可能であった。その感激と感謝の記録にこれを書く 白洲次郎」
その近くには「慰霊碑」。あれれ、左岸にあったけど? どういうことなんですかね。
慰霊碑が新しいのには理由がありました。この碑が建てられたのは1979年9月ですが、それは宮城刑務所創立200年を記念するものでした。えっ? 唐突に現われた宮城刑務所というワード、びっくりしますよね? 実は宮城刑務所は1951年12月から1958年11月まで国家的事業である只見川電源開発事業に協力。その7年間に延べ675,921名の受刑者が労務作業に従事したそうな。しかしそのうち3名の刑務官と7名の受刑者が不幸にして落命とあります。
でも、待てよ、左岸にある慰霊碑には犠牲者は11名と刻まれていましたね。数が合いません。記述が間違っているんでしょうか。調べてみると、右岸の慰霊碑に刻まれた犠牲者数はどうやら只見川電源開発事業に協力した際のものであり、この片門発電所ダムでの落命者では必ずしもないようです。右岸に慰霊碑が建てられたのはこのダムが只見川電源開発事業の最初の建設場所だったからで、その後只見川系では田子倉までの6つのダムと宮川系では宮川ダム(1950年着工、1962年竣工)の建設に宮城刑務所に服役中の刑務者が動員されたようです(参考1)(参考2)。
ちなみに、只見川系のダムは片門ダムから遡ると田子倉ダムまで以下のものがありますが、宮城刑務所が関係したものは協力期間から見て●印のものと思われます(参考)。
●片門発電所ダム(1952年着工、1953年竣工)
●柳津(やないづ)ダム(1952年着工、1953年竣工)
●沼沢沼発電所ダム(1952年運用開始、2002年廃止:未見)
宮下ダム(1941年着工、1946年竣工:未見)
●上田(うわだ)ダム(1952年着工、1954年竣工)
●本名(ほんな)ダム(1952年着工、1954年竣工)
滝ダム(1959年着工、1961年竣工:未見)
只見ダム(1981年着工、1989年竣工)
●田子倉ダム(1953年着工、1959年竣工)
いや〜、何も考えずに訪れた片門発電所ダムでしたが、いろいろなことを学ぶことができました。
良き良き。
まずは「ご尊顔」をご覧ください。
片門ダムの下流の只見川はこんな感じです。うーん、絵になりますね。
ダムへのアクセスは左岸からが容易だと思います。県道341号沿いにある片門郵便局の前の道を進んでいくと当該のダムに到着します。その道を進んでくるとこんな景色が見えてきます。
左岸のダム横には「慰霊塔」。当該のダム建設にあたり11名が亡くなられたようです。合掌。1953年8月と刻まれていますね。
これがダム上。一応車両通行可ですが、標識の条件からすると軽自動車以下の軽車両のみが通行できるようです。ワシのクルマは普通車なので歩きで渡ることにします。
ダム上、中央から見た上流側の只見川。
一方、下流側はこんな感じ。向こうに見える鉄橋のようなものが磐越自動車道です。
対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。ね、この幅だと軽自動車じゃないと通れませんね。
すぐ近くには水利使用標識。右岸に併設されているのが片門発電所(1953年8月発電開始)なので当該ダムの正式名称は「片門発電所ダム」なのかもしれませんね(参考)。
右岸を見ると気になる高台を発見。階段があるので登ってみます。
その高台からダムを見るとこんな感じ。良い眺めです!
高台には見覚えのある特徴的な筆跡の石碑。そうです、ここにも白洲次郎の言葉が刻まれていました。(参考1)(参考2)
次のように書かれています。
「この発電所の完成は地元の人々の理解ある協力と東北電力従業員の不抜の努力なくしては不可能であった。その感激と感謝の記録にこれを書く 白洲次郎」
その近くには「慰霊碑」。あれれ、左岸にあったけど? どういうことなんですかね。
慰霊碑が新しいのには理由がありました。この碑が建てられたのは1979年9月ですが、それは宮城刑務所創立200年を記念するものでした。えっ? 唐突に現われた宮城刑務所というワード、びっくりしますよね? 実は宮城刑務所は1951年12月から1958年11月まで国家的事業である只見川電源開発事業に協力。その7年間に延べ675,921名の受刑者が労務作業に従事したそうな。しかしそのうち3名の刑務官と7名の受刑者が不幸にして落命とあります。
でも、待てよ、左岸にある慰霊碑には犠牲者は11名と刻まれていましたね。数が合いません。記述が間違っているんでしょうか。調べてみると、右岸の慰霊碑に刻まれた犠牲者数はどうやら只見川電源開発事業に協力した際のものであり、この片門発電所ダムでの落命者では必ずしもないようです。右岸に慰霊碑が建てられたのはこのダムが只見川電源開発事業の最初の建設場所だったからで、その後只見川系では田子倉までの6つのダムと宮川系では宮川ダム(1950年着工、1962年竣工)の建設に宮城刑務所に服役中の刑務者が動員されたようです(参考1)(参考2)。
ちなみに、只見川系のダムは片門ダムから遡ると田子倉ダムまで以下のものがありますが、宮城刑務所が関係したものは協力期間から見て●印のものと思われます(参考)。
●片門発電所ダム(1952年着工、1953年竣工)
●柳津(やないづ)ダム(1952年着工、1953年竣工)
●沼沢沼発電所ダム(1952年運用開始、2002年廃止:未見)
宮下ダム(1941年着工、1946年竣工:未見)
●上田(うわだ)ダム(1952年着工、1954年竣工)
●本名(ほんな)ダム(1952年着工、1954年竣工)
滝ダム(1959年着工、1961年竣工:未見)
只見ダム(1981年着工、1989年竣工)
●田子倉ダム(1953年着工、1959年竣工)
いや〜、何も考えずに訪れた片門発電所ダムでしたが、いろいろなことを学ぶことができました。
良き良き。