ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

殿、ダムでござる!

2024-08-27 06:52:54 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は鳥取県鳥取市国府町殿(こくふちょう との)にある千代川水系袋川の殿ダムを目指します。アクセスは因美線(いんびぜん)の東郡家(ひがしこおげ)駅近くを走る国道29号の「堀越」信号を国府(こくふ)方面へ入り、県道39号を進んでいくと「←岡益石堂(おかますいしどう)」の表示のあるT字路を左折。県道282号を道なりに進み「岡益橋北」信号を栃本(とちもと)方面へ。県道31号を進んでいくと到着するようです。

【ダム名の由来】(参考
ダム名はここの地名に由来しますが、「殿」という地名はダムのすぐ下流の左岸にその昔、天文年間(1532-1555)に因幡(いなば)毛利氏により「山崎城」が築城され、その一帯が因幡毛利氏の家中屋敷だったことからそう呼ばれるようになったようです。

さて、見えてきました。なかなか大きなダムです。

ダム横へ向かいます。ダムへの入り口は殿トンネルを抜けたところにあり、そこからダムはこんなふうに見えます。

ところがダムへ行くには時間制限があり、8:30〜17:15の間と決められています。ワシが訪れた時間は早朝7:30だったため門扉は閉じられた状態。仕方なく1時間ほど時間を潰すことに…。(写真の地図は左岸側のものですが、入口のところにも同じものが貼られています)

ふと見れば、抜けてきた殿トンネルの表示がなんとも可愛い。ひらがなの魔術ですね。

開門時間になったのでダムへ向かいます。

右岸側の、この建物は「国土交通省 殿ダム管理支所」。


そこからダムはこんなふうに見えます。

右岸側から見たダム上の様子。では、歩いてみましょう。

いわゆる親柱のところにある「殿ダム」と刻まれたもの。平成23年(2011年)11月完成とあります。

ダム湖名は「因幡万葉湖」。

ダム上、中央から見た因幡万葉湖の様子。

一方、下流側を見るとこんな感じ。

洪水吐は左岸側にあり、増水すると低水位の場合、水は写真中央に見える四角い穴から溢れ出ますが、高水位の場合は左側の越流式のところから流れ出ます。

そして、溢れ出た水はこの水路を通って、あちらへ流れてゆきます。ちなみにパンフレット(後述)によると、この水路斜面には従来の滑り台式でなく階段状の形式(カスケード型減勢方式)が採用されているそうな。これは国内初だそうです。

対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。橋のようになっているところの下が洪水吐の水路です。

左岸、因幡万葉湖側から見たダムの様子。

同、下流側から見るとこんな感じ。


殿ダムの周辺に案内板らしきものは見当たりません。そこで右岸に建っている殿ダム管理支所の1階に「殿ダム展示室」というのがあるので入ってみることにしました。そこにはダム築造の様子などの説明があるほか、諸元を記したパンフレットが置かれていました。その内容については一番上のリンク先から見ることができます。それによれば、殿ダムは「暴れ川」と呼ばれた下流の千代川の治水目的のための洪水調節、河川環境の保全、工業用水および水道用水の確保、水力発電を目的とした多目的ダムで、高さ75.0m、長さ294.0m。平成24年(2012年)3月31日に完成したロックフィルダムだそうです。右岸の親柱に刻まれていた平成23年11月完成というのはダム本体の完成年月のようですね。
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ほろ苦と爽やかさの融合?

2024-08-26 14:43:43 | 脳みその料理
どーも、ワシです。気持ちは鳥取にいるんですが、暑すぎて記事にする気が起きません。…もう、気分転換にケーキを作ろう!

てなわけで今回はヨーグルトムースの上にキャラメルソースを乗せてみることにしました。



ヨーグルトムースがさっぱりしているのはもちろんなんですが、キャラメルソースを少し焦がし気味にしたのでほろ苦いテイストになっています。見た目は美味そうですが、実際に口に入れてみると…うーん、なんでしょうね、この微妙な感じは…。

ははは。
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酷暑例会

2024-08-24 07:00:09 | 脳みその料理
どーも、ワシです。昨晩は例会をしました。メンバーのH君は原因不明の道路渋滞に巻き込まれたらしく、約1時間半遅れの到着。ゲストは少し前に結婚したばかりの若い看護師N君。そしてメンバーのMとワシの計4名で集いました。今回ワシが用意したアテはこちら。 


きゅうりの浅漬け、もやしとモロッコいんげんのナムル、だし巻き、鶏の唐揚げ、エビフライ、低温調理の焼豚、そしてマグロのカルパッチョ。

所狭しと並べられた品々。今回の目玉は低温調理をした焼豚。豚のバラブロックを100℃のオーブンで2時間半焼き、煮詰めたタレをかけてあります。これだと肉が固くならず、また煮ないので肉の味がしっかり残っています。

いつものもやしのナムルにモロッコいんげんを追加しました。これはメンバーに好評でした。

当例会では久しぶりに出したマグロのカルパッチョ。個人的にはこれも美味かったです。


連日暑い日が続きます。お互い好きなことを言い合って、無事暑気払いが終わりました。
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来見野川取水ダム(堰堤)

2024-08-23 06:54:21 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回から山陰地方に向かいます。最初に目指すのは鳥取県八頭郡若桜町諸鹿(やずぐん わかさちょう もろが)にある千代川水系来見野川(くるみのがわ)に築造されている来見野川取水ダム。アクセスは国道482号の「諸鹿(もろが)」信号を諸鹿方面へ入り、県道103号をひたすら進んでいくと到着します。

見えてきました。これのようです。

ダム横から来見野川の下流方向を眺めます。

左岸、ダム横から見た様子。

フェンスのところには水利使用標識が貼られています。それによれば、当該ダムは中国電力株式会社が管理する発電用ダムらしい。

その隣にはダムの構造図。

左岸、上流側から見た様子。

右岸側に見えるバー・スクリーンのところ(写真中央)が取水口で、そこから取水された水は来見野川とは別の水路を通って直線距離にして約3.9km下流にある来見野発電所へ向かい、発電に使用されます。


水利使用標識にも書いてありますが、来見野発電所で使用される水は来見野川の北側を流れる細見川からも取水されるようですが、その取水口を確認することはできませんでした。

それにしても、この来見野川取水ダムですが、いつ築造されたのでしょうね。現場には諸元を示すものがないので不明ですが、来見野発電所のリンクを見ると同発電所の運用開始が昭和10年(1935年)9月なのでこの取水ダムも同時期に築造されたものと考えてよさそうです。ただ、まあ、名称は「取水ダム」ですが、目測でも高さは15.0m以下なので定義上は取水堰堤になりますね。それに、上の「構造図」にも「えん堤」と書いてあるし…。
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これが現地の表記!…橇曳沢溜池(ダム)

2024-08-22 07:01:36 | 岩手(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は岩手県胆沢郡金ヶ崎町西根後千貫石(いさわぐん かねがさきちょう にしね うしろせんがいし)にある北上川水系宿内川(しゅくないがわ)の橇曳沢(そりひきざわ)溜池を目指します。目指しますといっても、アクセスは実に簡単で、前回記事にした千貫石ダムのダム上の道を南下すれば到着します。

見えてきました。なかなか立派な溜池です。

近くには二つの石碑があり、ひとつは「創原」と題されたもの。そこには橇曳沢溜池築造の経緯が記されています。

転記すると以下の通り。

「橇曳沢溜池は、宝暦年間(西暦一千七百五十年代)既に高谷野原西方一千米地点の橇曳沢盆地に先住せし三戸の生活灌漑用水として、自然自流水を堰止めて造られた入り合権の小規模な溜池でありました。
 昭和の初め、金ヶ崎町名誉町民第一号である故菅原新蔵翁は、不毛の地と言われた広大な高谷野原の原野(三百七十町歩余)に農業集落を建設すべく、水の確保を第一義として橇曳沢の地に溜池を建設することとしました。
 そして昭和六年、岩手県知事の事業認可を得て、三ヶ年の歳月と七十万円の事業費を投じ昭和九年、百六十三万トンを貯水できる大規模な溜池を完成しました。
 その後、当溜池は地域開発並びに食糧生産に大きく寄与してきたところでありますが、築造後半世紀を経て、老朽化が甚だしく、溜池の安全性と管理技術上の見地から、橇曳沢水利組合は、昭和五十五年五月に和賀川土地改良区と合併し、老朽溜池の改修に本格的に取り組むことになり、関係機関のご援助を賜り、昭和五十六年県営大規模老朽溜池整備事業として、溜池全般の改修に着手しました。
 その間、昭和六十三年八月二十九日、五百ミリを越える集中豪雨に見舞われ、溜池及びその周辺は壊滅的な被害を受けましたが、復旧工事を含め、二十数億円の巨費を投じ、十数年の歳月を経て完成することに至りました。
 今、ここに当溜池の果たしてきた役割の大きさと多難な歳月を回想し、農業基盤整備に一身を捧げた開拓の父、故菅原新蔵翁の功績を顕彰し、その精神を継承するとともに、工事完成を記念して、「創原」と刻み、碑を建立するものである。
   平成四(一九九二)年十月吉日
          橇曳沢地区委員会建立」

要するに、橇曳沢溜池は昭和九年(1934年)に完成したわけですが、築造後半世紀が経過して老朽化が進み改修工事が行なわれ、平成4年(1992年)10月に竣工したもののようです。

隣にあるもうひとつの石碑は「完工記念碑」と題されたもので、下部の文字は読みにくいのですが、工期が「昭和五十六年度から平成七年度」と読めることから溜池の改修工事の完成は上に記したように1992年ですが、橇曳沢地区の県営溜池等整備事業全体が終わったのが平成七年度ということなのでしょう。たぶん。ちなみに溜池の高さは23.45mで、長さは142.0mとあるので名称は溜池ですが、立派なダムでもあります。


では、いわゆるダム上を歩いてみることにします。

越流式の洪水吐は左岸側にあり、増水すると水はここから溢れ出て、

この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。

ダム上、中央から見た貯水側の景色。

一方、下流方向を眺めます。遠くには金ヶ崎町の街並みが見えます。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。


国土地理院の地図ではこの場所は「橇曳沢溜池」と記載されていますが、なぜかグーグル先生の地図やダム便覧の表記は「橇引沢溜池」になっています。現地の石碑の表記が「橇曳沢」なのになぜこの通りに記載しないんでしょうか。実に不可解です。
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