ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

わけわからん編集者

2005-01-24 22:40:25 | 脳みその日常
枝葉にばかりこだわる編集者にあたると最悪である。「ここはちょっと…」「あそこはどうも…」次から次へとクレームをつけてくる。最初にちょっと難しい内容を書くと、「これでは難し過ぎます」と言う。そうだな、これを読むのはビギナーだもんな。こちらも反省する。で、内容的に難しい部分をカットしてサラリと書いて送る。すると今度は「必要な情報は残しておいてくれ」と、またもやクレーム。あのな、ワシはアンタの手足じゃないんだぞ! ましてやゴーストライターでもない。ワシの名前で出る原稿のハズ。盛り込む内容が必要かそうでないかは、ワシが判断すること。なのに、こーしてくれ、あーしてくれという要望ばかりが次から次へと出てくる。

普通の編集者なら、原稿にマズい表現があれば筆者に対して「ここはこのような表現にしたいのですがよろしいですか」となる。ましてや文章そのものの換骨奪胎を要求することなんて、まずない。賢い編集者は、そんなことを要求すれば筆者の文章でなくなることを知っているから。第一、ヒトの書いた文章にあーだこーだクレームをつけること自体、書いた人に失礼とは思わないのだろうか。ま、この人は思わないんだろうな。

少し前、あまりにクレームをつけてきたので、ある実験をしてみた。「そこまでいろいろ指摘するのであれば、あとはそちらで好きなようにリライトして下さい」と放り投げる実験である。放り投げてしまったものについては何を書かれてもよいと思っていたから、たとえワシの名前で出ても仕方がないと諦めていた。

数日してから、別件で話をしていると、放り投げたものについて話が及ぶ。それによると、「本来の仕事を犠牲にしてやったんです」とか「時間がかかったんです」など、やたらと自分が大変な目に遭ったというような口ぶり。まるで自分が被害者であるかのように語る。それほど力作なのかと思い見てみたが、正直、そんな時間をかける文章でもなかった。やれやれ…

ワシに言わせれば、リライトなんてそんなに難しいことじゃない。そもそも編集者ならリライトができて当たり前なのだ。こちらが「好きなようにリライトしてよい」と言ったのだからさらっと済ませばいいのに、それができない損な性分のようだ。かわいそうにねえ。

この編集者の致命的な欠点は自分の思い描くイメージでなければ良い原稿ではないと信じ込んでいること。あのさ、何事も理想のイメージをもつのは必要なのかもしれないが、筆者はアンタのイメージで書くとは限らんのだよ。無理矢理、自分の枠組みに押し込むような要求をしたって、それは反発を生むだけ。譬えてみれば、教育熱心な親が子供にスパルタ教育をするようなもの。子供にしてみれば息苦しくて仕方がない。理性のないガキだったら、たとえ自分の親でもブチ殺すだろう。幸いにしてワシには理性がある。なのでそんなバカなことはしないから安心していいよ。よかったね。

良い編集者というのは確かに繊細な部分が求められるかもしれない。しかし矛盾するようだが、いい加減な部分も持ち合わせていないとダメである。すべてを完璧にやろうとすると、出来上がった商品の全体的バランスがダメになることもあるからだ。うまく言えないが、そのあたりの勘所がわかっている編集者だとこちらも非常に仕事がしやすい。それは経験的に言える。
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