ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

ギヴギヴ君

2005-01-06 12:47:26 | 脳みその日常
昨日が「クレクレ君」だったので、今日は「ギヴギヴ君」の話。
といっても、ここで取り上げようと思うのは有名人のこと。

見ましたか、みなさん。
F1レーサーのミヒャエル・シューマッハーがスマトラ沖地震救済のために10億円の寄付ですよ!
いくら年収が数十億円とはいえ、ビッグ・ネームはやることが違いますねえ。
ヘソ曲がりな見方をする人は、これを売名行為と呼ぶかもしれない。
しかし、どっちにしても実際に10億円を寄付できるのはスゴイよな?

ま、これはほんの一例に過ぎない。
しかし本当にビッグな人を観察していると、すべてにおいてスケールが違うことに気づく。
その発想は、我々凡人が日々こだわる「ちいせえ」問題など、まるで鼻くそ扱い。
いや、心底感心するわ。

欧米というのはボランティアや寄付活動が盛んだ。
多くの著名人やスポーツ選手などがそれらに参加しているのは、その現れである。
見知らぬ他人のために無償でする行為。
些細なことにすぐ損得を考えるセコい日本では考えられない。
だから、我が国でボランティアや寄付活動は根付かないのさ。

誰とは言わんが、日本にだって億万長者はいるだろう。
でも、そのほとんどは守銭奴に違いない。
オノレの欲望のためにカネを使うことしか考えない成金よ。
そういう奴は、死ぬまでギヴギヴ君にはなれない。
ちゃんと見返りを求めるからね。

ここ数年、災害があるとテレビ局などは義援金を募る。
それが悪いというわけじゃない。
オノレらはメチャクチャ儲けているくせに、先頭に立って募金しないのはどーゆーわけだ、と言いたいのだ。
某テレビ局は中越地震だかの時に、500万円を寄付したとエラソーに報道していた。
「わたしたちは、それだけのお金を寄付いたしました」って、胸を張ってやがる。
バカもん!その程度のカネは、オノレらの収入からすれば「はした金」だろ。
それをいちいち報道して恥ずかしくないのかね。

結局さ、そいつらの行為というのは募金じゃないんだよ。
企業イメージを良くするための「手段」なのさ。
それがミエミエなだけに、情けなくなるよなあ。

そんななかで、あの時ひときわ光っていたのが、仙台の高齢者の男性。
個人で、なんと1億円を寄付したってんだろ?
寄付した理由を尋ねられると、その人

「自分がもってても仕方がないから」

えらい!
その言葉を、贅沢三昧の守銭奴どもの脳みそに叩き込んでやりたいね。

いや、最初の話からすると、この男性の行為は当たり前のことなのだ。
にもかかわらず、この男性のした行為が注目され、称賛される。
行為自体は確かに称えられるべきことさ。
そりゃ、そう思うよ。
でも、当たり前のことが褒め称えられる世の中って、やっぱり間違ってないか?
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