湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

9/13 真鶴からの第一報 他

2021-09-14 05:20:00 | 地震津波災害ボランティア
2021/09/13 記
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真鶴の施設職員の友人から連絡があった。「わからない」という予想どおりの応答だった。町行政に聞いたが、誰も知らなかったという。民生委員の友人からは、まだ応答がない。町社協に行ってみようかと考えている。

こういう情報は、普段社会活動との接点がない人には見えない。関係者でさえ、関心がないと通り過ぎてしまうということは、いやというほど経験している。しかし手がかりは、探らないとでてこない。
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母が自転車は乗らないでくれと言い出した。浜見平の@@さんから通報があったなとわかった。乗れなかったから安心してくれと言ったが、身体能力の衰えを反芻、苦かった。
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防災セットに、新たに防疫セットを補充する提案を聞いた。何が加わるかなとメモをとっている。「マスク・消毒用アルコール・日本手ぬぐい・介護ゴム手袋・大きめポリ袋・輪ゴム・体温計・パルスオキシメーター・トイレットペーパー etc.」結構かさばる。
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---相模原の塾長に聞いたお勧め書

<図書館にリクエストする書>
●「アンダーコロナの移民たち 日本社会の脆弱性があらわれた場所」
鈴木 江理子 (編著)2021/05
●「「発達障害」とされる外国人の子どもたち フィリピンから来日したきょうだいをめぐる、10人の大人たちの語り」金 春喜 (著)2020/02
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(校正1回目済み)


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9/12 真鶴の在宅治療者支援を考え自転車を

2021-09-13 16:01:00 | 地震津波災害ボランティア
2021/09/12 記
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母の趣味の友人が、乳癌手術後遺症の麻痺と痛みがひどく、乳癌後遺症緩和ケア外来を知らないかと母に尋ね、そのお鉢が私にまわってきていた。

今日も、当人から電話が入っていた。ある文化活動の第一人者なので、痛みや「つり」は、命懸けのことなのだ。

私には医学の専門知識も経験情報の持ち合わせもない。有るのは、ただ世間の噂だから応答は無責任と断ったが、手詰まりだからと、私らに愚痴まじりの電話がきていた。

通院がしやすい聖路加病院の緩和外来に通っているが温熱療法で、もう少し積極的な治療が欲しいという要望。

総武線で通える範囲ということで、千葉大附属の漢方治療があるが、紹介状が必要と伝えた。当人は以前、突破性難聴の漢方治療を受けて完治させた体験があったこともあって、転院することになったが、とにかく混んでいる。予約してすぐというわけにいかない。ただ乳癌術後緩和を謳って長いので、的外れではあるまいとなった。あとはペイン学会筋や、スポーツ医学系鍼灸が残るが、ますます漠然としてくると説明した。
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ひとというのは不思議なもので、頼られると、生き生きしてくる。母も絶好調だが、高揚の背後には落胆が控えている。母の季節性の「めまい」は、まさにシーズンを迎えている。10月過ぎまで油断は禁物だと思い、嫌な性格だと気づく。
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母が昼寝したのを見計らって、風呂場に「ひとり入浴危険」の貼り紙をして家を出た。

教材屋から小遣い銭程度のバイト代が入っていたので、読みあげ機の補助ケーブル代と、専門辞書Ver.Up代を送金、浜見平の@@さん宅に。何十年ぶりだが、自転車に今も乗れるか確かめてみたかったのだ。自転車を貸してもらえないか頼み込んだ。真鶴で始まった在宅治療者支援の移植準備だった。「まず隗より始めよ」だが、九分九厘空転する。ひとりでも始めるための見通しを作れば無駄にはならず、後で生きる。だから経験は書き残さねばならない。

無理言って自転車を借りた。幸か不幸か、2000年の交通事故で骨折した膝が邪魔をして片足運転となり不安定、壁前で止まる操作も、片目なので遠近感が怪しく、壁間際で止まったが、人をひく危険があり、自転車利用案はつぶれた。

なに考えてるのと@@さんに怪訝な顔をされたが、いや近場の買い物でと誤魔化した。しかし予想以上に身体能力が落ちているのを知り、正直落ち込んでいる。

明日、真鶴情報が入る。どう立ち上げるか。自宅待機者の中でも単身者が対象だろう。流動的な待機者の個人の情報がなければ動けない。ネットの一般公募では希望者と、まず出会えない。医療行政の協力がいる。自宅待機単身者は数が多くなくとも、地域が分散していると予想される。買い物もゴミ出しも連日周回支援となる。そのためには、自転車は必要だった。本来、車の所有者か、多人数による分散支援の活動とわかっていたが、扉を開くには、行政説得がいる。地域自治会や民生委員も腰が重く、期待できない。始めるためにはモデル活動事例が必要。この活動は「御用聞き支援」として、災害ボランティアに受け継がれる。やる価値はあるのだ。

隗気取りだけ、またやってるよでよし。

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駅で弁当を買い帰宅。なんと母はまだ寝ていた。不審に思ったが、一度起きていることがわかった。風呂場の貼り紙が剥がされていたのだ。

(校正2回目済み)



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9/11 真鶴町の「御用聞き」ボランティア/「となります」は不気味だ

2021-09-12 06:24:00 | 地震津波災害ボランティア
2021/09/11 記
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母を浜見平の@@さんに任せて、真鶴に行ってきた。真鶴町の在宅治療者支援活動で、「買い物代行」や「ゴミ出し」をボランティア活動を立ち上げたと聞いたからだ。

ふたつの価値を感じる。ひとつは防疫環境下の災害ボランティア活動は立ち上がり例が少ないからだ。もうひとつは、在宅避難者の仲介支援「御用聞き支援」につながる活動だからだ。

土曜日なので、調査は行政などに頼れず、知り合いの民生委員さんと、動物愛護や環境問題を取り組んでいる高齢者施設職員の方を訪ねた。後者の方は、コロナのことがあるので、施設2階と窓下の変則対話となった。ふたりとも噂はきいているが、当人との面識は無いとのことで、月曜までに調べてメールをくれることになった。また民生委員さんは、熱海の豪雨土砂崩れ関係の支援情報もくれることになり、期待している。

時間があまり取れず、他の真鶴情報はきけなかった。母の留守番はセーフ。帰宅すると、ふたりで出前寿司を食べていた。全く…。

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地域自治会から、母宛の自主配達封書による後期高齢者向けのお茶がおくられてきた。封筒に「粗品『に なります』」と印刷されていた。

「いやだねぇ、この言い回し。」

と母が言った。発言者には「仲介だけで関与せず」というあしらいを感じた。

「言葉が『ささる』」

もそうだ。マンガの「身体に突き刺さる」ショック画の連想からうまれたのだろうが、外力の受け身表現。

以前からの「心に響く」は淘汰されてしまった。「響く」のは、我が身に湧きあがること。いわば他動詞と自動詞の差。

この自己漂白というか、「私への『ご褒美』」や「私を『褒めてあげたい』」の得体の知れない化け物から「ご褒美」や「褒められる」薄気味悪さ。これらは一貫して「発言に伴う責任所在」回避・迷彩化につながっている。単なる流行語使用で、済ませる事態ではない。「〜のようなぁ」につながる「判断回避」の不確かな対人関係を維持する言葉だ。

母が感じた違和感は、流行語の聞きなれなさではなく、「に なります」と書いた方の薄気味悪さなのだ。

「やんちゃ」は、「未熟な子どものいたずら自己主張」の意味だが、「反社会ぶり」にずらされ、命を縮めるまでにいじめられた側は、「やんちゃな」相手だったなら、「やんちゃで殺されてはかなわない」。なおさらに嫌な語感になる。やめてほしい言葉だ。無責任な言葉がひろがり、さらには、言葉の破壊がおこなわれるのは、看過できない。
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(校正2回目済み)

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9/10 懇話会ゲストにメールを/山田康夫氏 できなさを考える

2021-09-11 05:30:00 | 地震津波災害ボランティア

2021/09/10 

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この2年間、懇話会ゲスト候補に選んだ方に、メールを出していた。コロナに懇談中止に追い込まれた方々だ。


西日本豪雨災害障がい者関連2名

東日本大震災石巻医療1名

       研究者1名

首都圏防疫看護師1

     薬剤師会社1


今後の新規の関係では

  行政大船渡市・常総市

  元養護教員神戸市


以上9名。現在は研究者兼高齢者GH経営看護系の方がいらっしゃるが、遠方ゆえの辞退表明があるが、文通を継続している。この方をいれて、10名の方々である。


再開懇話会は、倉敷・総社両市の西日本豪雨と障がい者の被災懇談からはじめたい。


私がおびえているのは、コロナ防疫の現場で戦っている現場担当者たちと災害弱者関係者が会の対象だから、前者は懇談どころではないと、企画が空振りしそうだからだ。

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FB上に、素敵な記事に出会い、フォローさせてもらった。福留氏経由の出口康夫氏の記事だ。人の能力観の背景にあるものを、オリパラの陥穽として気付かせてくれる。長いが紹介させてもらう。


以下引用-----------


『「できること」から「できなさ」へ』出口康夫(哲学)

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福留敬氏が紹介(2021/09/03 FB)

https://www.facebook.com/100001343386403/posts/4248229118565159/?d=n

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松岡修造がパラリンピック中継で「Can doCan do!」「Can doの精神が大切!」とCan doを追求することこそが人間の生きる意味のような感じで叫んでいた。


なんでも「Can doがカン ドーを呼ぶ」というオヤジギャグがウケてCan doの伝道師のように振る舞っているらしいが、彼の暑苦しいキャラクターとあいまって不快に感じた。


前から思っていたことだが、パラリンピックの選手を見て感動し、勇気を受け取るひとは健常者にも障害者にも多いだろう。だが、すべての障害者が無条件に感動し、勇気を得られるのだろうか?


パラリンピックのアスリート達は本人の努力もさることながら、環境や条件などが揃って晴れの舞台に立っている。

彼らが自分の能力の限界に挑戦すること、その精神は尊いことであって社会はその権利を最大限尊重し、その環境の担保に努めなくてはならない。


でも、障害者のなかにはそのようなチャレンジすら難しいひとも多いのではないだろうか。アスリートを賞賛するのは良いが「できる」を追求することばかりを礼賛することは「できなさ」に甘んじることを否定することになりはしないだろうか。


価値観の逆張りをしているように受け取られるかも知れないが違う。


僕の「友達」に成人して障害を持つ息子をピアニストにしようと尽力している男が居た。

息子が自分から「自分に出来るピアノ」を追求して弾くことは素晴らしい。

でも、息子とも会ったことがある僕には彼が息子に様々な課題を与え、息子をピアノに縛りつけようとしているように見えた時期があった。息子も自分の障害認識を受け入れられず、作業所に通う障害者の一人ではなく「障害者のピアニスト」を目指したいという葛藤のなかで苦しんでいるようにも見えた。


スポーツも同じかも知れないが、音楽は内なる欲求や衝動があって初めてやるべきものだ。「職業ピアニスト」という価値が「障害者の自立」という価値に置き換わるような重さでピアノを弾かせるということは、彼の人生からピアノを弾く喜びを奪うことにならないか。


僕は、先ず父親が、ピアノなんか弾けなくても良いと、ありのまま障害を持つ息子を受け入れるべきだと感じ、何度もそれを伝えたが、今はブロックされている。


パラリンピック選手達のように肉体的なCan doを追求出来なくても、障害者が障害のあるまま受け入れらるのが真の共生社会だ。

小池知事はパラリンピックを見せることに「教育的な価値がある」と言ったが、本当に共生社会に向けての「知ることからはじめる第一歩」であるならば、普通の作業所、さらには、もっと重い障害者施設の生活を見学することで、障害者がどのように「できなさ」と向き合いながら生きているか、をこそ見せるべきだと思う。


高校の同期で僕は生徒指揮者、彼はトランペットという付き合いだった友人が今は哲学者となって、「Can do」ではなく「できなさ」に人間の本質を見る観点を論じているので紹介したい。


共生社会を考えるうえでもとても素晴らしいエッセイだと感じたので文字起こししました。


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『「できること」から「できなさ」へ』


哲学者 出口康夫


 人間とは何だろうか。それを失えば人が人でなくなる、人の本質とは何か。ほかの多くの重要な問題と同じように、これらの問いにも唯一の正しい答えはありえない。でも僕らの社会では、ヨーロッパで長年伝えられてきた一つの答えが幅を効かせている。

それは人間を様々な能力ないしはできることの束と捉え、その中から一つを選んで、それを人間の本質とするという考えだ。

 確かに僕らはいろいろなことができる。言葉を話すこともできるし、算数の問題を解くこともできる。他人の気持ちも分かるし、走ることや飛行機に乗って空を飛ぶこともできる。

これらたくさんのできることのうち、ある人は、言葉や数を操る能力、つまり考える力としての知性を重視して、そこに人間の本質を見た。それに対して、人間の本質は、むしろ他人に心を寄せる共感力や感受性にあると考えた人もいた。

 もちろん、できることはすばらしい。それを伸ばすことも大切だ。外国語を使えるようになると世界の人と話ができ、人生の幅が広がる。科学者が知性を発揮して薬を開発したことで、病に苦しむ多くの人を救うことができた。みんなの共感力がさらに高まれば、もっと人に優しい社会を築くこともできるだろう。そう考えて、人々は人間のできることを育み、磨き上げる場をつくった。それが、皆さんの通っている学校だ。

 しかし、本当にできることを失えば人は人でなくなるのだろうか。例えば算数ができないからといって人間失格にはならない。言葉をしゃべれない人、走れない人もいれば、他人の気持ちをよむのが苦手な人もいる。でもみんな人間であることに変わりはない。そう考えると、できることが人間の本質であると簡単に言い切れない。では、できることに代わる別の答えはないのだろうか。

 人々の苦しみを前にただオロオロするばかりで大したこともできない「デクノボー」になりたいと願った宮沢賢治を思い起こそう。彼はできることの正反対、できないことに人間の本質を見ていたのではないか。


 僕らはできることだけでなく、様々なできなさをも抱えている。なかでも一番大きな出来なさは、一人では何もできないことだろう。例えば空気や食べ物がなければ、僕らは一日たりとも生きていけない。思えば、大古から続く地球上の、無数の生き物の営みがあったからこそ、大気は今の状態を保てている。日々の飲食物は人類文明の遺産でもあるし、道路や交通網といったインフラのおかげで僕らの手元に届いている。無数の人々、生物、無生物の支えがなければ、僕らは生きていけないのだ。

 逆に言えば、生きている関り、僕らはこれら無数のものたちによって支えられていることになる。

できなさは支えられていることの裏返しでもあるのだ。人は人である限り、できなさと支えられて在ることから逃れることができない。もし僕らがそれらを失なったら (神になるのか超人になるのかは分からないが)人間でなくなることは確かだろう。すると、できなさこそが人の本質なのではないか。僕はそう考えている。

 繰り返すが「人間とは何か」には唯一の正解はない。大切なのは、一つの答えにとらわれず、多様な答えに心を開くことだ。では、できることではなく、できなさにも目を向けて学校を見直したら何が見えてくるだろうか。

 誰にも得意不得意はある。算数は苦手でも体育は得意という人もいれば、実は全部苦手という人もいるはずだ。学校は、そのようなできなさを抱えている君に対してやさしい場になっているだろうか。できることを伸ばすためにみんなにできることの競争を強いて、少数のできる君には優越感を、多数のできない君には劣等感を植え付けてはいないだろうか。その結果、大人になっても自分がどれだけできるかをいつも気にして、自分よりできる人に嫉妬の目を向け、できない人につらく当たる、そのような人間になっていないだろうか。

 そうだとしたら、できることだけでなく、できないことにも目を向け、自分や他人のできなさを受け入れ、だからこそ共に支えあって生きているのだという気持ちを新たにする。そのような場が学校にもっと開かれることを、賢治とともに僕も願っている。

-----------ここまで

(校正1回目済み)


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9/8 FBの議論(認知症対策/リモート学習現場の実情等)

2021-09-10 05:16:00 | 地震津波災害ボランティア
2021/09/09 記
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昨日は、初期の認知症の家族への関わり方の話があって、遠隔操作のように、対象者の認知の歪み改善や、発症予防を求める語りに、私があなたは黒子なのかと問うことで、男どもの反発が始まり、疲労と認知症の違いも知らない方も乱入して、頭の痛くなるような治療法や訓練が登場して、女性軍は黙っている、しんどい対話をしていました。育児と同じく、ちょっとした離れる時間の貴重さのくだりでは、車内乳児放置にみる母親のプロ意識の低下の発言が重なり、主婦の家事と生殺しの日常を知らずに「プロ意識の低下」あなたは、いえで、なにをしたのと問う話。
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コロナ禍で、学校授業にまなびのリモート授業化がすすむことになったが、
現場では、少人数対面授業が並行して試行されたりと、教員の授業は混乱の淵を歩く状態が続いている。塾や家庭教師も、コロナ自粛措置が入り込み、受験戦線の親の焦りの持って行き所なしの暗闘がある。

授業の遅れというけれど、病欠留年を繰り返した我が身からは、教科の達成度より、やり直しの孤独の方が人生に意味を持っている。未習知識とて直線的に配列されるものではなく、網状の接点に呼びよされる。その触媒が対話だ。その個々人の内的対話に教師はいかに関われるのか。

親御さんに、いかに学習の見通しを語りうるのか、リモート学習方法の練習や操作トラブル対策のもぐら叩きに奔走する事態をどう抜け出すか、そんな裏話を論じていた。

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こういう話は、エキサイティングではあるが、子どもや、緊急ケアの現場から干された身で論じるに虚しさあり。

こうして、9/8は、過ぎて行った。

(校正1回目済み)

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9/8 認知症の話と、オンライン授業の話で

2021-09-09 05:24:00 | 地震津波災害ボランティア
FBで深入り議論して、書き込みが間に合いません。今夜、書き込みます。

すみません。

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9/7 老いということ/今をあがく

2021-09-08 05:56:00 | 地震津波災害ボランティア
2021/09/07 記
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生協の青果センターがコロナのクラスター発生で、ここ2週間出荷停止になっていたが、やっと復活した。冷蔵庫がいっぱいになり、傷んだ野菜を捨てた。2人で生活をしていると、野菜のひと袋の量が多く、残ってしまう。胃が無い母と、糖尿病の私の食事は少量多品種かつ栄養バランス考えたものを狙っている。だから袋入り販売物は、持て余す。

母のがん健診が始まり、母を地元医に連れて行き、待ち時間に買い出し。生協配達物の補間。

レジで、中学時代の同級生の奥さんと出逢う。彼は癌で早死にした。5年ぶりだった。先手必勝、我が家のことを矢継ぎ早に聞かれて、先方の様子を聞く間なく、レジに挟まれて、別れてしまった。こういう手練手管は女性にかなわない。ただ集中砲火質問は、平穏な日々ではない証し。どうしているのか、幕のこちらでため息をつく。

身の回り、ずいぶんの同世代が亡くなった。教職のころ、さまざまな子と家族に思いを寄せたが、今、私の関係の人々のことを想起しただろうか。仕事上のひとびとは、わずか5年で過去に去り、更に昔の私の身辺にいたひとたちが戦場の廃墟にように立ち上がるこの乾いた感覚は、いわば棺桶に片足を突っ込んでいる私の鏡像ゆえのこと。生き埋めにされてたまるかと思いつ、なし得ることを探す。我を張るつもりはない。わたしがいなくなるまで、わたしはここにいるのだ。きっとこれを「老い」というのだろう。

母がむくれて、外来で待っていた。遅いと小言をいう母に、猫を飼おうと思い被災地のシロを連れてきたけれど、いなくなってしまったねと話しかけた。縁側の戸を閉め忘れたのがいけなかったと、里親ボランティアをしていたときの話をした。母は突然の話にとまどっていたが、今は飼いたいともうしこんでも保護団体から却下されてしまう。猫は長生きだから、高齢者家庭には、面倒をみれなくなるから、猫の後見人がいないと譲ってくれないのだと説明した。歳って悲しいものだねと言ったら、悟ったらしく、順送りだから仕方ないさと、耳の遠い母から、即答がかえってきた。

鍋料理、正解かも。

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----- 書籍追加注文。これらは災害ボランティア具体策作りの環境資料。前者は、ケアの場の空気にかかわること。後者は、発災時、在宅避難を余儀される医療ケア・重身の方々の困難をつかみ取るための私の予備知識の基礎資料。

●「交わらないリズム 出会いとすれ違いの現象学」村上 靖彦著 2021/06
●「重症心身障害児・者医療ハンドブック 第3版」小川 勝彦著 2021/06
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熊本の災害時の精神障がいの方々の話を知る方と接点が出来た。話してもらうため、話題の糸口をメールに載せ始めた。

(校正2回目済み)

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9/6 がん検診パス!/ 雑感

2021-09-07 05:48:00 | 地震津波災害ボランティア
2021/09/06 記
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前期高齢者のがん検診の検査結果を聞きに行った。母はいつものリハ。朝寒かったと、しんどそうに送迎車に乗って行った。やや心配。

病院は不便なところにあり、午後はバスの本数が少なく、渋々タクシーを使った。これで帰りの食事は我慢となった。

何のことはない、医師は勝ち誇ったように、血糖値と血圧が高いから通院が必要という。専門医に何十年も主治医としてみてもらい、血圧の薬も処方してもらっていますと応答。医師、咳払いひとつ。

眼底検査、受けた方がいい。
網膜色素変性症で、ここ7年、慈恵医大眼科に通い、検査もうけています。

咳払い。

あとは、胃の方も、便も、肺も、血液の異常も、やや貧血だが異常なしだ。終わってよしとのこと。関所越えである。

冗談ではない、網膜色素変性症と糖尿病抱えて、何が「問題なし」だ。若いなぁと。えっへん。

コロナワクチン取材して帰ろうと窓を見ると、送迎バスが来たところ。30分おきなので、取材諦めて乗車。しかし、高齢者が少ない。コロナが始まって、病院は社交場では無くなった。
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今日は長袖シャツでも寒い。前線上の遠い雷鳴、上空の強い風に流されてきた大粒のにわか雨。

パン屋に入った。パンが大袋販売。他のパンが売り切れ。我が家のように人数が少ないと、量が多すぎて袋売りは困る。コロナになってから、客足の引き潮時がはやまった。パンや魚が特に早くなくなる。

辻堂図書館にビッグイシュー配達。月曜なのでポスト投函。

教材屋からメールあり。「(-: 」は古すぎるからやめろと、50代。<いえ、古典です。
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母を迎えに行き、送迎バスで帰ったと、ふられる。さればと、近所スーパーで鍋材料、思いつきで買って、冬に逆戻り。鍋料理を母が喜んだ。深部体温が低い典型的な高齢者なり。
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西日本豪雨災害の総社市のアルミ工場爆発記事をスマホで集めているが限界。デスクトップ+ディスプレー構成では、画面読み取りが目を数cmまで近づかないと見えない。スマホなら機種を目にちかづけやすい。画面接近しやすい大型ノートPCを買う時期か、いっそipadか?

(校正2回目済み)


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9/5 新聞1紙をやめました/パラ閉会式の嵐

2021-09-06 12:47:00 | 地震津波災害ボランティア
2021/09/05 記
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私が高校生のころから、新聞は2紙取っていたが、1紙をやめることにした。家計のこともあるが、一日の読字総量が、追いつかなくなったのだ。ざっと眺めて、興味のあるところは、字を包むように読むという従来の読み方の、「ざっと眺める」が出来なくなった、明視視野が明らかに狭まったのだ。じんわりと、ものにぶつかる頻度もふえている。縦字読みの困難は文面を90°時計と反対まわりに文面をまわして読む工夫をしたり、読み上げ機を使ったりしてきたが、総量が追いつかなくなった。悲しい。

見出しを見て、記事を選択して字面を読むという読み方に落ちていたが、1紙を捨てることは、デスクトップPCの大画面ディスプレーが、全体像を捨て、文字の拡大用に機能ダウンすることに似ている。日常把握が欠け落ちた感が強い。
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パラリンピックの閉会式を観た。きっと「無事に済んでよかったね」と、皆はまた事を流しているのだろう。ひとが殺されても、「家族が無事でよかった、こわいねえ」で話が閉じる。危険な橋を渡らされたこと、今までの例からすれば、冷や汗をかくことが、実は覆い隠されているのだろう。じっと口を閉じる。これからの1週間、パラ関連コロナ感染が広がらないようにと願う。

「ひと(選手)が一生懸命やったことじゃない、嬉しいじゃない」と母が私の偏屈をなじる。「半径10m以内の身近以外のひとの不幸を悲しめるのか」と私が問う。何を言っているのか、母には通じない。

閉会式は進み、フランスの街頭取材の映像が流れた。身が接するほど寄り合い、大きな口を開けて笑顔を交わしている熱狂したマスクなし群衆。

私("たち"とは、あえて言わない)の防疫活動は偏屈親父の小言かと拗ねてみたくなる。

コロナによって、私の知人ひとりが生死の境を彷徨っている。母の友人二人が犠牲になった。なのになぜ、母に大きな落差。

「オリンピックの閉会式と、つい比べてしまうね」と母。世界の場にでられるのだと、懸命に演じる参加者の、その踏みしめる舞台の硬さに痛みを感じる方がいるだろうか。

さっさと食卓を片付ける私に、TVの音量をあげる母。

一日が終わる。

(校正2回目済み)

p.s. 明日は前期高齢者特定健診の結果を聞きに行く。

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9/4 サポチガ全体会がありました

2021-09-05 05:32:00 | 地震津波災害ボランティア
2021/09/04 記
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先日母が長居した藤沢の小物屋の嫁さんが、注文の硯と花墨を届けてくれた。義母の友人として母は、嫁さんともお付き合いしていた。昼前に現れたので事情を説明、藤沢のお店で、母の一時預かりをしてくれないかと頼みつつ、私が作ったカレー南蛮うどんを食べてもらった。渡りに船の出会いだったのだ。

母の居ぬ間に、15時からのサポチガ全体会に参加。さぽちが20周年記念企画の相談。

市民活動の記録アーカイブ作り
こどもファンドの設立

この2点。前者はデジタル化せず、選択に価値判断をくわえつつ、紙メディア、印刷書籍化するもの。この手の企画は労多くして資料の死蔵に終わることが多く、資料選択判断とリンクした索引作りに力を配分させることが大事。索引の工夫は、外から図書館学者とか司書・編集者のプロの協力を考えた方がいいと助言した。

こどもファンドは、学齢期のこどもの自主的慈善活動を金銭支援するもの。こどもの夢実現支援の価値ありとか。

どうして元気な優れた子に対象を閉じた、上積み応援の発想しかできないのか。困っている子、追い込まれている子は、いつも地域コミュニティから無視されていくのか。応援すべきは彼らも同じ。一例だが人材バンクを作り、相談相手との出会いをつくるなどの孤立防止の受け皿作りなどの策はあるではないか。枯渇しているところに水を撒かず、豊かな畑に水を撒くのは、偏りではないかと指摘した。美辞麗句は無用。一応、発言は役員会にさしもどされた。

いつもそうなのだ。流行りの感度はそれなりにありながら、換骨奪胎、膨らまない穴あき風船に終わる。母の件があるので、会終了時、急ぎ藤沢に向かった。

(校正2回目済み)

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9/3 母の季節病対策を/出稼ぎ設定が好みと/頑張る障がい者?

2021-09-04 05:54:00 | 地震津波災害ボランティア

2021/09/03 

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再開したらしい母の「季節性・めまい」、最近は母の夜の尿意で母が起きる時刻で、昼間の「めまい」危険度に相関があるようだとわかってきた。おそらく「睡眠の深さ」が影響しているのだろうと推測している。過剰防衛は、母のQOLを下げてしまうので、シーズン中、連れ添い時の発作対応を「ビニ風呂敷・ポリ袋・ハンカチ・折り紙コップ・輪ゴム・薄手ゴム手・笛・絆創膏・マキロン」のような対策セットを持ち歩くことにした。

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私は日本橋生まれの放浪育ちで茅ヶ崎に流れ着いた。だから故郷とか実家帰省という感覚がない。


昨日、母のリハ通いの常連の高齢女性と雑談になって、私らの故郷を聞かれて、応答に言い淀んだ。日本橋と言うと、いつも話が途切れてしまう。東京の下町と答えた。


SNSで、都内私立高定年退職教員の@@さんと知り合い、趣味の自己紹介の話になって、互いに話がとおりそうな曲を出し合って気がついた。私は、木綿のハンカチーフではないが、田舎からでてきた設定が好きなようなのだ。相手は洋楽ポップス。しかし、男同士はなぜか戦いになり、わたしは、ちあきなおみの「ねえ、あんた」に至り、勝った。()しょうもない話だが、なぜ田舎がないのに好きなのか、ちょっと考えてしまった。@@さんは、ウクレレが好きで、奥さんがフラダンス。なるほどなのである。昔、狭山裁判支援に首を突っ込んでいたようだが、とぼけてしらんぷりをしていた。団塊だなあと、天井を見た。

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FBの知人の木下真さん(日本こども学会の会長さん)が、切れ味の良い記事を載せてくれる。今回は


「『がんばる障がい者至上』という偏見と息苦しさ」を


すっきり語ってくれた。


木下真さん、2021/09/03 FB より

フォロー。


-----------ここから-----------

https://www.facebook.com/100002375329278/posts/4291962727559529/?d=n

-----------ここまで-----------

(校正2回目済み)


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9/2 ビッグイシュー配達と/「めまい」の季節到来 他

2021-09-03 14:59:00 | 地震津波災害ボランティア

2021/09/02 

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茅ヶ崎図書館に、ビッグイシュー最新号をとどけた。予約した「ケアとサポートの社会学」(2007 三井さよ著 ISBN:9784588672064)が来ていた。「往き還り繫ぐ 障害者運動 於&発 福島の50年」(2019 青木千帆子他著 ISBN9784865001044)を予約。

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母はリハの測定日。PTさんがスポーツリハあがりのひとで、やたらに向上を求める。母の年だと現状維持ということも目標たりうるのだが。この方、オリパラの話題をしてくるから、Old は、やらないのかねときいたら、吹き出したという。失礼なと、母は文句を言っていた。納得。


市社協に立ち寄り、返して母を迎えに行った。路線バス停のベンチに座っていたが、バスが近づいても立ち上がらず無口になった。瞬間的なことだったが異常を感じ、バスを見送った。問いかけても、うなづくだけ。本人も納得していた。タクシーを呼んで帰宅した。いつもの「めまい」である。そういえば9月、シーズン到来なのである。11月になるまで要注意。


食事前だったが、ホットミルクを飲ませた。TVを観ていると、PTさんの話を始めて回復がわかった。

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「ケアとサポートの社会学」は、古い書だが、認知症高齢者ケア関係者の視点据え直しの価値は、風化していない。母を迎えに行く途中コピーしておいた原稿を読み上げ機にかけた。


ただ倉敷の資料関係は二重コピーが多く、誤読だらけ。苦労する。


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木下真さん 2021/09/01 FB をフォロー。税金泥棒論の勘違い指摘、切れ味よし。拍手。

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生活保護の受給者やホームレスをバッシングしたDaigo氏を擁護する発言を見かけた。「彼は多額の税金を納めているので、そこで十分社会貢献しているのであって、ろくに税金も納めてない人間からバッシングされる所以などない」というのである。


 この種のレトリックを使う人を時々見かける。根底にあるのは「貧乏人が偉そうに吠えるな!」という優越感だろう。錯誤に陥っているのは、金持ちが税金を納めるのは国や社会への貢献だとしている点だ。所得税は経済活動によって得た収入に課せられる税金だ。これは社会貢献のために福祉団体に収める寄付金のようなものではない。本人が資産形成のために利用した社会のインフラやシステムや人材の使用料だと考えるべきなのだ。


 経済活動をさかんに行う人は、高度なインフラやシステム、良質な人材を使うことになる。それらは民間の力だけではなく、税金によっても支えられている。典型的なのは高等教育機関だ。国立大学はもちろんのこと私立大学にだって多額の税金が使われている。それらの人材を好きに使えるのは富裕層の人たちだ。そして多くの収入を得ることになる。


 ディズニーランドでたくさんのお金を使う人が、少ししかお金を使わない人を、ディズニーランドへの貢献度が足りないと言って、非難する権利などない。なぜなら、たくさん使う人はそれだけ多くのアトラクションに乗って楽しむのだから、それに見合った額を払うのは当然のことなのである。税金も同じことだ。問題は額の大きさではなく、経済活動に見合った額を支払っているかどうかなのである。


 収入に見合った額を払っているのなら、どんなお金持ちとも対等であって、なんら引け目を感じることなどない。ちゃんと義務は果たしているのだ。


もし、働きたくても働けなかった、収入が得られなかったというのなら、そういう人が税金を納めないとしても、アトラクションに乗っていないのだから、当然である。再びアトラクションに乗ったときに払えばいいだけの話だ。


 フリーライダーというのは、生活保護を受けている人やホームレスの人を指すのではなく、山ほど収入があるくせに税金をごまかしたり、ときには税金を懐に入れてしまうような人たちのことを指すのではないだろうか。

------ここまで-----

(校正1回目済み)


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9/1 起立性障害のこと/ビッグイシュー配達開始とコロナ禍経営苦

2021-09-02 05:57:00 | 地震津波災害ボランティア

2021/09/01 

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訪問看護師の藤田愛さんが、自宅待機させられいるコロナ発症者の訪問記を書いていらした。担当の中等症の方が力尽きて亡くなり、後日の弔問時、ご家族と語り合った。在宅待機の無惨さがせまる。フォローさせてもらいたかったが、かなり個人情報を含んでいる為、禁フォローとな

っていたので、やむなく引用をやめた。胸締め付けられる思い。藤田愛さんをFBでさがしてみてください。

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ビッグイシューを仕込んで、母の買い物先の小物屋さんの店頭で再合流。藤沢のこの店、祖母存命の頃からの知り合いで、家族付き合いがあった。コロナで店は閑古鳥が鳴いているということで、私が雑誌を仕込む間、母を預かってくれた。


店じまいを考えているという。昔、代々続いた古い自宅の店を閉じて、湘南に家を買い、駅前に店を借りた。だから、店を閉じたら、自宅では地の利がなく、廃業となるという。厳しい。


藤沢から直接「本村」に行くバスを使って帰宅。母を自宅に残して、風呂栓()を持って、近所の読者宅に雑誌を配達する。小雨模様。

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<起立性調節障害のこと>

News Up 朝起きられない君へ | 教育 | NHKニュース」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210827/k10013224631000.html


(校正1回目済み)


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8/30 新学期が始まる…/UberEats は「現金」を排除した

2021-09-01 00:21:00 | 地震津波災害ボランティア
2021/08/30 記
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Uber Eats を初めて使って、ジョナサンのメニューをアプリから申し込もうとした。

初めてのため、初期設定があり、支払い方法を現金指定し、注文選択後決定手順に進み、最終決定をクリックすると、「支払い方法が指定されていない」とアラート。選択肢が示されたが、「クレジットカード&ディビットカード」・「Line Pay」・「Pay Pay」だけ。ビッグデータを持ち逃げされるのが嫌で、「現金支払い」にしたいが、選択肢がない。カードを使わないと先に進めない。初めの「現金」指定は無意味となった。げんなりして「Uber Eats」アプリを削除した。
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新学期の学校再開の重圧から、青少年の中に、身を軋ませている子がでてくる。押し出され引退の身だが、気になって相模原の塾に電話をかけた。今引き受けている新しい子は、小学校低学年の娘さんだから、爺さんは無理でしょうと、塾長の奥さんの笑い声。それって嘘ではないから、余計傷つくと応答。

しかし、長期間レギュラーの高校生は残っているが、本当に新しい子が減った。コロナの影響だけではない長期的傾向だ。少子化は勿論効いているが、ニーズのずれがあるように思うのだ。日々その現場に接しているわけではないから、断定的な物言いはできないが、塾長夫妻とは長電話しているのだが。

支援者との接点なく、命の危機にまで、自分を追い込んでいる子がいる。無事をと願わざるをえない。

●「NHK WEB  特集 居場所がないあなたに ~今 相談員が伝えたいこと~」
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<図書館リクエスト書籍>
●「ハザードランプを探して - 黙殺されるコロナ禍の闇を追う」(2021/08 藤田和恵著)
●「コロナ禍の臨床を問う」(2021/02 井原 裕 (監修), 斎藤 環 (監修), 松本 俊彦 (監修))

(校正1回目済み)


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