どーも、ワシです。えー、今回は宮城県宮城郡利府町森郷名古曽(りふちょうもりごう なこそ)にある砂押川(すなおしかわ)水系の惣の関(そうのせき)ダムを訪れます。アクセスは県道8号から「大郷(おおさと)」方面へ繋がる県道40号を入って行くと目的地に到着します。
まずは左岸から見た「ご尊顔」をご覧ください。フォルムからして治水ダムかな?
ダム上に行く前にダムの下へ行ってみます。ダム下へは左岸のダム横から階段を下りて行くこともできますが、県道8号からクルマで行くことも可能です。で、これがダム下から見た「お姿」。手前に見えるクリーム色の建物は取水ポンプ室です。
ダム下にある周辺案内図。
そして、水神様を祀る石碑があります。
県道40号沿いのダム横には「惣の関ダム管理事務所」。ちょっとオシャレな住宅みたいですね。
近くには惣の関ダムの案内板があります。これによれば、当該ダムは勿来川(なこそがわ)を堰き止めて築造されましたが、勿来川が合流する下流の砂押川流域では昭和23年(1948年)9月に襲来したアイオン台風による洪水をきっかけに昭和25年(1950年)から砂押川の河川改修が開始されます。しかしその後も台風や豪雨による洪水が後をたちませんでした。一方、砂押川流域の多賀城市や利府町では都市化が進んだこともあり洪水被害が増加する傾向にあり、地元住民からは抜本的な治水対策の声が上がります。こうした状況を鑑み、宮城県は砂押川総合開発計画を立ち上げ、その一環として洪水調節、農業用水と水道用水の安定的確保を目的とする惣の関ダムの築造が決定されたそうな。
そして「事業経過」を見ると、昭和56年(1981年)から予備調査が開始され、昭和63年(1988年)に建設採択。当該ダムの工事に着手したのが平成7年(1995年)11月であり、完成したのは平成11年(1999年)度。いや〜、完成までに随分時間がかかったように思えますね。
上の「事業経過」の欄にある「第二ダム」については次回の記事で取り上げます。それにしても、このダムの名称は何に由来するんでしょうか。ざっと調べても地名ではなさそうだし…。
いろいろ調べていくとその由来がわかってきました。現在では「惣の関」と表示しますが、昔は「左右(そう)の関」と書いていて、道の分岐点を表していたようです。そしてそこには関所があったと伝えられているとか(参考)。でも、「左右」が「惣」になった理由や経緯はわかりません。
さて、ダムの案内板からダムを見ると、こんな感じ。
いよいよダム上を歩いてみることにします。
ダム上、中央から見た貯水側の景色。遠くに小さく見える橋を渡って行くと先ほど触れた「第二ダム」があるようです。
一方、ダムの真下はこんな感じ。写真上部に見えるのが取水ポンプ室の建物。ダムの高さは23.5mなので下を見ても恐怖は感じません。
そして下流側の遠景。
対岸(右岸)へ来ました。振り返ると、こんな感じ。
右岸、貯水側から見たダムの様子。
このダムを見た時、以前訪れたような錯覚を覚えました。すぐには思い出せませんが、これに似たフォルムのダムは他にもあったような気がします。えーと、どこだったかなぁ。
まずは左岸から見た「ご尊顔」をご覧ください。フォルムからして治水ダムかな?
ダム上に行く前にダムの下へ行ってみます。ダム下へは左岸のダム横から階段を下りて行くこともできますが、県道8号からクルマで行くことも可能です。で、これがダム下から見た「お姿」。手前に見えるクリーム色の建物は取水ポンプ室です。
ダム下にある周辺案内図。
そして、水神様を祀る石碑があります。
県道40号沿いのダム横には「惣の関ダム管理事務所」。ちょっとオシャレな住宅みたいですね。
近くには惣の関ダムの案内板があります。これによれば、当該ダムは勿来川(なこそがわ)を堰き止めて築造されましたが、勿来川が合流する下流の砂押川流域では昭和23年(1948年)9月に襲来したアイオン台風による洪水をきっかけに昭和25年(1950年)から砂押川の河川改修が開始されます。しかしその後も台風や豪雨による洪水が後をたちませんでした。一方、砂押川流域の多賀城市や利府町では都市化が進んだこともあり洪水被害が増加する傾向にあり、地元住民からは抜本的な治水対策の声が上がります。こうした状況を鑑み、宮城県は砂押川総合開発計画を立ち上げ、その一環として洪水調節、農業用水と水道用水の安定的確保を目的とする惣の関ダムの築造が決定されたそうな。
そして「事業経過」を見ると、昭和56年(1981年)から予備調査が開始され、昭和63年(1988年)に建設採択。当該ダムの工事に着手したのが平成7年(1995年)11月であり、完成したのは平成11年(1999年)度。いや〜、完成までに随分時間がかかったように思えますね。
上の「事業経過」の欄にある「第二ダム」については次回の記事で取り上げます。それにしても、このダムの名称は何に由来するんでしょうか。ざっと調べても地名ではなさそうだし…。
いろいろ調べていくとその由来がわかってきました。現在では「惣の関」と表示しますが、昔は「左右(そう)の関」と書いていて、道の分岐点を表していたようです。そしてそこには関所があったと伝えられているとか(参考)。でも、「左右」が「惣」になった理由や経緯はわかりません。
さて、ダムの案内板からダムを見ると、こんな感じ。
いよいよダム上を歩いてみることにします。
ダム上、中央から見た貯水側の景色。遠くに小さく見える橋を渡って行くと先ほど触れた「第二ダム」があるようです。
一方、ダムの真下はこんな感じ。写真上部に見えるのが取水ポンプ室の建物。ダムの高さは23.5mなので下を見ても恐怖は感じません。
そして下流側の遠景。
対岸(右岸)へ来ました。振り返ると、こんな感じ。
右岸、貯水側から見たダムの様子。
このダムを見た時、以前訪れたような錯覚を覚えました。すぐには思い出せませんが、これに似たフォルムのダムは他にもあったような気がします。えーと、どこだったかなぁ。